ゲゼルシャフトの哀しさ2010/07/08 20:38

 「裏表の無い人間はいない」と以前、書いたが、実際、人間というのは、二律背反する様な欲求・意志が拮抗して、個性(人間性)を形成しているのだと思う。

 これは、組織集団としての人間性、集団行動にも当て嵌まってくる。
 つまり、集団としての「個性」は、その二律背反と拮抗によって形成されている。

 類人猿等、人間よりもやや劣っているとされている「動物」では、これに本能と意志との拮抗も含まれてきて、人間にもそういった面があるが、動物が品下るに連れて、本能が行動原理に優先される様になる。

 今日の午前中は、アリの行動を観察していた。「蟻の巣ころり」の効果をみる為だ。 
 
 本能による行動には裏表はない。従って、軍隊アリの集団も本能によって形成される為に、ゲマンインシャフトとかゲゼルシャフトとかの区別もなく。機械的に行動しているだけだ。

 人間の場合は、特に、社会学では、軍隊とスポーツが研究の対象にされやすいが、一見、個人の格闘技に見える大相撲だってゲゼルシャフトの世界である。

 ゲゼルシャフトの場合には、「行動規範」が中心にあり、その構成員には、「役割期待」が被せられる。

 横綱の「役割期待」は、強いだけではない。

 表舞台でも、プライベートでも、横綱としての「役割期待」が課せられている。この「役割期待」を理解しなかったというか受け入れなかった朝青龍は、排斥されたのである。

 例の朝青龍排斥の先導的や役割を果たした小説家が、ファンであったのは、野球賭博に興じていた大関を始め、他の親方達であったのだ。

 日本相撲協会→親方制度→力士というピラミッド構造にあって、二律背反的な矛盾を内部に包含しながらも、組織の「構成員」としての「役割期待」を果たして「役割演技」をしている限りは、「国技」の担い手として、国民やスポンサー企業に、賞賛・尊敬されていたのだ。

  この様な国技、軍隊、スポーツ、そして学校の場合でも、二律背反あるいは、多層的な意志・行動・欲求が拮抗する形で、存在しているが、その内部矛盾の「捌け口」として、反社会・組織的行動を隠匿的にやってしまうのである。

例えば、相撲では、イジメ(例のリンチ事件)や野球賭博・・・・・様々な事柄が起こり、組織の中で、「暗黙的」に認知されて来たのである。
 
 戦前の中国東北部の守備をしていた関東軍もその1つの例である。

 日本の国民の楯になる筈の最強をうたわれた関東軍が、ソビエトの国際法違反による侵攻と北方領土占領行為に全く対抗出来なかったのも、残念ながら、組織内部の腐敗、反統制的な状況を抱えていたからである。

  日本の師団の中で、最も組織的行動に優れた「最強の軍団」だからこそ、こんな状況なのも、実は、社会学の集団組織の原理では、必然性があることである。

 その様な傾向は、行動規範が強固・命令系統の強制的な要素が強い集団や社会程、強まる。

 スポーツの場合でも、封建的な統率性が強い相撲な様な国技、あるいは、監督を頂点に先輩・後輩の軍隊よりも堅固なピラミッド構造を形成している野球部等で不祥事が発生しやすい。

  最初に書いた通り、二律背反する意志の拮抗は誰にもある。

 「スポーツで鍛えられた強い心が、人間を正しい方向に導く」といった考え方は、甘いというか合理的ではない。人々は、厳しい訓練や修行を健全なことだとして賞賛するが、なんら解決策にならないのである。

 人間の本質を見抜かれていた釈迦がかつておっしゃられた通り、いくら厳しい修行を行っても、解脱にはいたらないのである。

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