4回目の論文提出許可ゲット。2017/06/26 08:33

佛教大学歴史学部京都学コースの論文提出許可がやっとおりた。
本当は、昨年には既に清書許可はいただいていたが、足首の骨折の影響で、冬期スクーリング3科目に出席出来ず、論文提出不許可通知が送られた来た。後期生なので本来の卒業は、9月末なので、学費の追加支払いは生じていない。今回、夏季スクーリングで3科目が無事に履修できれば卒業所要単位を満たしたということになる。学士入学してもう3年目突入。論文のテーマは、「作庭秘伝書と中・近世の造園法」。嵯峨流庭古法秘伝之書系統の多数ある写本の伝播過程を追うことで、中世から近世におけての作庭秘伝の伝授の状況と実際の造園法への影響を探る試みである。

4度目の論文提出許可。佛教大学へは、大学院紀要が1件、提出させていただいているので5本の論文を提出した実績がある。

無事に提出出来ますように。

京都学コース卒業論文2016/02/22 20:46

佛教大学の京都学コースの卒論は、「平安時代の庭園の思想的背景」という仮題で、研究を進めているが、「思想的背景」も削除して良いかなと思っている。造園には、あらゆることがら絡んでくるので、「平安時代の庭園について」で十分だと思う。

従来の日本史学とか文化史ではなくて、京都学とか新しいネーミングの学問領域は、学際がないので、それが面白いところだけれど、庭園だと歴史的文献や日記類に加えてフィールド調査、建築・土木関係の知識も必要。
まず、研究手法が決まっていないので、指導教官に尋ねてもあんまり役に立つ助言は受けられず、試行錯誤で研究法から開拓していかなければならない。

基本文献でまず必要なのは、庭園の平面図である。これがなかったので、研究が手探り状態。幸いにも1970年代に日本庭園史大系というシリーズが刊行されて、それに平面図が収載されていることが判った。大きな収穫である。他に、詳細な平面図を収載した庭園関係の書物は刊行されていないと思う。

これには、日記、古記録類も収載されていて便利である。

平安時代の庭園は、作庭記とか異本である山水抄等を引かれている研究が最近のトレンドとなっており、作庭記関連の研究所も何冊も出ているが、決定打という本は残念ながら存在していない。また、作庭記と山水抄の2つの伝本だけでは、信憑性の面で問題が出てくる。この2冊と或書をつかって原本を推定しようとする論文が飛田氏等によって書かれているが無理な話である。

ここには、公表できないが、実は、新出文献を発見して、今、翻刻中である。これが完成すれば、かなりの不明な点が明らかになるだろう。

私説であるが、平安時代、院政期まで、作庭記の成立年代は遡らない。せいぜいが室町期辺りである。平安時代の作庭法を引き続いた山水河原者から堂上人がその伝承を聴き取り、平安時代にまとめられた書物風に作り上げたものである可能性が高い。伝本をみても、せいぜいが、戦国から江戸時代初期の書写である。

あまり、ここでは書けないが論文では、新しい見解を示してみたいと考えている。

久しぶり2014/06/11 18:35

最近は、FACEBOOKを中心に書き込みしており、アクセスを友人関係に限定しているが、親しい友達に登録されていると、書き込みをする度に律儀にごらんになられていいねを押されるので、恐縮である。

気楽に、無責任なことを書き込むのは、ここの方がいいのかな。
それにしても全く更新していないのにアクセスカウンターが廻っているのには、驚き。

最近の状況は、ふたたび佛教大学の通信の京都学コースに入って、スクーリングに出席していることくらいかな。

佛大通信教育部の学部の入学申込み期間は、第Ⅱ期が4月1日から4月15日まで2011/03/29 09:40

 佛大通信教育部の学部の入学申込み期間は、第Ⅱ期が4月1日から4月15日まで。

 前回、このブログで書いたが、全く改善されていない。この募集期間について等は、本来は、通信教育部のトップページに載せるべきなのに、新着インフォメーションをみてもどこにも書いていない。

 「新着」といっても宣伝したいことなら何度でも載せても構わない筈なのに、学生募集の記事を載せていないのには、唖然。

 学生数が多すぎるので、募集人員を減少させようとしているのだろうか。

 また、申込み手続きも煩雑。ネットで出来る様にすれば良い。健康診断書類等は、締め切りに余裕を設定しても良いと思う。つまり、必要事項をネットで入力して、銀行振り込みが確認されれば、それでOKにすれば良い。学費の支払いについても、口座振替の申込みが必要だが、初年度の学費はたしか振り込み制なので、申込書をネットで提出して、振り込み用紙が送られてくる仕組みにすれば良いだけ。

 僕はまた、入学したいけれど、お金に余裕がないし、手続きとかややこしいので、敬遠になりそう。

ネットビジネスが世の中不景気にした?2011/03/10 12:05

ネットビジネスが世の中不景気にした?

空白の10年間に続く、衰退の10年間で、日本経済は、著しく後退したが、それは、特に中堅以下の企業の業績が落ち込んだ為。

マーケットで言えば、内需がクルマ等の一部を除いて、冷え込んでいることが大きい。クルマは売れてもガソリンスタンドの倒産が相次いでいるのもおかしな話。

IT社会の進展で、中堅以下の企業、教育産業を含むサービス業は、WEBによる宣伝広告を中心に行う様になった。

従来の印刷媒体や宅配DMでは、コストがかかりすぎるということで、WEB広告が中心となった。この為、多くのペーパーメディアが倒産している。

一方、WEB広告については、殆どの企業が外注に依存している。

実は、これが危ない。つまり、外注は、一応オーダーメイドなので、広告主の要望は適えられるが、メンテナンスがおかしくなっているところが多い。

企業のWEBが外注中心になって、アクティブXコントロールを駆使したもので、素人には複雑怪奇になっているおり、メンテナンスが不可能なことから、外注中心になっている。

ところが、「生命線」であるWEBのメンテコストを削減する動きさえもみられる。

つまり、メンテナンスも外注で維持コストが一層かかる様になっている為である。

WEB下請け企業は、そういった点も考えて敢えてメンテが素人には出来ない様なWEBを制作しているところも多い様だ。

コストを減らす為にメンテナンス頻度を落としたことで、もともと、「客を呼び込む」といった点が弱いWEB広告・宣伝の客離れが深刻化した。

WEBの場合は、一度去った客のリピートは期待出来ない。チラシとか、DMの場合は、リピートが原則だが、そういった宣伝効果は期待出来ない。

大企業も中小も、零細もWEBを外注していたら、メンテナンス経費・予算の格差が、そのままWEBの「広告性能・機能」に反映される。

つまり、IT社会になって、宣伝媒体がWEBに移行したことで、WEBメンテナンスコストの負担力の格差によって、企業間業績格差が一層拡大することになってしまった訳である。

○重たくて、つまらない(更新されない)WEBは、誰もみてくれない。

そんなWEB広告をする位ならば、従来のペーパーメディアや街頭キャンペーンとか電車広告等をやった方がマシである。

顧客とのダイレクトコミュニケーション効果を狙いたいのならば、ヤフオク等に企業出品した方が得。実際に、アンテナ効果を狙った企業出品も多くなっている。

利用者は、本当にアクティブXや音声、映像効果が発揮されたWEBを魅力的だと感じているのだろうか。

絶対にそんなことはないと思う。やはり、コンテンツの質である。

こうなると、稚拙な技術でも良いから中小・零細企業の人達は、自分でWEBを作成する技術を学んで、自分で文章を書いて、写真を撮影して、更新していく方がよい。

手書きのチラシ・カタログ、文章をデジカメで撮影して、WEBに貼り付けて表示させるだけでも面白いと思う。

また、中小・零細企業は、WEBよりもブログによる宣伝の方が、更新のしやすさの点で有利かも。

今、広告技術の稚拙さが新たな消費者にとっての魅力に変わり始めている。ガリ版出版が受けている様に、手作りWEBで10年前の昔に戻った方が、ずっと予算対宣伝効果が期待出来る筈。

☆☆☆
WEBタイムマシンで佛大通信教育部(BUCD)のWEBの変遷をみていて感じた。

佛大のWEB担当者が実に楽しみながら、自力でWEBを作成していた時は、WEBへの訪問者も多かった。

この様に広告媒体機能が順調に稼動していた時代の佛大は、全国の通信教育大学の中で、有数の学生数を誇っていたことを考えて欲しい。

メディア実習として、学生に通信教育部募集のPRWEBを企画して、作らせても良いと思う。

コンテストをやっても良いカモ。

応用社会学科が存在していた時代には、天野昭先生が自分のゼミの学生をいくつかのグループに分けて、WEBコンクールを実施していた。

WEBを作ることは、メディアというものの本質を考える時に大きな機会になる筈だ。

一番大事な、「入学者募集中」という告知が、BUCDのトップページのどこを捜しても見当たらない2011/03/10 11:08

 このところ、BUCDのWEBの更新頻度が上がっている。

 この大学の通信教育部のWEBは、更新の記録が一箇所に反映されて表示されてないので、WWWC等のWEBチェックソフトで都度、監視する以外に更新チェックの方法はない。

 つまり、このBUCD(通信教育部WEBサイト)を見に来る人は、何時更新されたか判らない情報をみていることになるので、連絡や告知が機能していないのである。

 今回の更新は、入学案内書請求方法なのであるが、これも更新リストにピックアップされていないので、WWWCによってようやく知ることが出来た。「NEW」とかそういったマークも表示されないので、どうしようもない。

 それと、本当に呆れるのは、一番大事な、「入学者募集中」という告知が、BUCDのトップページのどこを捜しても見当たらない。

 つまり、ユーザーは、いつから募集が始まっているのか、いつまでが締め切りなのかが表示されていないので、全く知ることが出来ない。

 以前も管理者にお知らせしたが、嫌がらせと思われた様で、全く改善されていない。

 ヨソの大学の通信教育は、宣伝にもっと熱心であるが、この学校は、何かズレている。

 まぁ、こういったノンビリというか間抜けな点が面白いのであるが。
 これ以上学生数が減少したら困るのは、大学の方だと思うが。

禁句「あんた暇やねぇ。」2011/03/04 09:26

 禁句「あんた暇やねぇ。」

 佛大四条センターでは、どうゆう訳か、お世話になっている学科のT先生と鉢合わせすることが多い。

 先日もお弟子さん達2名と一緒に、四条センターの喫茶室でご一緒した。T先生は、美しい着物をお召しになっていらっしゃる。伊勢の国のご出身だが、一見、「京都風」になられている。

 コーヒーをご馳走になった。

 開口一番、「あんた暇やねぇ。」と大きな声でおっしゃられる。先日は、「あんた会社つぶれそうなんやって。」とこれも、大きな声でおっしゃられる。それで、周囲の人がこちらをみているので、思わず恥ずかしくなってしまった。

 その時ほど、ブログに書くと碌なことがないということを痛感させられたことはない。

 先生は、熱心な読者らしく、色々、細かなこともご存じなようだ。「あんた、ストーカーはあかんよ。」とこれもデカイ声で言われる。

 学会の発表や発言の時は、非常に小さな声で、上品な関西弁なので、聴き取りにくいが日常会話では、声が大きすぎる。

 同じ佛大のA先生と同じ女子大のご出身なので、いろいろと御交流があるらしいので、某メールのこともご存じな様子であった。

 それにしても「あんた暇やねぇ。」は禁句だと思う。僕ぐらい人間で、しかし、世間の人達よりもずっと暇で好きなことをしてられる大学教授からそういわれたら、もう終わりだし。実際には、そんな筈もない。

 色々と時間をヤリクリしないと、僕位の年代の人は、カルチャー系の講座には、出席出来ないだろう。そうなると更に生徒さんが減ることになる。

 大学院が社会人入学というか団塊世代の「準高齢者」の入学の場となって、「N先生の俳句学校」と化しているのもこの様な社会現象だと思う。N先生とは、NHKのカルチャーで知り合いになって、同人に入って、そのまま大学院まで来ているという。

 日本で唯一の俳句専門大学院というのもそういった意味で良いかも知れないが、自分の様に中古文学とか他の分野を専攻している人。あるいは、「現役」で大学院に入って来ている若い人には、迷惑な話だと思う。

 それこそ、「あんた暇やねぇ。」ということになる。

パワーを対象に放射して初めてみえるモノ2011/02/28 22:58

 今日は、佛大四条センターで安藤先生の講義を受講した。

 今日も、法隆寺の壁画について、以前も同じ内容のお話を聞いたのだが、今日、再度、同じお話を聞いて、別な発見があった。それは、つまり、壁画の配置によって画風が異なるのは、何故かという点について、常日頃疑問に思っていた点で、ある仮説が閃いたから。

 それは、ここでは書かないが、それは、やはり表現上の意図というものがある。もし、法隆寺の金堂壁画が焼失せず、現在まで、残っていたら、仏教絵画史の研究は、かなり、今の様子とは異なっていただろうし、7世紀の仏教の世界観、宇宙観について解明が進んだと思う。

 僕が、安藤先生に惹かれるのは、「ものの見方」である。俳句でも写生とかそうゆうのがあるが、僕は、写生というのは、客観的な分析に基づくものであると思っていた。

 しかし、実際、仏教の根本的な思想を顧みれば、客観的な写生とか分析は、不可能である。つまり、無我の境で、客体の絶対的な分析と認識は不可能であるという点である。

 それは、仏画、仏像でも同じである。つまり、「見る」ということは、凄いパワーが伴うということである。つまり、仏像や仏画等の対象について、自らの意識のパワーを放射し、意識の中に取り込んで、自己の認識との一体化を図って、初めて、新たな分析と発見が可能になる。

 ただ単に目を凝らしてみても駄目だし、数百、数千とみても、自己認識との一体化がされなければ、全く無意味である点である。

 例えば、グプタ朝唐草とか、蓮華文の生命力について、安藤先生は目で見て認識しているが、それが、何故、生命のエネルギーに結びつくか、客観的な説明は不可能で、自己認識の世界で、感じ取ったことなんだと思う。
 
 例えば、蓮華化生とかそういった図案との関連性を説明づけることで、形式的な照明は可能だが、何故、あのパワーが渦巻きを産み出すのかだとか、そういった説明は、実証不可能である。

 安藤先生が物を「見る」時、凄いパワーが照射される。私も先生にお逢いして、そのパワーに圧倒されるというか、感受性の高い人や霊力が強い人にとっては、少し危険な程である。

 しかし、優れたものを感じ取るという眼力と言うものは、本来そうであり、その様な人でなければ、仏教美術の神髄について、直接的に感得することは難しいのではないだろうか。

もし活せずんば、人に怪笑せられん2011/02/26 22:36

「啐啄同時」ということば、佛大WEBの今月のことばに載っている。
http://subwww.bukkyo-u.ac.jp/view/dsc_tpc.php?id=4126&place=word&from=2011&PHPSESSID=4297cba67257d710ea85a0a06ed4cf05

無学なので、知らなかったが、宋代に成立した『碧巌録』 という仏典にあることばだそうだ。

WIKIってみると、『碧巌録』とは、『仏果圜悟禅師碧巌録』とも呼ばれ、宋時代に圜悟克勤によって著された公案集で、全10巻。

「啐啄同時」
僧、鏡清に問う、学人啐す、請う師、啄せよ
清云く、還って活くることを得るや
僧云く、もし活せずんば、人に怪笑せられん
清云く、また是れ草裏の漢

穿った見方をすれば、つまり、阿呆な学生が、「就職もやっと内定もらいました。お願いですから、卒業させてください。(単位点数の)下駄を履かせて欲しい。」と教授にお願いしているようなことだと思う。

実際には、もっと高尚で、修行をしている弟子に悟りの機会を与えること。

師匠は、外からも内からも無心でつついているので、生まれることが出来るので、意図的に助けたり、助けらたりするものではないことを示唆している。

教育学の先生が如何にも使いそうな「ことば」だが、以前、ビデオでみたが、鶏のヒヨコが内側から殻を突いて、今、生まれて来ようとしてくるヒナ鳥を助けようと、親鶏も懸命に、殻の外から突いて無事、孵化させようとしている。

全て、本能だが、そこには、無意識の親子の愛が感じられる。

今の養鶏業界では、自動孵卵器でヒヨコは生まれてくるので、こんな親の愛も受けられないし、今日も、明日も、多くの鶏達が、鳥インフルの殺処分で、何十万羽、何百万羽と処理されていく。

以前、池の白鳥が、風切り羽を切られて飛べなくされている為に、鳥インフルに感染したと報道されていたが、鳥は、本能で、そういった病気の危険を察知して、飛び立つことで感染を防いでいる。

もともと、元気がない鳥は、逃げ遅れるので、病死する。

ところが、人間の勝手で飼われている鳥は、元気でも弱くても、親がどんなに愛情を注いでいても、鳥インフルに感染して処分されている。

親子の愛を引き裂いて、更に、卵も奪い、鳥を狭いところに閉じこめる罪深い人間の仕打ちを考えると、僕もこういった業界に関わっているので、罪深いことだと日々考えている。

各国の社会・経済をお風呂の水に例えると2011/02/22 11:42

 佛大の現代社会学の講座で、インターネットメディアを媒介とした、大衆革命の可能性について、ある先生から習った。それは、単なる情報や思想、文化、経済の改革ではなくて、20世紀型の資本主義世界の崩壊を導くかも知れないということであった。

 今から数年前のことだったけれど、私には、信じられなかったが、実際にエジプトやリビア等、更には中東全体、やがては、中国へと、民衆革命の動きをみていると現実感が見えてきた。

 ただ、こうした革命の背景をみると、情報とかそういったものもあるが、実際の庶民の最低生活レベルが一段と下がってきていることが大きい。

 つまり、各国の社会・経済をお風呂の水に例えると、日本のお風呂は、かき混ぜてみると、濁ったぬるま湯という感じだが、例えば、世界第2位の経済大国となった中国をみると、たしか、表面2~3㎝は、アチチだが、かき混ぜてみると、茶色い冷水になってしまう。

 つまり、アラブとかそういった一見、豊かそうにみえる国家でも、お風呂をかき混ぜてみると、本当に冷たく、汚れた水になってしまう。そこに貧しさが隠れている。

 また、これまでは、いくら貧しくても民衆の暴動、革命は起こらなかったが、アメリカの賭博型市場主義がリーマンショック後、再び蘇生し、実際の穀物の需給情勢以上に価格が高騰してしまった為に、小麦、とうもろこし、畜産品その他の食料費の大幅な上昇が、民衆の生活を一層、苦しいものにしている。

 日経新聞等は、市場経済を否定出来ない立場にあるから、バイオエネルギー政策への批判記事を載せているが、もし、シカゴ穀物定期市場等でも、健全な価格決定機能を備えておれば、せいぜい、とうもろこしの値段は、4~5ドル程度(これでも高いが)で、今の様な7ドルっといった相場は、出てこない筈で、民衆・人民への影響は、それ程拡大しない。

 幸い、日本は、国民が大人しく、円市場が海外の投資アイテムになっている為に円高推移になっている恩恵をうけて、海外の穀物高騰の影響は抑えられているが、それも時間の問題。

 今の民主党政権、党内に離反者が現れて、内部崩壊が始まっているが、これがエジプトならば、首都東京で、100万人のデモが行われ、治安部隊との戦闘が行われている筈。

 日本人は、大人しいヤプーである。