東国原知事は必死に、「血統」を守ろうとしている2010/07/14 09:43

 先日のTV報道で、東国原知事が、宮崎県産の種牛六頭の「助命嘆願」に上京、これに対して、高飛車な姿勢をとり、頑なに殺処分を主張する民主党山田正彦農林水産大臣の様子が放送された。

 宮崎県にとっては、種牛は、同県のブランド牛の生産を守る虎の子の様なもので、これがなくなると、他の地域に比べて品質的な優位性が失われる。

 特に和牛にとっては、血統が肉質を8割方左右する。特に脂肪交雑(サシ)の入り方等については、飼料とか飼養管理によって、改善することはなく、全て血統に左右される。

 血統を守るには、少なくとも数頭の種牛が必要であるので、6頭は、最低限必要な頭数である。


 だから、東国原知事は必死に、「血統」を守ろうとしている。

 しかし、国が定めた家畜伝染病対策法では、口蹄疫発生農場もしくは、患畜と同じ牛舎で飼育されている全ての牛の殺処分を義務づけている。

 種牛1頭の感染が確認されて以来、もう既に1ヶ月近く経過しようとする中で、新たな感染拡大の必要性がなくなったので、殺処分する必然性もなくなったので、「助命」すべきだというのが、東国原知事の考え方だ。

 しかし、実際に感染が確認されていなくても、大量の殺処分を余儀なくされた地域の畜産農家へのシメシがつかなくなるといった大義名分の他にも、どうやらもっと、裏の事情がある。

 山田大臣の生い立ちに関係する事情である。

 山田大臣は、民主党政権下に就任したが、この人の生い立ちを調べてみると、長崎県の五島という九州でも鹿児島、宮崎、熊本の銘産牛との競争を余儀なくされ、優秀な血統を持たない為に、不利な状況に置かれてきた長崎県の肥育牛業界を代表する存在であった。

 1972年に五島で10ヘクタールの土地から出発し、系統牛ではなくて、中国の青島から素牛を輸入して肥育牧場を経営してきた。宮崎とか鹿児島の素牛は、門外不出であるので、海外から素牛を導入せざるを得ない不利な立場であった。

 つまり、日本の肥育産業の「血統主義」について否定的な立場の農業人生を歩んできたのが、山田大臣である。

 その後、理想が「一人歩きした」牧畜業は、石油ショックの影響で廃業を余儀なくされ、法律事務所を開業し、自民党、新生党、自由党、民主党と議員畑を歩いてきた。

  つまり、農畜産業に一家言ある人物で、やはり、宮崎や鹿児島の畜産には、強い敵意と競争心を抱いて来た経緯がある。

 これらのことが、頑なに貴重な遺伝資産である種牛殺戮を頑なに進めようとしている姿勢に現れているのではないだろうか。

 政治に私怨を持ち込んではいけないと思った。

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