僕の家族、知り合いもみんな彼岸にいる人が多い。2011/02/06 23:02

実家から祖父の画集の別冊の「追想」という冊子を持ってきた。

写真は祖父である。この絵をみても判る様にスケッチといっても、そのまま、その場所で油絵を描くのである。手に持っている位の大きなキャンバスだと速い時には、2時間位でおおよその部分を書き上げる。書き上げて濡れた絵を真ん中にピンを止めて、2枚合わせて持ち帰って来ていた。

先日の祖父の展覧会に展示されていた絵も無造作、悪く言えば、雑であるが、本当の「写生」なので、ああなるのである。

筆法、画法を考えるよりも先に手が動く人であった。


画集が出たのは、祖父の三回忌なので、1980年のことだったと思う。

これは、祖父に関係ある人の文集で簡単なエッセーが集められている。

短歌雑誌「六甲」を主宰されていた山本武雄さんとか、池田市民病院の名誉院長の築山義雄さんや、梅田画廊の社長の土井憲治さんや、親戚の渡辺武雄、渡辺節子、榎倉千代、母の冬美や昨年亡くなった叔母の玲子、祖母のたかの文章があり、身内の文集である。

母親は、この中の登場人物の中で、数少ない在世の人である。やがて、この文集の中の人達がみんな彼岸に逝ってしまった時、それでも、これは、追想になるのだろうか。

やがて咲くオリーブの花散りしきて掃く人なしに土に還らむ

君に添ふ影なるわれや供華の水朝代うる心空しく

と詠んだ祖母がなくなってから、既に16年が過ぎようとしている。
小豆島の別荘も、祖母がなくなってから数年で、処分されてしまった。最後に訪れた時、まさに、その家は、「掃く人なしに土に還らむ」の有様であった。

僕の家族、知り合いもみんな彼岸にいる人が多い。

今年、78歳になった母親は、柘榴の話を文集に書いている。
母親が、父親の為に画材となる柘榴の実を池田市内の農家にわけてもらいに行く他愛の無い母親らしい話である。

園芸が好きな母親は、画材の草花をいろいろと庭に植えていた。今、残っている祖父の絵の材料の花のうち、かなりの部分は母が育てた花だと思う。実家に移る前の川西の家は狭かったが、所狭しと薔薇の花が咲き乱れていた。


今日、実家からこの家に帰る時、母親が寂しそうにしていた。毎回、寂しそうにしているので、もう、実家に帰るのがつらくなってしまった。もう、残り何年、母親の姿を目にすることができるだろうか。

○実柘榴や母の想い出遙かなり

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