「気がつく」ということ2010/07/06 11:30

組織的閉塞感というか・・・

昨日のNHK特集で、「有機EL」という日本の独自技術が危ういという内容だった。

何故、今頃、こんな放送がと思って、信用情報を調べてみるとありました。つまり、NHKのディレクターは、この倒産情報を察知しており、番組には入れなかったが、問題点のコンセプトとして、この事実に注目したのである。

「青森」 東北デバイス(株)〈資本金8000万円(従業員49名〉は、7月2日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。 負債は約37億円(うち金融債務約18億円)。

http://thd.co-site.jp/index.html

新技術が実用化に至るまでは、「金喰い虫」であり、年々負債が貯まる一方で、青森県の行政支援を受けて凌いでいたが、昨日のTV報道でも言っていた通り、地方行政の逼迫により、行政サイドで実用化の域に達したということで、支援を打ち切り、事業の完全民間移管という動きの中で、経営継続を断念せざるを得なかったようだ。

先日もロケット産業のことを書いたが、時代の明日を担う最先端技術産業の経営破綻が目立つ様になってきた。大手企業は頭がおかしくなったのか、開発部門の省力化・コスト削減を考え出したので、民間ベンチャーへの支援等も止めて、中国、韓国に技術開発部門を移管しているので、どんどん、こうした技術が海外に盗まれていく。

日本は、泥棒に入られ放題の家みたいな国になった。

全く、今の日本に組織的閉塞感が漲る中で、この様な問題を自己解決出来る組織力は、もはや完全に失われてしまったみたいだ。


TV特集では、NHKお抱え学者の先生が、「負担になっている新技術の開発を各企業間で協同で融通、分担しあってやるべき」だという話が出たが、これは、まったくもって無理・無駄である。

日本企業はどうゆうわけか、海外企業には寛容だが、国内企業同士は、それぞれが犬猿の仲というか、パナソニックの技術が、物真似名人のS社に漏れると責任者は、クビである。国内の企業間で足を引っ張り合っている状況の中では、協同開発もおぼつかない。

でも、こんなのは、日本の企業社会病理の氷山の一角である。
もっと大変なことが起こりつつある。

それは、「気がつく」という人間生活の根本的な事柄が、無くなった点である。

日本は、愚かにも、グローバル化に明治維新の時期の様に無理に対応したが、企業組織の本質は、何ら変化しておらず、時代遅れのものになっている。

それは、国技である大相撲、政党運営、議会運営、会社経営、全てそうなっている。大相撲程、グローバル化が進んだスポーツはない筈なのに、組織が旧態然とした親方制度のピラミッドなので、腐り果てたのである。

「これはイカン」と、人は、「気がつく」のが普通である。

会社組織の中で、社員が、、「このアイデアは良い」とか、「こうしたら、アイデアを活かせるのでは、」と気がつくことも少なくなった。

IT技術の影響を受けて、企業内ネットワーク等の提案ツールは、以前に比べて格段に進歩した様に見えるが、フォーマット化されており、実際には、IT以前よりも、一層、硬直性を増している。

つまり、「気がつく」ということは、本当の人間性から出てくるもので、組織力ではどうにもならないのである。

更に、「気がついて」も「どうにもならない」のも日本社会の特色である。

社会や企業の組織化が機械的に進んだ結果、「気がついて自主的に行動」しようにも、組織の構成員としては、認知されない。あくまでも個人レベルである。

個人レベルの「行動案」を企業組織に提案して、裁可されるまでに、数ヶ月、数年もかかってしまうので、「気がついて」も対応が出来ないのである。また、どうゆう訳か、「気がつく人」自体の数が減っている様な気がする。

中国とか韓国とかそういった国では、基本的な技術は駄目でも、「気がつく」人間が大勢いるので、直ぐに考えついたり、日本から盗んだアイデアや技術を商品開発に移管させて、商品・事業化を迅速に行える。

明治時代の日本もそういった意味で、「気がつく」人間が多かったようだ。

とにかく、「大国日本」がようやく実行に移した時には、既に韓国、中国の企業や技術者がやり尽くしていて、甘い汁を吸い尽くして、陳腐化した後なのである。

本当に単純・明快な問題なのにどうにかならないのかと思う。

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