ヨーロッパでも流行。簡単携帯 ― 2008/06/08 00:10

携帯電話ではらくらくフォンベーシックを引き続き愛用している。
すごく使いやすいし、キーボードの操作も快適だ。写真が撮れなくても殆ど不自由しない。
なによりも動作がシンプルで信頼性が高く、バッテリーも長持ちのところがオキニの理由。
こうした簡単携帯がヨーロッパでも流行って来ている。
http://www.asahi.com/car/italycolumn/TKY200806050218.html
機能満載よりも使い安いものを使いたがる合理主義は、日本人よりもさすが進んでいるらしい。
僕のらくらくフォンは石けんの様なデザインで、その軽さが気に入っている。どうせなら、石けんの匂いがする香料等もついていたら、楽しいのにと思う。
すごく使いやすいし、キーボードの操作も快適だ。写真が撮れなくても殆ど不自由しない。
なによりも動作がシンプルで信頼性が高く、バッテリーも長持ちのところがオキニの理由。
こうした簡単携帯がヨーロッパでも流行って来ている。
http://www.asahi.com/car/italycolumn/TKY200806050218.html
機能満載よりも使い安いものを使いたがる合理主義は、日本人よりもさすが進んでいるらしい。
僕のらくらくフォンは石けんの様なデザインで、その軽さが気に入っている。どうせなら、石けんの匂いがする香料等もついていたら、楽しいのにと思う。
源氏物語大島本を顕微鏡観察してみると....驚くべき発見が ― 2008/06/08 10:45
昨日、午後1時30分から、京都文化博物館別館にて中古文学会関西部会第19回例会「源氏物語千年紀記念シンポジウム」が開催された。
今回のテーマは、「大島本源氏物語の再検討」
最初に京都博物館館長の神戸女子大学の北山円正館長が挨拶され、その後、本題に入った。
龍谷大学客員教授の藤本孝一氏は、「写本学」の権威であり、何万という典籍の調査、補修等を手がけられて来た。今回、京都文化博物館蔵の「大島本源氏物語」の管理・調査を担当されている。
事前に、「食い裂き」と呼ばれる紙の切り接ぎの実演等が行われた。簡単に継ぎ目が無く、紙を切ってつなぎ合わせる事が出来る。その証拠として、墨の一部が残ったり、文字が歪んだりするが、例えば、柏木巻の巻末で巻末が中途で終わっている部分があるが、その様な場合に敢えて、その様な本文であると解釈、注釈されかねない。ところが実際には改編されている場合もある。
大島本については、調査の結果、江戸時代まで何度も校訂されており、食い裂きによって本文移動、補修が生じている。
例えば柏木巻巻末の本文は、座右の源氏物語大成で、私が調査したところでは、次の通りである。(濁点を加えて、漢字を交えた文章に書きなおしてある。)
「この若君を御心ひとつにかたみとみなしたてまつる人の思ひよらぬことなれば、いと悲し。秋つかたになれば、この君はいざりなど。」
と中途で終わっている。例えば、河内本系の本文であれば、
「この君はひゐざりなどし給ふさまのいふよしもなうおかしげなれば、人目のみにもあらず。まことにいと悲しと思い聞こえ給ひて常にいたきもてあそびきこえ給う。」
別本系亜理莫本、麥生本では、
「この君、這いいざりなどし給(ふ)。」とある。
例えば、従来の国文学科の演習では、清水好子先生が、「この部分は大島本は敢えて途中で切断された様に終わって余韻をもたせているのですね。河内本では、より説明的な解釈が加えられており、これが、この系統の本文の特色なのです。別本系については、様々な例があり、判断しかねますが、末流の本には、この様に書かれているものもあったのでしょう。」と言われた事が私の口伝聞き書きに記録されているが、実際の大島本をみない限りは、これが正論と言え、例えば、拙論の「大和物語の切断形式」に挙げた源氏物語の若菜下や夢浮橋巻にもこの様な解釈が成り立つ。
ところが!!!
大島本のこの部分を顕微鏡で観察してみると、
「あるではないか。」
非常に微細であるが削除痕が認められる。更に、削除、切り取りした後を「食い裂き」法で殆ど見た目にはわからぬ様にされている。
光線で透かしてみると紙質の違い(繊維の方向が微妙にことなることや色合い等の違い)が認められる。
この写本を親本として、書写する人は、まして、老眼の定家卿等は、なんの疑いもなく、そのまま、末尾部分が欠落した形が正本として書写した可能性もある。
大島本も大部分が青表紙系本文によっているが部分的には、河内本や三条西家本が混合された部分がある。従って、もともと大島本には、河内本や別本系の本文が採用されているが、他の青表紙系本文では、末尾が切断されているので、青表紙本としての統一性をもたせる為にこの部分を削除した可能性も考えられる。
いずれにもしても現代の我々には、判断がつかないところが恐ろしい。
藤本孝一先生は、「皆様方が目の前にしているこの本の姿以外は信じてはなりません。削除、ミセケチといったものを一端は無視して、写本として仕上がった姿が正しいと考える以外にありません。」
つまりは、どの写本もそれだけの存在では、「正本」であるという事だ。
次に法政大学の加藤昌嘉氏が、「本文研究をしていて思うこと。」、慶応大学の佐々木孝浩氏が「二つの定家本源氏物語の再検討」、大阪大学の加藤洋介氏が「大島本源氏物語の本文成立事情、若菜下巻の場合」についてを発表されたが、加藤昌嘉氏は、次の様な疑問点を提示された。
①明融本は、定家本の臨模本であると断定出来るのであろうか。
②定家本といっても定家が書いたのは本の一部であり、右筆が書いた本も定家本と言えるのか。
③池田亀鑑の源氏物語大成以来、現代の注釈書等では、大島本が定家本、明融本に次ぐ重要伝本として扱い、底本としているが、果たして、大島本をそこまで信用する事が出来るのか。
④定家本、明融本、大島本以外の青表紙本の扱い、そして、青表紙本として分類されることに意義。
⑤明融本と大島本を比較して2種類の定家本が存在したとする仮説は正しいのか。
等々の疑問点を出された。後の二氏もそれぞれの立場から大島本についての見解を示されたが、いずれも、大島本の絶対的な信頼性を否定するものであった。特に、大阪大学の加藤氏は、大島本は、室町期に数々行われた源氏物語の書写作業の中で、特に三条西家本の様な当時、一般的であった本文をベースに、河内本や別本系の本文を加えた混合本文であると話されていた事が印象に残った。
今回のテーマは、「大島本源氏物語の再検討」
最初に京都博物館館長の神戸女子大学の北山円正館長が挨拶され、その後、本題に入った。
龍谷大学客員教授の藤本孝一氏は、「写本学」の権威であり、何万という典籍の調査、補修等を手がけられて来た。今回、京都文化博物館蔵の「大島本源氏物語」の管理・調査を担当されている。
事前に、「食い裂き」と呼ばれる紙の切り接ぎの実演等が行われた。簡単に継ぎ目が無く、紙を切ってつなぎ合わせる事が出来る。その証拠として、墨の一部が残ったり、文字が歪んだりするが、例えば、柏木巻の巻末で巻末が中途で終わっている部分があるが、その様な場合に敢えて、その様な本文であると解釈、注釈されかねない。ところが実際には改編されている場合もある。
大島本については、調査の結果、江戸時代まで何度も校訂されており、食い裂きによって本文移動、補修が生じている。
例えば柏木巻巻末の本文は、座右の源氏物語大成で、私が調査したところでは、次の通りである。(濁点を加えて、漢字を交えた文章に書きなおしてある。)
「この若君を御心ひとつにかたみとみなしたてまつる人の思ひよらぬことなれば、いと悲し。秋つかたになれば、この君はいざりなど。」
と中途で終わっている。例えば、河内本系の本文であれば、
「この君はひゐざりなどし給ふさまのいふよしもなうおかしげなれば、人目のみにもあらず。まことにいと悲しと思い聞こえ給ひて常にいたきもてあそびきこえ給う。」
別本系亜理莫本、麥生本では、
「この君、這いいざりなどし給(ふ)。」とある。
例えば、従来の国文学科の演習では、清水好子先生が、「この部分は大島本は敢えて途中で切断された様に終わって余韻をもたせているのですね。河内本では、より説明的な解釈が加えられており、これが、この系統の本文の特色なのです。別本系については、様々な例があり、判断しかねますが、末流の本には、この様に書かれているものもあったのでしょう。」と言われた事が私の口伝聞き書きに記録されているが、実際の大島本をみない限りは、これが正論と言え、例えば、拙論の「大和物語の切断形式」に挙げた源氏物語の若菜下や夢浮橋巻にもこの様な解釈が成り立つ。
ところが!!!
大島本のこの部分を顕微鏡で観察してみると、
「あるではないか。」
非常に微細であるが削除痕が認められる。更に、削除、切り取りした後を「食い裂き」法で殆ど見た目にはわからぬ様にされている。
光線で透かしてみると紙質の違い(繊維の方向が微妙にことなることや色合い等の違い)が認められる。
この写本を親本として、書写する人は、まして、老眼の定家卿等は、なんの疑いもなく、そのまま、末尾部分が欠落した形が正本として書写した可能性もある。
大島本も大部分が青表紙系本文によっているが部分的には、河内本や三条西家本が混合された部分がある。従って、もともと大島本には、河内本や別本系の本文が採用されているが、他の青表紙系本文では、末尾が切断されているので、青表紙本としての統一性をもたせる為にこの部分を削除した可能性も考えられる。
いずれにもしても現代の我々には、判断がつかないところが恐ろしい。
藤本孝一先生は、「皆様方が目の前にしているこの本の姿以外は信じてはなりません。削除、ミセケチといったものを一端は無視して、写本として仕上がった姿が正しいと考える以外にありません。」
つまりは、どの写本もそれだけの存在では、「正本」であるという事だ。
次に法政大学の加藤昌嘉氏が、「本文研究をしていて思うこと。」、慶応大学の佐々木孝浩氏が「二つの定家本源氏物語の再検討」、大阪大学の加藤洋介氏が「大島本源氏物語の本文成立事情、若菜下巻の場合」についてを発表されたが、加藤昌嘉氏は、次の様な疑問点を提示された。
①明融本は、定家本の臨模本であると断定出来るのであろうか。
②定家本といっても定家が書いたのは本の一部であり、右筆が書いた本も定家本と言えるのか。
③池田亀鑑の源氏物語大成以来、現代の注釈書等では、大島本が定家本、明融本に次ぐ重要伝本として扱い、底本としているが、果たして、大島本をそこまで信用する事が出来るのか。
④定家本、明融本、大島本以外の青表紙本の扱い、そして、青表紙本として分類されることに意義。
⑤明融本と大島本を比較して2種類の定家本が存在したとする仮説は正しいのか。
等々の疑問点を出された。後の二氏もそれぞれの立場から大島本についての見解を示されたが、いずれも、大島本の絶対的な信頼性を否定するものであった。特に、大阪大学の加藤氏は、大島本は、室町期に数々行われた源氏物語の書写作業の中で、特に三条西家本の様な当時、一般的であった本文をベースに、河内本や別本系の本文を加えた混合本文であると話されていた事が印象に残った。
最近のコメント