稔典先生と梅のイメージ2009/02/16 12:42

 今日も、稔典先生の記事が毎日新聞に出ていた。母親が教えてくれた。

 「また、稔典先生の記事が載っているよ。」と老いた母が指さす。

 きっとエライ人の俳句が引用されており、そういったことには、興味がないので記憶していない。

 坪内先生の文章には、入院している老母の元に紅梅がおかれていて、その花が終わると同時に手遅れのガン患者である母親が亡くなられたようなことが、書かれていた。
 稔典先生の記憶にあるらしく、紅梅に対して良い印象を持っていない。しかし、梶井の桜の木のイメージほど不吉なものではないらしい。

 それにしても、ますます私は俳句が嫌いになった。

 紅梅=亡くなった老母のイメージ

と短絡的にイメージ化してしまうのが、俳句のゲイジツとして評価出来ない点である。紅梅といっても種類は山ほどあるし、同じ樹でも良くみると、年に寄って紅梅でも色の濃さや微妙な色彩が違う。

 今年は、温暖な冬であったので、十分に水分を吸って元気よく早い時期に開花したので、色は薄い目になるようだ。

 母は、稔典先生の岩波新書の季語集を買ってやってから、この本をずっと手放さず、トイレにも持っていく座右の友ならぬ、「便右の友」にしてしまって居るのには閉口だ。暇つぶしに読むには面白い本らしい。

 「君の母親は一体何歳位の人なんですか。」と季語集の話をした折に、先生は、私に尋ねられた。

 梅の花と共に死に別れた母親のことをイメージしていたのかもしれない。その時、先生のお顔に少し、哀しそうな影がよぎるのを私は見逃さなかった。

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