ノリントンの不気味なマーラー2007/01/13 14:27

偉大なるユダヤの作曲家グスタフ・マーラー
PCM放送(クラシック7)のユーロライブシリーズで、サー・ロジャー・ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団のマーラー交響曲第4番とブラームスのピアノ協奏曲ハ短調第1番をパソコンでタイマー録音したものを聞いている。

音質は、44khz、16ビット録音で通常のCD並だが、ダイレクトに変換しているので、市販のCD並みの音質で録音されている。

サー・ロジャー・ノリントンは、ベートーヴェンの交響曲全集やベルリオーズの幻想交響曲等をピリオド楽器で録音しているので有名。つまり、前に書いた様なピリオド楽器による演奏を古典派から後期ロマン派まで拡張・進出して来ている訳。

市販のCDであれば、こういったものは興味はないが、CDメディア代だけで演奏が聴けるのであれば、1聴の価値はあるだろう。

シュツットガルト放送交響楽団は、勿論、モダン楽器によって編成されている「20世紀的」なオーケストラである。この様なモダン楽器でも弦楽器は、特にピリオド奏法(ノンビブラートや、強弱のスケール誇張、グリッサンドの排除)を採用する事でオリジナル楽器的な響きを得る事が出来る。特に弦楽器による合奏では、独特の響きを持つ。こうした特長を生かして、ジンマン指揮のチューリッヒトーンハレ響のベートーヴェン全集の様に特色ある録音も行われ、それなりの評価を受けている。

ピリオド楽器、ノンビブラート奏法による弦楽合奏の響きを「虹色の素晴らしい響き」と評した評論家もいる。たしかに少し、気色の悪い、独特な暗い響きがある。希望がない21世紀の時代にマッチしているのだろう。

後期ロマン派の楽曲にこうした奏法が採用された場合には、奇妙な効果を産む様だ。例えば、ブラームスのピアノ協奏曲には、巨大な序奏部分がティンパニーの響きと共に始まるが、主旋律、オビリガートの進行を他のパートが和声的に支えていく仕組みとなっているが、特にブラームスの作曲技法で特色的なのは、木管楽器群に主旋律及びオブリガートを受け持たせて、絃楽器群が和声を受け持つ書き方が随所に見られる点で、通常は、この場合は、絃楽器は、トレモロで持続音を受け持たせる。これは、ベートーヴェンの第9の序奏部を見ると判るが伝統的な作曲法である。しかし、ブラームスの場合は、単なる持続音で弾かせている。

こうした場合にノンビブラートで演奏されると、中世音楽の様なポリフォニックなものが浮き彫りになるので、非常に気味が悪く独特の印象を与える。ここの部分を当たり前の演奏で聞けば、和声を保つ弦楽はビブラートがかかっているので、非常に優しい内面的な精神を表す事になるのだが、その様な事は皆無だ。

グスタフ・マーラーの場合は、ビブラートとグリッサンドの多用で弦楽器を演奏させている。交響曲第4番の演奏をメンゲルベルク指揮アムステルダムコンセルトヘボーで聞いて見ると良いだろう。マーラーは、この演奏を生前聞いて最も良いと評価している。

ノリントンの場合は、全ての旋律が教会音楽の様にノンビブラートで弦楽器を弾かしている。管楽器も出来るだけビブラートを排除、強弱もデジタリックに劇的に展開する。たしかに、この方法では、速い楽章は成功するが、特に第2楽章は、悪魔的なソロヴァイオリンを浮きだたせる様な独特の効果を挙げているが、やはり!と思ったのが、第3楽章アダージョ、「平安に満ちて」と作曲者の指示があるが、退屈極まりない音楽を展開する。最大の欠点は、絃楽器群にマーラーのシンフォニー独特の透明感が全く失われてしまっている点である。

この様な演奏の傾向が一般化すれば、そら恐ろしい事になると思う。

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