「白鳥説話」2009/08/15 10:38

「白鳥説話」

 毎年、「敗戦の日」には、ワーグナーのパルシファルやローエングリンを聞く。

 「聖なる愚者」パルシファルの清透な終末感のイメージは、この日にしみじみと聞くのに相応しい。

 毒々しい戦いと色欲のドラマも、「聖なる愚者」によって真っ白に浄化されていく。

 「浄化」というイメージを、ワーグナーにみられるゲルマン説話では、「白鳥」の美しさになぞらえている。

 古事記の中で、「英雄の死の象徴」としての白鳥の昇天説話は、最も美しい部分である。高校時代の古典の時間に、この部分を授業で習ったが、朗読をされている先生の声が感極まって、声が出なくなってしまったことを記憶している。この先生の授業は独特で、古典をただ読む(音読)だけで、別に現代語訳とか、注釈とか、文法の解説等、全くされないのに、先生の朗読に聞き入っている内、ネイティブランゲージとして、古典の文章が徐々に理解出来る様になっていくのである。

 話は戻るが、ワーグナーのローエングリンでは、白鳥の王子が登場するが、劇的な最後という訳ではない。神々の黄昏では、ワルハラの城が燃えて、神々のエゴイズムの悲劇が終わりを告げ、復しゅうに燃える悪者が水に飲まれて死ぬが、白鳥の昇天・死に見られるような清透な情景を持った悲劇という表現ではない。

 一方、古事記描かれた倭建命の最後の情景は、もっとずっと美しく、日本民族の心の気高さを描いている。
 
 ここに倭に坐す后等また皇子達、諸下り至りて、御陵をつくり、すなはち、其地のんづき田に匍匐廻りて哭きまして歌ひたまひしく、
 なづき田の稲幹に 稲幹に 匍ひ廻ろふ 野老葛
とうたひたまひき。ここに八尋白智鳥に化りて、天に翔りて濱に向きて飛び行でましき。ここにその后また御子達、その小竹の刈杙に足きり破れども、その痛きを忘れて、哭きて追ひたまひき、この時に歌ひたまひしく・・・・

 白鳥のみささぎの起こりを描いた部分であるが、同時に古事記という物語作者の倭建命への哀悼の文章である。

 「哭きて」とあるが、中国の葬制に関しての資料によれば、中国では、帝王や英雄が亡くなった時には、その葬儀で「泣く」という行為が非常に重要であった。「哭」は、その中で、最も重みを持った「泣き方」であり、地面に腹ばい、頭を打ち付けて、それこそ血が出るまで打ち付けて高らかに鳴き声を挙げて、みずからも死んでまで付き従おうという強い意思の表現である。

 面白いのは、倭建命の妻に対する言葉は、描かれず、それよりも、死の直前に逢瀬をもったミヤズ姫のことを臨終の時に詠んだ、
「嬢子の床の邊に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや」という象徴的な歌が詠まれる。

 この白鳥の場面に出てくる后達についての描写や倭建命の「言葉」がみられないのは、何故だろうか。

 「単なる白鳥説話なんだからさ。」と言われてしまえばどうしようも無いが、ここに倭建尊の生き方の2面性がうかがわれるのである。

 帝に命じられて各地の征討に赴く尊は徐々に疲れて身体も弱ってくる。その時に、「ひさかたの天の香具山 利鎌に さ渡る頸」という和歌を詠むが、これは、自らの死を悟った諦観の歌であると同時に、オオヤケの立場から、本来の人間の立場に帰ったということだろう。

 倭建尊は、残念ながら実在しなかった可能性が高いそうである。

 帝(大和朝廷)の名で各地に征討に赴き、大勢のものが戦死、あるいは、疲れて亡くなっていった大勢の英霊の御霊の象徴として、この物語の最後の場面が描かれているのであろう。

 スメラミコトの権威が固まったこの時期、天皇への絶対服従という行為の中で、潔く死んでいくという美談と白鳥に象徴される美しい日本人の本来の魂が昇華される有様を同時に描くことで、この物語の悲劇性を一層、強めているのだと私は考える。