テアトロ・ムンディ 小磯画伯の描く聖書の世界2008/05/22 22:58

 仕事の取材先の付近に神戸市立小磯記念美術館があるので、昼休みに「小磯良平 聖書のさしえ展」を見学した。
 この展覧会は圧巻であった。
 日本聖書協会の依頼を受けて、旧約聖書から新約聖書の名場面の大部分を絵画化しており、おそらく国内外を問わず、これだけの規模の宗教作品を完成させた画家は存在しないだろう。
  挿絵と言っても75点(下絵含む)を1970年の1年間に全て完成させるというのは至難の技であろう。
 今回展示されている挿絵は、笠間日動美術館所蔵で、今回は、トレーシングペーパーに書かれた下絵も含まれている。
 エデンの園のギリシャ風の牧歌に始まり、バベルの塔等の旧約聖書の世界から、キリストの誕生、洗礼、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、受難、復活、聖霊降誕、ステファノの殉教、サウロの回心に至るまでの人間史のドラマを辿る事出来る。
 今回の展示で最も凄いと思ったのは、各作品の下絵(トレーシングペーパーによる)が含まれている点で、これをみる事で、小磯画伯の創作過程を読み解く事が出来る。
 何故、小磯がトレーシングペーパーによるデッサンを残しているのか、生前の様子等を知っている家族に聞いたところ、画伯は非常に慎重な性格であり、簡単な挿絵でも構図の検討をしつこい程重ねていたという。
 そうして、創作が次の段階に進んで「前の方が良かったのではないか。(実際に今回の展示でもいくつかある。)」と感じた時に、前の段階に戻れる為に、重要な構図や輪郭線が決定したら、必ず、トレースして記録を保存していたという。
 こうした資料を読み解く事が、この画家を今後研究する為の最も重要な史料に成り得る可能性があると言う点である。
  小磯良平は、そのデッサン力は、日本の洋画家の中では最も優れている。この聖書の挿絵も無駄な線は殆ど見られず、一気に走り書きした様な生きた線描で描かれている。
 しかし、下絵を見れば、それは、霊木化現仏の様に、テクストから感得された聖人のイメージが複雑な線の混沌から徐々に整理されて、やがて美しく無駄の無い1本の線に集約されていくのである。
 つまり、小磯は、ミケランジェロが岩石からピエタを彫り起こす様にデッサンを凝縮・結晶させていくのである。
 最も、面白かったのは、十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうキリスト像で、十字架(デッサンb)は、鉛筆で28.4x38㎝の小さな紙にトレースされているが、最初の画面は、十字架を背負って坂道を登っていくキリストとそれを虐め、蔑む兵士や民衆の姿のみが描かれている。
 ところが十字架(デッサンa)同じく鉛筆で38x28.4㎝では、室内から見た風景として、家の壁や室内、窓が描かれている。
 これは何を意味するのだろうか。それは、視点を直接から間接に転換した事であり、第3者的な視点に転換している。
 室内から窓の外のイエスを覗く人々の姿と我々の姿が共通像として投影されることで、人間の悲劇的な宿命を描いたテアトロ・ムンディ(地球劇場)の場面として構図が表現される事になっていく。
  更に、水彩と水墨によるスケッチでは、窓枠の描写の解像度が上がって、その窓枠があたかも十字架を象徴させる様にクッキリと描かれている。
 聖書の時代にこんな窓枠があった筈はないが、この絵には、この窓枠が敢えて描かれているのは、人類に共通する「原罪」を象徴させる為である。
 こうして、スケッチから完成された挿絵までを辿る事で、最初にこの画家がイメージした直接的視点の写実的画像が、構図の概念化の過程を経て、完成されていく過程を観察することが出来る。
 「最後の晩餐」(水彩・水墨)も非常に印象的であった。
 これにもトレーシングペーパーによるデッサンが存在する。
 画面は、ダビンチの最後の晩餐とは対照的な構図であり、テーブルの対角線と画用紙の右上端角の延長線が重なり、その線上にキリストが描かれている。
 ところがスケッチには、キリストの姿はぼやけた霊体の様な姿だし、聖人達も同様、しかし、テーブルの示す並行四辺形の形状だけは、明確に認める事が出来る。
 つまり、小磯画伯は、最後の場面のテクストを絵画化する際にその象徴として「対角線」、「四角のテーブル」をイメージし、その後で、キリストや弟子達の姿を混沌から写実へと彫りだしていったのである。
 こちらの構図法は、まさに十字架のキリストとは逆にやり方である。

 つまり、小磯画伯は、一つの構図を聖書や物語のテクストから構想するのに、2通りの方法を採っているという事である。
 そして、それには、「構図上の写実と抽象の関係」が最も重要であり、そのコントラストが、結果的に大きな概念世界の表出に収斂されていく訳である。
 私は、現在、源氏物語の絵画化の手法を構図を中心に研究しているが、聖書のテキストを小磯なりにテクスト化し、それを下絵デッサンを経て水彩と水墨による挿絵として仕上げる過程を辿る事は、研究を考える上で大いに参考となった。
 論文では、第3章までは、具体的な場面の選択と構図の分析、テクストとの関係について論じているが、第4章では、「写実から抽象へ(構図の問題点)」という章を構想している。こうしたやり方は普遍的なものなのだろうか、源氏物語の構図法を考える際に参考にして行きたいと思う。

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