金属カメラの凶器性!!2008/11/26 20:28

 ASAHIPENTAX-SPでの撮影である。銀塩なので、ショップでCDに焼いてもらった。ここの店の人は良い人なんだが、作業が雑で、何時も画面に毛屑や傷等が多いので、修正に苦労する。
 最初の内は、出来上がったCDもチリチリで使えないものばかりだったが、徐々に改善されてきている。
 今後は、フィルムを現像してくれる個人のフォトショップ等は、絶滅していくに違いないので、長い間、おつきあいしたいと思う。
 レンズは、Super-Multi-Coate Takumer 28㎜と、SMC Takumer 135mm F3.5を使用している。28㎜は、当時としては、画期的な広角レンズだと思う。今でも結構、楽しめる写りをしてくれる。ヤフオクでの落札金額3100円、135㎜の落札金額は、1000円でジャンク扱い。実際に届いてみると、外観は、それ程痛んでいないが、絞りをオートで開閉する突起を支えるスプリングが経年劣化を起こしており、時々絞りが完全に開かなかったり、閉じなかったりする致命的な欠陥を発見。(1000円なので仕方がない。)
 SPの本体もジャンクで1500円で購入して、一部、配線等の補修をやっている。合計5600円のカメラ。
 それにしても135㎜は重たいし、丈夫、金属の固まりの様な質感がある。これで頭をどついたら、頭蓋陥没骨折等の致命傷を負わせることが出来るだろう。(つまり、凶器にもなる。)
 全金属のカメラでの撮影は、デジタル1眼やデジカメと違って、ヘビーだ。
 M42マウントなので、カメラをストラップで提げて、クルクルと広角と望遠を着脱して使い分ける。落としたら、大変なことになる。Kマウントになってから、クルクルがなくなったが、クルクルとレンズを本体にマウントする感触が暫くすると楽しくなってくるので、不思議なものだ。

 絞り込み測光が売りもののSPも、私の場合は、全て「勘」で絞りとシャッター速度を決定する。ピント合わせは、なかなかマニュアルが快適だ。銀塩金属カメラの1眼レフの視野、デジタル1眼の倍以上はあるので、ファインダーを除いていても実に愉快だ。被写体深度等も確認しやすい。

 135㎜の写真があがってきて、画像も大きな欠陥もなくて、気楽に使っていこうと思う。
 デジイチにもSP-Kマウント変換アダプターを持っているので、応用することが出来る。この場合は、28㎜が、45㎜相当、135㎜が200㎜相当の望遠になるし、絞り優先モードとなる。

 当然、ピント合わせは、手動!!!
 銀塩(クラカメ)とデジカメとは、これが、同じカメラと思う程、世界は違う。

金属・単焦点時代のノスタルジー2008/11/26 21:34

 これが、今回の撮影で使用したレンズ達。
 最近の製品は、筐体や機構に合成樹脂等を使用している製品が多いが、これらは、無骨な程、金属による堅固な作りに拘っている。
 カメラの本体も一部の釦等を除いて全金属製となっている。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/11/11/3906646
 この時代って、金属製は高級で、それ以外の素材は、安物とか一時しのぎといった価値観があり、「カメラは、金属製で冷たく、堅く、重たいものが高級。」という認識があった。
 最初にこうした常識を打ち破ったのは、旧ソ連のライカやコンタックスの模倣製品群で、特に、1970年代以降、合成樹脂製の「ルピテル2」というカメラを発売した。
 自分の小遣いで最初に、購入したのが、ルピテル2で「初めてのマイカメラ=ロシア製」という幸か不幸か、そういったスタートだった。
 その後、高校進学のプレゼントにPENTAX-KNを親におねだりして買ってもらった。これでSL時代終焉直後の国鉄時代の車両等を撮影したり、天体写真(現在とは比べものにならない程、解像度が低いもので月面以外は撮影出来なかった。)等に愛用した。
 大事なカメラとして、1980年代の終わりまで、つまり、大学時代もこのカメラと一緒に友人達と旅行をした。
 こうした時代を通じて残念だったのは、広角や望遠等の交換レンズを使用しなかったというか、新品を買えなかったというのが本当のところ。
 当時のペンタックスの美麗なカタログをつくづく眺めて望遠や広角等をフルに使い分けることができたらどんなに楽しいだろうかと想像したりしていた。(当時のカメラのカタログ自体が美術品の様な価値があった。)
 だから、今の様にこれらの金属カメラが全て古びてしまって、ジャンク品や中古品で考えられない安値で入手出来る様になってから、レンズ交換の面白さを味わっている。
 1980年代の後半からは、ズームレンズ全盛時代となって、単焦点のレンズの方が、一部のプロ用以外は、姿を消していく。たしかにズームレンズは、便利だが、単焦点に比べて、やはり、レンズ構成等に無理が出てくる。
 F値が暗くなること、諸収差の補正が甘くなるということだが、コンピュータ時代に入って光学計算が手計算でなくて、自動で出来る様になってから、ズームでも優れた製品が発売される様になった。
 デジタル一眼時代に入って、ズームレンズ1本もしくは、2本を購入して、レンズは殆ど交換しないというユーザーが大部分だという。
 つまり、レンズ交換の意義自体が薄れてしまっている。こうした点や、LUMIXのG1等のミラーを廃止した機種が登場するに至っては、一眼レフ自体の持つ意味が全く変わってしまったと言って良いだろう。
 今、こうした金属カメラやレンズの冷ややかで重い感触を味わうと、ノスタルジーを感じてしまうのは、私だけだろうか。