源氏物語絵巻と「愛敬」という言葉 ― 2008/05/03 11:26
国宝源氏物語絵巻の竹河巻(上段)を見ていて唖然とした。
構図が、橋姫巻と瓜二つである。
蔵人の少将が姫君達を右手から垣間見る内部は、並行画法が描かれており、その左手に姫君達が位置する点までも同じである。
きっと、同じ絵師が書いたに違いない。
詞書の書き手についても小松茂美氏による十巻本想定復元表によれば、竹河と橋姫の書風は、同じⅣ類に属しており、同じ絵師と詞書(筆者)のグループによる制作であると推定される。
どちらが先の執筆であるかと言う事になるが、橋姫の詞書は、竹河に比べて垣間見の視点移動がより明確に示されており、景色の描写も具体的であるので、こちらの方が着手しやすかった見えるので、こちらが先である可能性もある。
また、構図も竹河巻の方が一層複雑でありながら、詳細・鮮明な描画手法が巧妙である。特に橋姫の場合は、姫君が琵琶の撥を持っている姿勢が不自然であったが、こちらは、そういったぎこちなさがなくて自然に描かれている。
もっと面白いのは、詞書部分である。源氏物語大成によれば、橋姫は、保坂家本に近いが、青表紙本系の姫君の姿態を表す自動詞「よしづく」が「愛敬づく」に変えられているのは、絵巻物の詞書として本文を加工する際に生じた改変だと卒論草稿では指摘したが、竹河巻では、「桜の細長、山吹などのあひたる色あひのなつかしきほどに重なりたる裾まで、愛敬のこぼれ落ちたるやうに見ゆる。」とあり、ここでは、青表紙本の本文も絵巻詞書も「愛敬」という言葉を採用している点である。
つまり、場面の絵画化に「愛敬」という言葉は、非常に適した表現なのだろうが、青表紙本の橋姫巻の詞書には見られない。その理由については、2通りの考え方がある。
①絵巻物詞書では、竹河巻の詞書と整合性を持たせる為に、「愛敬」という言葉に書き換えた。
②絵巻物の詞書として、もととなった12世紀前半に通用していた源氏物語の本文の橋姫巻には、「愛敬」という言葉が書かれていた。
以上の2説が考えられる。ちなみに修士論文の時にこれだけに大部分の作業時間を取られてしまった源氏物語本文データベース(中段・下段)で検索してみると、竹河巻以外に、57件がヒット。この内、須磨明石巻以降の第2部と第3部(匂兵部卿以降)に五〇件が集中して見られ、絵巻物として残存している柏木、竹河、宿木、東屋巻には、複数箇所が見られ、非常に出現頻度が高い。
こういった点から考えれば、もともとの橋姫巻詞書には、「愛敬」という言葉が存在していたのが、何らかの理由で青表紙本以降の本文では失われてしまった可能性が高く、②説の方が妥当という事になってしまう。
そうなれば、卒論草稿で書いていた絵巻物場面と整合を図る為に本文が改変されたとした仮説は、覆される事になる。
いよいよ迷路入りという事になってしまった。
構図が、橋姫巻と瓜二つである。
蔵人の少将が姫君達を右手から垣間見る内部は、並行画法が描かれており、その左手に姫君達が位置する点までも同じである。
きっと、同じ絵師が書いたに違いない。
詞書の書き手についても小松茂美氏による十巻本想定復元表によれば、竹河と橋姫の書風は、同じⅣ類に属しており、同じ絵師と詞書(筆者)のグループによる制作であると推定される。
どちらが先の執筆であるかと言う事になるが、橋姫の詞書は、竹河に比べて垣間見の視点移動がより明確に示されており、景色の描写も具体的であるので、こちらの方が着手しやすかった見えるので、こちらが先である可能性もある。
また、構図も竹河巻の方が一層複雑でありながら、詳細・鮮明な描画手法が巧妙である。特に橋姫の場合は、姫君が琵琶の撥を持っている姿勢が不自然であったが、こちらは、そういったぎこちなさがなくて自然に描かれている。
もっと面白いのは、詞書部分である。源氏物語大成によれば、橋姫は、保坂家本に近いが、青表紙本系の姫君の姿態を表す自動詞「よしづく」が「愛敬づく」に変えられているのは、絵巻物の詞書として本文を加工する際に生じた改変だと卒論草稿では指摘したが、竹河巻では、「桜の細長、山吹などのあひたる色あひのなつかしきほどに重なりたる裾まで、愛敬のこぼれ落ちたるやうに見ゆる。」とあり、ここでは、青表紙本の本文も絵巻詞書も「愛敬」という言葉を採用している点である。
つまり、場面の絵画化に「愛敬」という言葉は、非常に適した表現なのだろうが、青表紙本の橋姫巻の詞書には見られない。その理由については、2通りの考え方がある。
①絵巻物詞書では、竹河巻の詞書と整合性を持たせる為に、「愛敬」という言葉に書き換えた。
②絵巻物の詞書として、もととなった12世紀前半に通用していた源氏物語の本文の橋姫巻には、「愛敬」という言葉が書かれていた。
以上の2説が考えられる。ちなみに修士論文の時にこれだけに大部分の作業時間を取られてしまった源氏物語本文データベース(中段・下段)で検索してみると、竹河巻以外に、57件がヒット。この内、須磨明石巻以降の第2部と第3部(匂兵部卿以降)に五〇件が集中して見られ、絵巻物として残存している柏木、竹河、宿木、東屋巻には、複数箇所が見られ、非常に出現頻度が高い。
こういった点から考えれば、もともとの橋姫巻詞書には、「愛敬」という言葉が存在していたのが、何らかの理由で青表紙本以降の本文では失われてしまった可能性が高く、②説の方が妥当という事になってしまう。
そうなれば、卒論草稿で書いていた絵巻物場面と整合を図る為に本文が改変されたとした仮説は、覆される事になる。
いよいよ迷路入りという事になってしまった。
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