「死ぬ瞬間」2006/11/03 18:02


最近、色々と身近な人の死に出逢う事が多い。多く訃報は、突然伝えられて唖然とする事が多い。悲しさは、驚きの後にやってくる。親しい人の場合は、納棺や出棺の時も一緒であり、死装束や死者の表情等も見なければならない。非常に穏やかな表情が大部分であるが、どのような考えを持って彼岸に旅立ったのかは判らない。

人は死ぬ瞬間、どの様な事を考えるのだろうかに興味を持った私は、臨死体験の記録と思って『死ぬ瞬間』(E・キューブラー・ロス著、鈴木晶訳、中公文庫)を買い求めた。

電車の中でこの本を読んでいたので、読了まで3週間程度かかった。読み始めて見ると、私のこの書物への先入観は誤りである事が判った。

この本は、死ぬ瞬間について書かれているのではなく、末期ガン患者と神学生、医学生との対話を中心にまもなく寿命を終える患者達の心境を描いている。

末期ガンの患者も一種のコミュニケーション阻害の状況におかれる。この前に置かれたユキの場合と似ている。

やはり、医療・看護側から見た病気・闘病のイメージと、患者が経験している末期ガンの苦しみや死への恐怖や様々な感情が異なっており、意志の疎通が行われていない。

まず、苦痛なのは、食事や排便、ベッドでの寝起き等の介護が患者の希望する様に行われていない事である。

更にそれよりも苦痛なのは、末期ガン患者の心情が理解されないままにガン患者としてのスティグマを押され、医療従事者はおろか、家族、友人にまでラベリングを受けて、これまでの様なコミュニケーションが出来なくなる事だ。

この本は、こうした患者へのインタビューを記録したドキュメント資料であり、そこに著者の見解が最後に附されている。

まず、インタビューで重要なのは、患者への先入観(ラベリング)を持たない為に患者の病状については、患者から直接ヒアリングされるまで何ら情報を持たない(知らされない)事である。

この条件で始めて患者との真の人間的な対話が実現する。この本に収録されている患者の内、たった1件を除いて、全てが積極的にインタビューに応じ、その結果、患者側の疎外感が改善されている事である。場合によっては、症状が改善される事もある。

この様な調査から共通点を抜き出し、死への恐怖から死を受け入れるまでの過程を5つの段階に分けて記述されている。ここには、人が死を受容するまでの貴重な体験や考え方が記述されている。

この本が書かれたのは、1960年代であるが、1950年代後半からガンに罹病した患者達が中心となっている。当時は、医療技術を飛躍的な進歩を遂げて、患者の苦痛を和らげるよりも近代的・合理的医療が尊重され、手術の実績が評価された時代である。また、技術も発展途上であり、現在では、恐らく助かったであろうガン患者のケースも見られる。


しかし、何よりも大事なのは、ターミナルケアの精神が初めて記述された書物である点である。末期ガンにおいて、病院の規則やコンプライアンスよりも、患者の安楽と希望を持たせる事が重要な事である点について教えてくれている点である。

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