現代仏教の実践としての「看護論」2008/02/14 23:35

『仏教看護論』藤腹明子著 三輪書店

 大阪の旭屋書店は、医療・看護関係の書籍に力を入れている。
 私は、看護や医療等とは無縁の人間だが、医学書や看護関係の本を立ち読みするのが好きである。
 「仏教看護」と言う言葉をこれまで聞いた事はなかった。
 佛大通信の応用社会学科で、選択科目であったと記憶しているが、保健・医療社会学を履修した。担当は藤田和夫先生で、国立精神衛生研究所におられた方で、看護技術にも詳しい。
 応用社会学科のスクーリングには、看護師の方が多く来られていた。そうして、実に自分のビジョンを明確に持っており、熱心な学生さんが多く、パワーポイント等を使用した発表等も手慣れた感じでなんなくこなして行くのを眩しい思いで見ていた事を記憶している。
 藤田先生は、同時に社会学の研究方法の内、統計学的な手法にも詳しく、『調査研究ステップアップ パソコンを使えばこんなに簡単』(日本看護協会出版会)の著書も書かれている。
 社会学部で私が学んだのは、臨床社会学の応用としての保健・医療社会学であり、そのコンセプト自体を仏教の観点から扱ったものではなかった。
 そういえば、「仏教社会学」という学問分野も未だ定義されていないのではないだろうか。佛教大学の社会学部の先生でも、この言葉を話されたのを聞いた事実はない。
 ところが、藤腹明子氏(国立京都病院附属高等看護学院を卒業された後、佛教大学文学部仏教学科を卒業されている)によるこの本は、佛教の観点に立った医療・看護論を展開されている。
 これは、本当にユニークなことだと思う。
 特に第2章の仏教看護の主要概念では、①人は、五蘊仮和合としての存在である、②人間は常に変化変転し続けている存在である。③人間は過去・現在・未来の時間を生きている。④人間は他のものとの関係の中で共存共生している存在である。⑤人間は煩悩を持った存在であるとともに同時に自己表現に向かう存在である。⑥人間は独自性を有した唯一無二の存在である。という、6つの定義づけを行った後、病と苦しみ、そして健康とは何か。仏教から見た生活や環境という概念について述べている。
 医療や看護には、プライマリケアやターミナルケア等の概念が含まれてくるが、病は、結局、縁起によってもたらされたものであり、その因果関係を究明する事で、発症や病の進行を防ぐ事が可能であると指摘されている点に感心させられた。
 また、死の恐怖を、どの様に取り除くかも結局、苦痛を和らげる事にもつながってくるだろう。
 第3章以下は、具体的な看護論であり、専門家でないものには判りにくいが、第5章で、「看護とは、結局、人間関係である。人間関係も常に縁起、因果関係によって変化して、新たな作られたり、破綻したりする。」とまとめられている点が面白い。
 佛教大学では、仏教理論を「仏陀の教え」等の科目で学習するが、どうしても大昔に生まれた思想で、我々の生活とは関係ないと考えがちで、知識として考えても「生活実践」として仏教を考える機会はあまりない。
 ところが、この本を読めば、仏教が、どんなに私たちの生活と深い関わりを持つ「生活宗教」である点に気づかされる。
 仏教と現代社会の接点については、様々な思想家や作家が書物を著されているが、どれも難しく、高級で凡庸な私には、今ひとつ具体的ではない。
 しかし、最も身近な「私達の身体と病気、医療」という点が仏教とどの様に関わってくるかについて知ることで、仏教思想への理解が進むだろう。
 内容については、著書の思いこみはなく、「仏陀のことば スッタニパータ」や「法句経」等、正確に仏典を引いて、その内容と仏教看護の現実との関わりを説明されている事を付け加えておきたい。
 仏教の実践としては、僧侶による冠婚葬祭の儀式、伝道・教化、地域コミュニティの育成、文化財の保護等の活動が主に考えられがちであるが、本来の仏教のあり方に最も近いのが、医療、看護、介護の世界でないだろうか。また、看護は科学でもある。私は、科学と仏教との関わりについてもつねづね考えているが、この本では、それが具体的な形で示されている点にも注目される。

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