ようやく山梨到着、東海地区は遠い。 ― 2008/06/09 11:54
源氏絵巻も餓鬼草紙も地獄草紙ももともと絵巻ではなかった? ― 2008/06/09 23:03
6月8日付の「源氏物語大島本を顕微鏡観察してみると」の記事
http://fry.asablo.jp/blog/2008/06/08/3567640
で取りあげた龍谷大学客員教授の藤本孝一先生が書かれた『日本の美術№505 文書・写本の作り方』をジュンク堂書店で購入した。
関西大学の田中登教授が紹介された中で、この本の事を取りあげられていたので、早速、インターネットで検索し、この本にたどり着いた。
この本は、非常に革新的である。日本の絵巻物美術史の基本概念が覆される可能性さえある。
それは、三宝絵詞等の例は知られていても餓鬼草紙や国宝源氏物語絵巻、春日権記絵、病草紙、当麻曼荼羅縁起等の従来、詞書と絵の部分が連続していたとされている作品の大部分が詞書と絵画の部分が分断されていた形で、当初は存在していたと書かれている。
これらは、この間の記事で紹介した喰い裂きの技術で、詞書と絵画の部分が結合された。
その時代は、源氏物語絵巻では、近世初期まで下る可能性があるという。また、綴じ穴、折り線等から見て、これらの絵巻ものは、絵巻物ではなくて冊子本であった可能性があるという。
私の卒業論文では、藤本先生の様な書誌学的な考察によらず、例えば、これも以前、書いた様に源氏物語絵巻の詞書本文が別本系の保坂家本をベースに加工が施されたのか、あるいは、系統が近い本文を有する祖本に由来すると推定しており、更に、先日の源氏物語千年紀展でも展示されている通り、保坂家本は、小型の升形本であり、こうした形態は、絵冊子と詞書を同時に別々の場所で開いて鑑賞するのに便利な様に工夫されたとの結果だとした。
また、玉上氏の源氏物語音読論、清水好子氏の場面と空間の表現論等から、源氏物語の本文自体が絵冊子と同時に鑑賞されるべく制作された可能性を示唆した。
藤本先生による指摘は、私の論考には追い風になるものと考えている。
また、浄土学関係の文献についても触れられており、選択本願集(廬山寺本)の当初の装幀について考察では、この選択集は、全面相へぎされており、本紙を剥がした2枚にされている。これによってより巻子本等より大きなサイズの装幀への変更が可能になる。
相へぎについては、今から、30年前に、関西大学の学生時代に神堀忍先生からも万葉集の写本でその様なことが行われているものがあると聞いた事を記憶している。
そんなことはどうでも良く、結局、私たちが、絵巻物や巻子本として認識しており、それがより古態をとどめているという認識は、こうした写本学の進歩によって全く改めなければならない段階にやってきている。
特に源氏物語絵巻の享受については、これまでは、その様なイメージが前提にあっただけに大きな衝撃であり、また、そうなれば、国宝源氏物語の詞書は、詞書ではなくて、立派な物語本文の写本であったという恐るべき認識が成り立ってくるのである。
そうなれば、源氏物語の成立論の研究も一つの突破口が開けた事になるのではないだろうか。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/06/08/3567640
で取りあげた龍谷大学客員教授の藤本孝一先生が書かれた『日本の美術№505 文書・写本の作り方』をジュンク堂書店で購入した。
関西大学の田中登教授が紹介された中で、この本の事を取りあげられていたので、早速、インターネットで検索し、この本にたどり着いた。
この本は、非常に革新的である。日本の絵巻物美術史の基本概念が覆される可能性さえある。
それは、三宝絵詞等の例は知られていても餓鬼草紙や国宝源氏物語絵巻、春日権記絵、病草紙、当麻曼荼羅縁起等の従来、詞書と絵の部分が連続していたとされている作品の大部分が詞書と絵画の部分が分断されていた形で、当初は存在していたと書かれている。
これらは、この間の記事で紹介した喰い裂きの技術で、詞書と絵画の部分が結合された。
その時代は、源氏物語絵巻では、近世初期まで下る可能性があるという。また、綴じ穴、折り線等から見て、これらの絵巻ものは、絵巻物ではなくて冊子本であった可能性があるという。
私の卒業論文では、藤本先生の様な書誌学的な考察によらず、例えば、これも以前、書いた様に源氏物語絵巻の詞書本文が別本系の保坂家本をベースに加工が施されたのか、あるいは、系統が近い本文を有する祖本に由来すると推定しており、更に、先日の源氏物語千年紀展でも展示されている通り、保坂家本は、小型の升形本であり、こうした形態は、絵冊子と詞書を同時に別々の場所で開いて鑑賞するのに便利な様に工夫されたとの結果だとした。
また、玉上氏の源氏物語音読論、清水好子氏の場面と空間の表現論等から、源氏物語の本文自体が絵冊子と同時に鑑賞されるべく制作された可能性を示唆した。
藤本先生による指摘は、私の論考には追い風になるものと考えている。
また、浄土学関係の文献についても触れられており、選択本願集(廬山寺本)の当初の装幀について考察では、この選択集は、全面相へぎされており、本紙を剥がした2枚にされている。これによってより巻子本等より大きなサイズの装幀への変更が可能になる。
相へぎについては、今から、30年前に、関西大学の学生時代に神堀忍先生からも万葉集の写本でその様なことが行われているものがあると聞いた事を記憶している。
そんなことはどうでも良く、結局、私たちが、絵巻物や巻子本として認識しており、それがより古態をとどめているという認識は、こうした写本学の進歩によって全く改めなければならない段階にやってきている。
特に源氏物語絵巻の享受については、これまでは、その様なイメージが前提にあっただけに大きな衝撃であり、また、そうなれば、国宝源氏物語の詞書は、詞書ではなくて、立派な物語本文の写本であったという恐るべき認識が成り立ってくるのである。
そうなれば、源氏物語の成立論の研究も一つの突破口が開けた事になるのではないだろうか。
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