「鎮守の森」~森林社会学の実践 ― 2007/05/23 22:51

『鎮守の森』(宮脇 昭著 新潮文庫)
『魂の森を行け』(一志治夫著)
この2冊の文庫本は、いわば姉妹本と言うべきものであり、『鎮守の森』は、森林生態学者 宮脇昭氏の自伝と言うか自らの半生とその後の活動を描く事により、『鎮守の森』への自らの思い入れやコンセプトを綴った作品である。もう一冊の『魂の森を行け』は、ノンフィクション作家の一志治夫氏が宮脇昭氏の半生を描いたものであり、より客観性が高いが、宮脇氏から取材した資料を元に記述されているので、2つの本に描かれた内用には、共通点が多い。
宮脇氏は、広島文理科大学卒業後、東京大学大学院、横浜国立大の助手を経て、ドイツ国立植生図研究所長ラインハルト・チュクセン教授の下で、「植物社会学」の理論を実際のフィールド調査での観察・調査を通じて身体で学び取った。
植物社会学の概念は、1950年代の日本には無かった。生態学と言う言葉はあっても、記述調査・分類が中心で、森や自然の植生が数々の樹種の力のバランス関係で勢力分布し、微生物から数十メートルを超える大木までの「森林社会」を形成していると言う考えは非常に新しいものだった。
つまり、植生分布は、当然、気候・地形・土壌その他もろもろの環境に適応した樹種間の相対関係で成立しているものである事。1つの樹種の勢いは、その力関係のバランスの中で、一定のストレスを受けている時は強いが、一端、そのバランスが崩れ、何もライバルが存在しなくなった時、大量枯死、絶滅につながる。これは、私たちの人間社会にもつながる。
宮脇氏の帰国後の活動は、森林社会学の理論的な紹介では無く、「鎮守の森」を守り、地域社会のコアとして発展させる実践的なものであった。
「鎮守の森」は、稲作渡来以前の「原日本」が持っていた「潜在植生」が部分的に保存されているものである。
最近では、「現代の鎮守の森」としての社会的・環境的機能を期待して、企業の環境活動やエコロジーの実践、火災や土砂崩れ防止等の防災の為に、公園や工場設備の周囲に人工林を作る事が多い。
これらの人工植林は大抵が人間のご都合主義的なもので、松や杉、アカシア等が綺麗に植えられる事が多いが、多くは弱く根付かない。毎年、膨大な管理費用がかかってくる。
宮脇氏が進める「鎮守の森プロジェクト」では、その地域に古くからある「鎮守の森」の植生調査データを元に、その地域の「潜在植生」を推定、それに基づいてポット苗を植え付ける事から始める。
種はどんぐりから数十万個も採取し、ポット苗を育てるのも一苦労、植樹後の最初の3年間は付きっきりで管理しなければならないが、それを過ぎると自然に森林は生長し、1000年以上も続く、環境の変化にも強い森が形成される。
この宮脇氏の活動は、三菱商事のインドネシアでの植林活動にも活かされる。この地域は、日本向けに「琵琶湖を守る環境に優しいパーム油石けん」として使用されていたパーム油を採取する為のパーム椰子を植え付ける為に、森林が破壊され、それが環境問題まで発展している。こうした中で、本来の熱帯林を再生・保存する運動が行われており、宮脇氏が中心的な役割を果たしている。
「鎮守の森」は、日本人の心のふるさとでもある。つまり、「精神風土の自然林」、つまり、生え抜きの地域社会のあり方が反映されている。「鎮守の森」を守り、地域社会の再生にもつなげて行く事につながって行く。これが、チュクセン教授が提唱していた「森林社会学」と言うもので、「地域社会学」に結局は、つながって行くのだと思う。
『魂の森を行け』(一志治夫著)
この2冊の文庫本は、いわば姉妹本と言うべきものであり、『鎮守の森』は、森林生態学者 宮脇昭氏の自伝と言うか自らの半生とその後の活動を描く事により、『鎮守の森』への自らの思い入れやコンセプトを綴った作品である。もう一冊の『魂の森を行け』は、ノンフィクション作家の一志治夫氏が宮脇昭氏の半生を描いたものであり、より客観性が高いが、宮脇氏から取材した資料を元に記述されているので、2つの本に描かれた内用には、共通点が多い。
宮脇氏は、広島文理科大学卒業後、東京大学大学院、横浜国立大の助手を経て、ドイツ国立植生図研究所長ラインハルト・チュクセン教授の下で、「植物社会学」の理論を実際のフィールド調査での観察・調査を通じて身体で学び取った。
植物社会学の概念は、1950年代の日本には無かった。生態学と言う言葉はあっても、記述調査・分類が中心で、森や自然の植生が数々の樹種の力のバランス関係で勢力分布し、微生物から数十メートルを超える大木までの「森林社会」を形成していると言う考えは非常に新しいものだった。
つまり、植生分布は、当然、気候・地形・土壌その他もろもろの環境に適応した樹種間の相対関係で成立しているものである事。1つの樹種の勢いは、その力関係のバランスの中で、一定のストレスを受けている時は強いが、一端、そのバランスが崩れ、何もライバルが存在しなくなった時、大量枯死、絶滅につながる。これは、私たちの人間社会にもつながる。
宮脇氏の帰国後の活動は、森林社会学の理論的な紹介では無く、「鎮守の森」を守り、地域社会のコアとして発展させる実践的なものであった。
「鎮守の森」は、稲作渡来以前の「原日本」が持っていた「潜在植生」が部分的に保存されているものである。
最近では、「現代の鎮守の森」としての社会的・環境的機能を期待して、企業の環境活動やエコロジーの実践、火災や土砂崩れ防止等の防災の為に、公園や工場設備の周囲に人工林を作る事が多い。
これらの人工植林は大抵が人間のご都合主義的なもので、松や杉、アカシア等が綺麗に植えられる事が多いが、多くは弱く根付かない。毎年、膨大な管理費用がかかってくる。
宮脇氏が進める「鎮守の森プロジェクト」では、その地域に古くからある「鎮守の森」の植生調査データを元に、その地域の「潜在植生」を推定、それに基づいてポット苗を植え付ける事から始める。
種はどんぐりから数十万個も採取し、ポット苗を育てるのも一苦労、植樹後の最初の3年間は付きっきりで管理しなければならないが、それを過ぎると自然に森林は生長し、1000年以上も続く、環境の変化にも強い森が形成される。
この宮脇氏の活動は、三菱商事のインドネシアでの植林活動にも活かされる。この地域は、日本向けに「琵琶湖を守る環境に優しいパーム油石けん」として使用されていたパーム油を採取する為のパーム椰子を植え付ける為に、森林が破壊され、それが環境問題まで発展している。こうした中で、本来の熱帯林を再生・保存する運動が行われており、宮脇氏が中心的な役割を果たしている。
「鎮守の森」は、日本人の心のふるさとでもある。つまり、「精神風土の自然林」、つまり、生え抜きの地域社会のあり方が反映されている。「鎮守の森」を守り、地域社会の再生にもつなげて行く事につながって行く。これが、チュクセン教授が提唱していた「森林社会学」と言うもので、「地域社会学」に結局は、つながって行くのだと思う。
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