ウォーキングは趣味というかスポーツ ― 2009/02/16 09:22
ウォーキングは、ようやく島根に到着。
鳥取から島根への距離の長かったこと。現在、山口に向かっている。まさに、日本海(裏日本)街道まっしぐらだ。
いくら歩いてもウォーキングでは、体重は減らない。朝の番組を録画したものをみていると、「ウォーキングでは、痩せない。」といっていた。
心肺運動にはなるが、体組成を改善させる効果はない。つまり、筋力トレーニングにはならないという。もし、ウォーキングでそうした要素を入れるとすれば、速く距離を歩くよりも、ゆっくりと短距離を足(もも)を出来るだけ垂直に近く上げて、ゆっくりと歩く必要があるが、道で人にみられたら恥ずかしい。
だから、足踏み運動を毎日続けた方が効果的らしい。
つまり、ウォーキングは趣味というかスポーツなので、そうした位置づけで良いと思う。
鳥取から島根への距離の長かったこと。現在、山口に向かっている。まさに、日本海(裏日本)街道まっしぐらだ。
いくら歩いてもウォーキングでは、体重は減らない。朝の番組を録画したものをみていると、「ウォーキングでは、痩せない。」といっていた。
心肺運動にはなるが、体組成を改善させる効果はない。つまり、筋力トレーニングにはならないという。もし、ウォーキングでそうした要素を入れるとすれば、速く距離を歩くよりも、ゆっくりと短距離を足(もも)を出来るだけ垂直に近く上げて、ゆっくりと歩く必要があるが、道で人にみられたら恥ずかしい。
だから、足踏み運動を毎日続けた方が効果的らしい。
つまり、ウォーキングは趣味というかスポーツなので、そうした位置づけで良いと思う。
稔典先生と梅のイメージ ― 2009/02/16 12:42
今日も、稔典先生の記事が毎日新聞に出ていた。母親が教えてくれた。
「また、稔典先生の記事が載っているよ。」と老いた母が指さす。
きっとエライ人の俳句が引用されており、そういったことには、興味がないので記憶していない。
坪内先生の文章には、入院している老母の元に紅梅がおかれていて、その花が終わると同時に手遅れのガン患者である母親が亡くなられたようなことが、書かれていた。
稔典先生の記憶にあるらしく、紅梅に対して良い印象を持っていない。しかし、梶井の桜の木のイメージほど不吉なものではないらしい。
それにしても、ますます私は俳句が嫌いになった。
紅梅=亡くなった老母のイメージ
と短絡的にイメージ化してしまうのが、俳句のゲイジツとして評価出来ない点である。紅梅といっても種類は山ほどあるし、同じ樹でも良くみると、年に寄って紅梅でも色の濃さや微妙な色彩が違う。
今年は、温暖な冬であったので、十分に水分を吸って元気よく早い時期に開花したので、色は薄い目になるようだ。
母は、稔典先生の岩波新書の季語集を買ってやってから、この本をずっと手放さず、トイレにも持っていく座右の友ならぬ、「便右の友」にしてしまって居るのには閉口だ。暇つぶしに読むには面白い本らしい。
「君の母親は一体何歳位の人なんですか。」と季語集の話をした折に、先生は、私に尋ねられた。
梅の花と共に死に別れた母親のことをイメージしていたのかもしれない。その時、先生のお顔に少し、哀しそうな影がよぎるのを私は見逃さなかった。
「また、稔典先生の記事が載っているよ。」と老いた母が指さす。
きっとエライ人の俳句が引用されており、そういったことには、興味がないので記憶していない。
坪内先生の文章には、入院している老母の元に紅梅がおかれていて、その花が終わると同時に手遅れのガン患者である母親が亡くなられたようなことが、書かれていた。
稔典先生の記憶にあるらしく、紅梅に対して良い印象を持っていない。しかし、梶井の桜の木のイメージほど不吉なものではないらしい。
それにしても、ますます私は俳句が嫌いになった。
紅梅=亡くなった老母のイメージ
と短絡的にイメージ化してしまうのが、俳句のゲイジツとして評価出来ない点である。紅梅といっても種類は山ほどあるし、同じ樹でも良くみると、年に寄って紅梅でも色の濃さや微妙な色彩が違う。
今年は、温暖な冬であったので、十分に水分を吸って元気よく早い時期に開花したので、色は薄い目になるようだ。
母は、稔典先生の岩波新書の季語集を買ってやってから、この本をずっと手放さず、トイレにも持っていく座右の友ならぬ、「便右の友」にしてしまって居るのには閉口だ。暇つぶしに読むには面白い本らしい。
「君の母親は一体何歳位の人なんですか。」と季語集の話をした折に、先生は、私に尋ねられた。
梅の花と共に死に別れた母親のことをイメージしていたのかもしれない。その時、先生のお顔に少し、哀しそうな影がよぎるのを私は見逃さなかった。
オオイヌノフグリ(修正) ― 2009/02/16 22:30
佛教大学の応用社会学科(通信)に在籍していた時に数回もレポートがD評価で落とされた(落第で郵送(返送)されて来て、表紙に赤字で課題とかかかねばならず、屈辱的であっった。)のが、関谷龍子先生のテキスト履修(通信でテキストを読み、最終試験を受けて合格になる。)であった。最終試験は、合格しても、何度チャレンジしても、レポートは通らない。
課題は、水俣病公害についてであり、図書館で判例集やこれ以上、集まらないだろう程の資料を収集してレポートを書いても通らない。何度、書いても落第だ。やっと何回か提出を重ねて、自分の視点がずれている(公害についての調査レポートではなくて、公害を産み出した社会の構造的背景を分析・記述すること)ということを教えていただき、先生の指示通りに書き直して、合格点をいただいた。その後、先生にスクーリングや卒業論文の指導をしていただいたが、その時の社会学講読のテキストとして使われたのが、五十嵐敬喜著の『「都市再生」を問う』(岩波新書832)であった。
その中で、戦後の乱開発とスラム街の形成の典型例として、取りあげられていたのが、栄根B地区である。私は幼時は、その栄根B地区で育ったが、家の事情から小豆島に預けられた。
2~3年後、学校教育を受ける為にこの地区に戻って来たが、色々と嫌になることが多かった。そうして、ただ1人で、小豆島での生活を懐かしみながら、能勢電鉄の国鉄川西駅(川西池田駅)までの延伸線(今は廃線)と阪急宝塚線の間の土手に遊びにいった。当時は、蒸気機関車が構内で貨車の接続等の作業をしており、それが非常に面白く、良く出かけていった。
その折りに早春に可憐な花を咲かせているこのオオイヌノフグリの花を見つけて、春の到来を知ったのである。
(半分、フィクションでしょって・・・・それは、読者の想像におまかせする。)
課題は、水俣病公害についてであり、図書館で判例集やこれ以上、集まらないだろう程の資料を収集してレポートを書いても通らない。何度、書いても落第だ。やっと何回か提出を重ねて、自分の視点がずれている(公害についての調査レポートではなくて、公害を産み出した社会の構造的背景を分析・記述すること)ということを教えていただき、先生の指示通りに書き直して、合格点をいただいた。その後、先生にスクーリングや卒業論文の指導をしていただいたが、その時の社会学講読のテキストとして使われたのが、五十嵐敬喜著の『「都市再生」を問う』(岩波新書832)であった。
その中で、戦後の乱開発とスラム街の形成の典型例として、取りあげられていたのが、栄根B地区である。私は幼時は、その栄根B地区で育ったが、家の事情から小豆島に預けられた。
2~3年後、学校教育を受ける為にこの地区に戻って来たが、色々と嫌になることが多かった。そうして、ただ1人で、小豆島での生活を懐かしみながら、能勢電鉄の国鉄川西駅(川西池田駅)までの延伸線(今は廃線)と阪急宝塚線の間の土手に遊びにいった。当時は、蒸気機関車が構内で貨車の接続等の作業をしており、それが非常に面白く、良く出かけていった。
その折りに早春に可憐な花を咲かせているこのオオイヌノフグリの花を見つけて、春の到来を知ったのである。
(半分、フィクションでしょって・・・・それは、読者の想像におまかせする。)


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