摩訶毘廬遮那の2010/07/14 23:03

 今日は、私の40代の最後の1日であった。

 それにしては、無為に過ごした1日の様な感じがある。

 「今日という日はあなたにとってどの様な日でしたか。」と佛大の上野先生がおっしゃられて、ズシッと来たことを記憶している。

 当時、在学していた通信大学院ばかりに熱心になっておらずに、本業の仕事にも精を出さないと行けないことを仄めかされてされていたのだと思う。

 今日も、そういった意味から言えば、無為な1日であった。

 「人間五十年」というが、源氏物語の若菜下巻の最後に朱雀院上皇の五十賀が行われる場面がある。

 御賀は、二十五日なりにけり。かかる時のやむごとなき上達部の重くわづらひたまふに、親はらから、あまたの人々、さる高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々にとどこほりつることだにあるを、さてやむまじきことなれば、いかでか思しとどまらむ。女宮の御心の中をぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。例の五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも摩訶毘廬遮那の。 

 まさに、「摩訶毘廬遮那の」の長生きが、平安時代では、五十歳であった。
 四十歳が本来の長寿祝いなので、五十歳ともなれば、もう神仏のみぞ知るというところなのか。

 とにかく、こうして五十歳まで生きながらえたことについて、神仏はもとより、今も生きていてくれている父母、そうして、これまであらゆる面でお世話になったというか生かされてきた三千世界に遍く衆生に感謝申し上げる他はないと思う。この後、人生は、二河白道をいくが如く、ひとえに阿弥陀の他力にすがって生きるしかない。

 今日は、鈴蘭台をおりておうぶの家に帰る途中は、またまた凄い霧で10メートル先も見えないほど、ところが、すずかぜ幼稚園を過ぎてからは、谷からの涼風に霧も吹き払われて、道がハッキリとみえる様になった。

 残りの僅かな人生もそんな風であればよいなあと思っている。

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