火打山の想い出(佛大通信2月号) ― 2008/02/01 23:11
火打山に登ったのは、2002年の8月でもう6年も前のことになってしまった。
佛教大学の四条センターで北川治先生(当時は助教授だった)のお話と高山植物のスライド上映にすっかり魅せられて登った。
http://www.bunet.jp/world/html/20_2/509_sketchbook/index.html
富山鉄道等地方鉄道を乗り継いで、高原の駅に到着。
その晩は、ペンションに泊まった。赤倉高原とか言って岡倉天心の別荘があったと言う。
山林の中の素晴らしい環境で何時までも居りたいと思ったが登山目的なので、早速、バスを利用して登山口に向かう。バスを待っていると、もう、秋なのか、オニヤンマが飛んでいた。
登山は、結構、急な登りもあり、ヒュッテにたどり着いたのは、夕方。
夕方の高原を散策、晩はカレーライスを食べて寝た。
翌朝は5時位に起床。朝焼けで山霧が真っ赤に染まっていて、素晴らしい眺めだった。
軽い朝食をとって早速出発。残りの行程は僅かなので昼前には頂上に到着。
途中で雷鳥の親子7羽とご対面。
下山の方が堪えた。登山口にたどり着くともうフラフラで帰りの大阪までの直行列車を待つ。
戸隠蕎麦の店で一杯やって過ごす。蕎麦は、たいした事はなかった。
冬のスクーリングで北川先生にこの事を話した。「8月には、僕はもう山を降りていて、お会い出来ず残念でした。」
雷鳥の親子の話をしたら、先生もご覧になっていたらしく、「ほう、元気でしたか。」と話されていた。
非常に美しい山なので、また、登ってみたいと思う。
佛教大学の四条センターで北川治先生(当時は助教授だった)のお話と高山植物のスライド上映にすっかり魅せられて登った。
http://www.bunet.jp/world/html/20_2/509_sketchbook/index.html
富山鉄道等地方鉄道を乗り継いで、高原の駅に到着。
その晩は、ペンションに泊まった。赤倉高原とか言って岡倉天心の別荘があったと言う。
山林の中の素晴らしい環境で何時までも居りたいと思ったが登山目的なので、早速、バスを利用して登山口に向かう。バスを待っていると、もう、秋なのか、オニヤンマが飛んでいた。
登山は、結構、急な登りもあり、ヒュッテにたどり着いたのは、夕方。
夕方の高原を散策、晩はカレーライスを食べて寝た。
翌朝は5時位に起床。朝焼けで山霧が真っ赤に染まっていて、素晴らしい眺めだった。
軽い朝食をとって早速出発。残りの行程は僅かなので昼前には頂上に到着。
途中で雷鳥の親子7羽とご対面。
下山の方が堪えた。登山口にたどり着くともうフラフラで帰りの大阪までの直行列車を待つ。
戸隠蕎麦の店で一杯やって過ごす。蕎麦は、たいした事はなかった。
冬のスクーリングで北川先生にこの事を話した。「8月には、僕はもう山を降りていて、お会い出来ず残念でした。」
雷鳥の親子の話をしたら、先生もご覧になっていたらしく、「ほう、元気でしたか。」と話されていた。
非常に美しい山なので、また、登ってみたいと思う。
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