ハーシェル、パーセル、ハレー、ガリレイの共通点とは?2009/09/02 20:56

CyberShotDSC-W120で撮影
 「太陽系をつくる」は、現在、第33号まで買っている。

 下が天王星のパーツである。基本パーツの内、歯車がもう1つと下側の海王星の基部(天王星のギアを支える役割もする。)が、残り2号、揃わないと完成しない。

 上は、水星から土星までを「惑星直列」にしたところ。だんだん嵩張って来た。

 マガジンは面白いので、直ぐに開封して読むようになってしまった。今回は、バインダーも注文しようと思う。特に、31~33号の記事で面白かったのは、天王星の輪を実は、ハーシェルが既に発見しており、スケッチを残していたことである。
 彼は、天王星の発見者で、18世紀で既に巨大反射望遠鏡で惑星を観測していたが、天王星の輪を星の掩蔽現象の観測で発見された時には、「幼稚なハーシェル時代の技術で発見出来る筈がないだろう。」と20世紀の学者先生達は否定していた。
 21世紀に入って、ハッブル宇宙望遠鏡や探査機の観測データを元に輪の直径や軌道上の位置等を特定した時、それは、ハーシェルが発見し、その大きさや軌道を計算していたものとピッタリと一致したのだ。
 そこで、「ハーシェルの時代には、天王星の輪は現在よりも明るかったのだ。」との珍説も登場した。
 ハーシェルの奥さんは、カロライン・ハーシェルというが、彼女も天文学者で、夫の仕事を手伝いながら、数々の銀河系外天体を発見する功績を挙げ、王立科学アカデミーの会員になっている。夫婦揃って天文学の業績を挙げる例は、21世紀には、シューメーカー・レビ彗星の発見者であるユージン・シューメーカー、キャロライン・シューメーカー夫妻も有名で、こちらの奥さんもキャロラインというのも偶然の一致か。
 ハーシェル夫妻は、夫婦が共同で数メートルある巨大な反射望遠鏡の鋳込み(青銅合金)作業や、鏡筒、架台の製作、操作等も行った。当時の巨大望遠鏡の操作はモーター等ついている筈もなく、反射鏡筒の先部にある接眼レンズを覗きながら指示する夫の声聞いて、鏡筒や架台をつり下げたり、引っ張ったりするロープを緩めたり、締めたりする作業を夜通し続けたのである。
 ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は、ヘンリー・パーセル(1659~1695)やエドモンド・ハレー(1656-1742)と同様に音楽家の家系に生まれた。パーセルもハレーも偉大な天文学者でもある。また、彼のガリレオ・ガリレーも音楽家の家系に生まれていること等を考えると、天文学と音楽との密接な関係が浮かび上がってくる。
 ハーシェルは、ドイツのハノーファーに生まれ、ユダヤ系である。父親はハノーファー近衛音楽隊のオーボエ奏者であった。ドイツは、7年戦争で荒廃し、彼は、イギリスに渡り、音楽家として生計を立てていたが、1773年頃から天文学に興味を持つようになった。
 音楽の勉強をしていると天文学への興味が沸いてくるのは、実に不思議な感じがするが、私の身近にも高校時代に理論物理学の天才がいて、彼は、バッハの平均率クラヴィーア全集を全て暗記しており、私が与えた簡単な旋律のテーマを元に、ピアノで3声まで展開し、対位法を使った正確な即興演奏が出来る位の腕前であり、周囲を驚愕させた。勿論、軽音楽の演奏も巧みであり、こちらでは、バンドも組んでいたようだが、私は興味はなかった。もっと、クラシック音楽の勉強をしたら偉くなれるのに思っていた。
 高校時代の物理の教師も脱帽の天才ぶりを発揮し、党の活動も続けながら、現役で、東大に進学後、直ぐに大学の先生になったが、JR事故でお亡くなりになってしまった。
 私も火星や木星、土星を望遠鏡で観察していると、音楽のことやら、彼のことを時折、想い出したりしたりする余生を送っている。

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