蓮華化生に取り組む2008/02/25 22:05

IXYDIGITAL70で撮影。
 今日も安藤佳香先生がご担当の仏教美術史のテキスト履修のレポートに取り組んだ。
 参考文献として『佛教荘厳の研究 グプタ式唐草の東伝』を借り出して読んだ。
 テキスト履修の課題は、「蓮華化生の思想と仏教美術とのかかわりについて記せ。」というものである。
 題目からみれば、それ程、難しくないと思ったが、これが大きな間違いである事が判った。
 蓮華化生は、インドでは、サーンチーの仏塔や、あるいは、インド、中国、日本へと伝来した仏像の荘厳(しょうごん)に表現される代表的なテーマである。
 つまり、蓮華化生の思想について論述するという事は、仏教芸術と荘厳との関わりについて書くという事で、仏教美術史の流れを初期の大乗仏教から日本の仏像や寺院、浄土教絵画や仏像等全般に及ぶ広い時代範囲を扱うという事になってくる。
 これを僅か8枚のレポートで書くのは至難の業であると思う。
 蓮華紋やグプタ式唐草等の実際の用例については、参考文献や論文等を見れば、かなりの量になるが、その思想的背景について考察するのは、相当難しい。
 仏教芸術といっても、原始仏教や部派仏教、初期の大乗仏教については、様々な遺跡や経典、論等から検証されている例は幾つもあるが、その時代の仏教文化や芸術思想全体について考察するには、あまりにも残されている資料が少なすぎる。
 今回のレポートでもインドの初期仏教の遺跡に見られる蓮華化生の紋様と当時の仏教思想との関わりについて、検証を試みたが、不可能に近い事が判った。
 むしろ、現代のヒンドゥー教についてヴィシュヌ神の化生等の考え方が図像化されて残っているので、こうしたものから推察する以外にないのかも知れない。
 浄土教と蓮華化生の関わりについては、先日のBSハイビジョンで放送された敦煌莫高窟の第333窟の東側の壁画の阿弥陀三尊と五十菩薩図をデジタルカメラで記録しなおして、それを元に考察を試みたが、案外に具体的な資料が少ないのに驚かされた。
 仏教芸術の研究は、紋様や図像の表現様式がその宗教思想的背景とどの様に関わっているかを考察する事が大きな目的であるが、それを達成するには、正しい仏教理論の理解、歴史的考察、美術、表現史の知識、感性等、全てのものを動員しなければ、不可能であると思う。
 そういった意味で非常に難しい学問分野だと今更、痛感させられている。
 こうしたレポートを書いていると首の痛みも忘れてしまうが、今日、医院で針の治療を受けたのがてき面に聞いて、大分痛みが和らいできたのでホッとしている。

 今日も梅の花を撮ったもう少し色がくすんできた。