ポストモダニズムとグローバル社会2006/06/23 09:16

「ポストモダニズムとグローバル社会」について、先日、佛教大学四条センターで、同大の丸山教授が一般市民向けに行っているセミナーを聴講する機会を得た。ここで問題になるのは、モダニズムについて、丸山先生は、近代市民革命の延長と捉えていた事である。つまり、ポストモダニズムは、近代市民社会の行き詰まりから生まれた状況であると定義づけしている事であるが、私の考えでは、、丸山先生が指摘している近代市民社会から現代に至るまでに、次の⑦つの段階を考える。

①ブルジョア市民革命(社会科学の黎明期)→②資本主義経済革命→③帝国主義(植民地経済)→④マルクス主義革命→⑤2つの世界大戦後の東西2大陣営の対立と企業資本主義の発展→⑥社会主義陣営の崩壊と国際資本主義の勝利→⑦グローバル型国際資本主義社会

丸山先生のモダニズムは、①~⑤・⑥の辺りの段階を指していると考えられるが、私は、もし、ポストモダニズムと言う概念があるとすれば、⑤の段階に限定されると思う。⑥~⑦については、最近のほんの15年間での変化である。

ポストモダニズムは、丸山先生は、⑦を指しているのだと思う。大きな変革経てポストモダニズムを志向したパラダイム変換を主張される丸山先生に対して、私は、段階的な因果関係を経て、社会は変化している様に思う。つまり、「ポストモダニズム」と言う言葉で、現代社会を説明する事は、私には、とても難しい様に考えられる。

グローバル社会の定義については、「グローバリゼーション」に基づく社会とする事が妥当だと思うが、グロバリぜーションについては、生産・流通・消費までを含む経済活動が国家の枠を超えて社会的規模で展開される事を意味するとしている。

この説明で、丸山先生は、ネーションステーツ(国民国家)の概念を出された。これは、18~19世紀の比較的同質的な国民が他の支配を受けないで主権国家を形成した場合を示しているようだが、実際には、近代市民社会形成の段階で日本の様な極めて同質性が高い国民国家がどれだけ存在しただろうか。結局、絶対主義王政・ブルジョワジーによる支配権力によって制度的にまとめられたに過ぎないと思う。   ネーションステーツが崩壊してくるのは、先ほどの②の段階からだと私は思う。つまり、近代資本主義の発展には、国民国家を超えた資本の交流が前提条件になってくるからだ。③は、国民国家と国際資本主義の矛盾を解消する為に生まれた社会システムであるが、結局、永続的には動作しなかった。結局、⑥に至るまでこの矛盾は続く事になる。

⑦の段階では、国民国家と社会システムの分離が一層進んだ段階であると考えられる。しかし、実際には、国際資本主義の主導権を握っているのは、米国資本であり、グローバリゼーションの名を借りた巨大資本による国際支配の世の中に変わりつつあり、これに対抗しようとしているのが、EUや中国、あるいは、北朝鮮と言った国ではないのだろうか。

丸山先生によれば、ポストモダニズムとは「これまでの近代社会を規定していた秩序の崩壊と新しいパラダイム」とする事が意味しているようだが、私は、単なるエントロピーではないかと思う。時代の潮流を捉えるには、もはやマックスウェーバー以来の理論社会学の枠組みでは、説明する事は困難になっているのかも知れない。

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