その後の研究成果2009/03/01 16:02

EeePc901のSSD(ソリッドステートメモリードライブ)について、色々と調べた結果、今更、判ったことがある。

まず、アクセス速度が速いタイプとノロイタイプの2種類のメモリードライブがあり、Cドライブの4GBは速いタイプ(SLC)、Dドライブは、遅いタイプ(MLC)となっている。

 SLCの方が価格が高いので、コストの関係で4GBと容量が小さなものが使われている。一方、Dドライブは、8GBと容量は倍だが、コストが安いMLCが使われている。

システムディスクの容量を増やす方法。

①CドライブとDドライブを入れ替える。すなわちDドライブのシステムをインストールして、BIOSでブートドライブ起動ドライブを変更する。この場合は、HDDウエアの増設等のコストも要らない。Dドライブにシステムを入れる方法は、下記に書かれている。
http://wiki.livedoor.jp/asus_eeepc/d/DVD%a5%c9%a5%e9%a5%a4%a5%d6%a4%ca%a4%b7%a4%c7%a5%ea%a5%ab%a5%d0%a5%ea%a4%b9%a4%eb%ca%fd%cb%a1
 しかし、やはり起動速度は遅いようだ。この場合もリカバリー目的でこんな回りくどいことがやっているのであるが、結局、Cドライブの起動ドライブを戻している。

②Dドライブを容量の大きなものに交換して、①と同様に起動ドライブに変更する。この場合には、交換SSDは、バッファローなんかで販売されており、MLCの遅いほうだと32GBで1万円位。バッファローでは、あくまでもDドライブの増設用として推奨している。尚、3万円位でSLCタイプのSSDが販売されているが、これだと全く問題なく、これが一番理想的だろう。

③SSDからHDDに載せ替える方法
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0718/asus.htm
に書かれている。大容量のドライブが低価格で手に入るが、1.8インチHDDとZIF変換アダプタが必要。HDDの厚みは、5㎜以内でないと筐体に入らない。Cドライブ(SSD)を除去しないと認識しないので、筐体全部を開ける開腹手術が必要(当然、保証は受けられなくなる)。また、フレキシブルフラットケーブルとソケットは非常に弱い構造なので、コネクターやケーブルの挿入作業は難しそうだ。この場合は、うまく行けば、通常のモバイルノートになるが、HDDに換装された分だけ電力消費が増えて、「自慢の8時間駆動」が出来なくなる。屋外で8時間もこんな使いにくいモバイルノートを使わないと思われるので、電池の持ちは気にする必要はないかも。しかし、折角、「全ての回転ディスクを排除。半導体ディスクのみで駆動するマシンという未来イメージのユニークさが失われてしまう。また、SSD(SLC)に比べてアクセス速度のベンチは、読み込みが劣り、書き込みは速いという。


一番、安全無害な方法は①(システムがトロくなるのを我慢する必要があるが、どの程度遅くなるのか判らないので恐い。)、②の方法もトロクなるが、32GBや64GBに拡張されるメリットの方がずっと大きいと思う。
③は、最終手段かな。

 取りあえず、お金に余裕が出来たら1万円位で32GBのMLCが入手出来そうなので、試してみることにする。

 実際に今まで、通常構成で使用してきた印象では、休止モードに無理に設定出来ないことはないが、その際のメモリー書き込みが凄く遅いので、実用的ではない。むしろ、そのままシャットダウンして起動した方が、ずっと速いので、休止モードを使用しない構成のシステムと考えた方が良いかもしれない。

 それにしても一時的にシステム営業をしていたことがあるが、その時販売していたキカイは、日本電気製で、HDDが1GBで、メモリーが64MB、グラフィックメモリーが数100MB位でこれでユニックスが動いて、これをサーバーにして、64MBのSSDを搭載した3端末を動かすという途方もないプリミティブな代物で価格が1000万円を越えていたことを考えると、凄いというかミラクルな進歩だと思う。

 1GBの不揮発性メモリーというのが超ハイテクの時代であった。

PSP専用のカメラ2009/03/01 22:57

PSP専用のカメラを購入した。

これで低解像度の写真(昔の携帯並み)とムービーが撮影出来る。
有効画素数131万画素である。

これで、ゲーム「日本のあそこで」でこれまでの様にCyberShotで撮影しなくても、直接、地図に写真を埋め込むことができるので、その場で、街角の店舗や施設等を入れた情報地図を作成することができるので、少し面白くなるかも。

 価格は、たしか5千円位、AMAZONで購入した。もう殆ど在庫がなくて、全国で新品はこれ1個だった。

 これでスカイプ等も専用のマイク付きヘッドフォンと組合せできるが、相手がいないので意味がない。

 試験撮影にロボちゃんにモデルになってもらいました。相変わらず、耳が遠くマヌケです。

 ビデオ画像はこちら 
http://www.youtube.com/watch?v=JWd_HCjQuME

上巳の祓2009/03/03 10:12

 先日、見学した岡山県立博物館では、様々な地域信仰と呪い(まじない)に関連するものが多かった。

 その中で注目されたのは、上巳の祓の儀式に用いられた形代等が展示されており、源氏物語の須磨の段が例を挙げて展示されていた。

 弥生の朔日に出で来たる巳の日、
 「今日なむ、かく思すことある人は、御禊したまふべき」
 と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流すを見たまふに、よそへられて、
 「知らざりし大海の原に流れ来て
  ひとかたにやはものは悲しき」
 とて、ゐたまへる御さま、さる晴れに出でて、言ふよしなく見えたまふ。
 海の面うらうらと凪ぎわたりて、行方も知らぬに、来し方行く先思し続けられて、
 「八百よろづ神もあはれと思ふらむ
  犯せる罪のそれとなければ」
 とのたまふに、にはかに風吹き出でて、空もかき暮れぬ。御祓へもし果てず、立ち騒ぎたり。肱笠雨とか降りきて、いとあわたたしければ、みな帰りたまはむとするに、笠も取りあへず。さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。波いといかめしう立ちて、人びとの足をそらなり。海の面は、衾を張りたらむやうに光り満ちて、雷鳴りひらめく。落ちかかる心地して、からうしてたどり来て、
 「かかる目は見ずもあるかな」
 「風などは吹くも、けしきづきてこそあれ。あさましうめづらかなり」
 と惑ふに、なほ止まず鳴りみちて、雨の脚当たる所、徹りぬべく、はらめき落つ。「かくて世は尽きぬるにや」と、心細く思ひ惑ふに、君は、のどやかに経うち誦じておはす。

の本文が名古屋博物館から借用した源氏物語の写本(近世の写本とみられる)と共に展示されていた。

 瀬戸内海洋文化圏をいうのがもし、存在するとすれば、和歌山から須磨・明石、備中、安芸、周防に至る山陽道の沿岸には、共通した文化が存在していると考えられる。例えば、和歌浦、淡島神社の雛流しの神事に始まり、岡山博物館の今回の展示の様に、やはり、上巳の祓いというのが年中行事で大きな意味を持っていたと考えられる。

 また、源氏物語のこの場面は、貴種流離譚との組合せで描かれている。
 形代を海に流して祓うというやり方の意義は、近世以降は、女児の健やかな生育の祈願、成人後に海洋神(わたつみがみ)への返礼としての意味が強かったが、源氏物語の時代には、日本の帝王のルーツとしての海竜王の存在と貴種・皇孫の繁栄といった意味合いが強いと考えられる。

 貴種流離譚については、慶応大学の折口信夫博士が論述しておられるが、光源氏が須磨に流されるというか赴くことを貴種流離のなぞらえて、日本神話との関連を含めて、その背景を考察されておられる。源氏物語の帚木巻にも巨大な怪魚の話が出てくる。源氏物語の作者は、帚木巻の時点で、須磨・明石への展開を予見しており、また、若紫巻でも同様の記述がみられる。しかし、その根源は、桐壺巻にみられる「原話」の段階で既に位置づけられている。

 桐壺巻では、桐壺帝・桐壺更衣・光源氏・藤壺の関係が語られる。
 桐壺更衣が、この世(生)への未練を残して病没し、その後は、桐壺帝、そして、生き写しの藤壺も源氏よりは、早く世をさり、結局、光源氏の晩年は、様々な屈曲があったにせよ、光源氏と若紫を中心とした世界である。また、夕霧といった嫡子もいるが、紫の上には子供は生まれなかった。この様な人生の展開への因果関係の「源」が、この上巳の祓の場面であると私は、考えている。

 上巳の祓で穢れを海に流した瞬間に暴風雨となり、海竜王が現れる。海竜王の言葉としては、

「いとあるまじきこと。これは、ただいささかなる物の報いなり。我は、位に在りし時、あやまつことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふるほど暇なくて、この世を顧みざりつれど、いみじき愁へに沈むを見るに、堪へがたくて、海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことのあるによりなむ、急ぎ上りぬる」
と自らの罪、すなわち、桐壺更衣との間に生まれた光源氏を皇子とせずに源氏として臣籍に下された罪のまがまがしさについて述べて、都にいる政敵、朱雀帝がたに災いを成すこととなる。

 こうして、光源氏が都に復帰するきっかけを作ることになるが、それは、此花咲夜姫と岩長姫の関係に比せられ、若紫を選び、末摘花(実際には、それ程の重要性を以て描かれていないが、象徴的な意義は大きい)を捨てる。(つまり、醜さは永遠の生につながり、美しさは、1世代限である。)

 こうして、光源氏は、神から人となったのである。

 その後の源氏は、若紫を伴侶とする人生を選ぶことにもなり、結果的には、光源氏に流れる帝王の血流は途絶えてしまうことになる。(その悲劇的宿命が、晩年の女三宮事件として蒸し返される。)

 上巳の祓は、海洋神への儀式であり、大和民族の祖先崇拝の原形が変化したものだと考えられる。

 海神は、怒り狂えば、恐ろしい祟りを成すと同時に、子孫の繁栄につながるという両面性を以ている。

 この両面性について更に考えると、結局は、大和人(やまとびと)の魂は、海から生まれ、海に帰っていき、再び海から再生すると、生死の際限ない繰り返しが続いているという死生観につながってくるのだと考えている。

寒の戻りは梅の花には良い2009/03/04 13:19

lumix-G1で撮影
 最近になって気温が下がり、季節が逆戻りとなっているが、梅の花は長持ちして良い。遅れて咲いた白梅が満開となり、垂れ梅や遅咲きの紅梅で、再び紅白の梅見が自宅で楽しめる状況となっている。写真は、LUMIXG1+ウルトラワイドヘリヤー15㎜(EXモード、S解像度で撮影)

ヘルゴラントの悲劇と奇跡2009/03/04 23:40

 ヘルゴラントは、アントン・ブルックナー(1824~1896)が、1893年8月に完成した男性合唱曲で、日頃から彼が愛していた男声合唱団フロージンの為に書いた曲で、彼が完成した最後の作品である。その後、交響曲第9番に着手するが、フィナーレは未完に終わる。

 ヘルゴラント島は、1890年までイギリス領であったが、その後、ドイツ国領となり、1936年には、ドイツのUボート基地となる。合唱曲ヘルゴラントは、ヘルゴラントがドイツ領となったこと及びウィーン男声合唱協会50周年を記念して作曲された。

 ヘルゴラントのサクソン人がローマ帝国に虐められていたのが、神によって救済されるという素朴な世俗カンタータでブルックナーが生前作曲した唯一の世俗合唱曲である。初演は、1893年10月。ウィーンフィルハーモニー及び男声合唱団。

 非常にマイナーな作品で、20年位前、NHKFM放送でロジェスト・ベンスキー指揮ソビエト文科省管弦楽団による演奏が放送されたのをカセットに録音、それをMDに移して聴いていたが2週間程前に誤って消去してしまって、途方に暮れていた。

 単純だが凄く良い曲なので、良くききこんでいたのに。まさに「ヘルゴラントの悲劇」だ。

 インターネット検索でようやくバレンボイムがシカゴ交響楽団(このCD)と最近のベルリンフィルとの全集で録音していたことが判明。入手に奔走していた。ベルリンフィルは、全集を買わないと入手できない。シカゴ交響楽団は、「ブルックナー交響曲0番」という超超マイナーな曲とのカップリングなので、殆ど流通しておらず、しかも、廃盤なので、中古盤の入手は絶望視していた。

 ところが、今日の夕方に大阪日本橋のディスクJJで発見。まさに「ヘルゴラントの奇跡」だ。こんなレアアイテムが一般の中古レコード屋で買えるなんて!!!!!

 日本橋は凄いところだと思った。

物語と民俗2009/03/05 09:44

 先日、上巳の祓と源氏物語の関係について書いたが、実際に最近の源氏物語の研究論文の中にも、この作品の民俗的な傾斜に注目したものがみられる様になっているが、多くの場合、重要な視点が欠けている場合が多いようである。

 つまり、それは、「何故、民俗的な事象が描かれているのか。」という根本的な問題を解決しないままに、並列的に事実を述べている論考が多いからで、これでは、論文の点数稼ぎ以外の他ならないものである。

 「物語と民俗」のテーマを考える場合には、まず、「物語とは何かという定義」から出発しなければならない。

 しかし、この定義は非常に難しい。私は、「伝承の複合・結合」と常々考えている。

 例えば、「Aの由来はBである」といった伝承そのものは、物語として成立することは難しい。それが、「Bに由来するAがCに作用して、Dという現象が創出された。」という複義性が成立した時点で、それは、物語としての存在価値を獲得したことになる。

 物語(源氏物語の登場人物が述べているフルモノガタリ)の多くは口承伝承であり、平安初期は、漢文の形で記録され、後期に入っては、仮名文で描かれたり、絵画化されたりする。

 平安時代の「物語」とは、こうしたフルモノガタリを仮名文字で記述し、その「詞書」を絵画化して楽しむ総合リクレーションなのである。だから、源氏物語絵合巻において、物語絵の優劣を競い合う。そうした中で、例の須磨・明石の物語絵も展覧される。

 ここで、須磨・明石巻で、現前の場面描写として描かれていた上巳祓と海竜王の登場の場面は、フルモノガタリの素材として扱われ、それが複合性を獲得し、「物語」として成立した訳である。

 私たちは、源氏物語のこの様な展開を分析することで平安朝物語文学の成立過程と本質の一端を知ることができる訳だ。
 
さて、物語と民俗との関係は、
 ①物語の主題、あるいは、登場人物が民俗的主題に基づく場合。
 ②物語の展開がフルモノタリをベースにした民俗的要素を含んでいる場合。
 ③物語に描かれている場面を写実的に描く場合に、日常的な生活文化や習俗の描写の中で、民俗的な要素が無意識に描かれている場合。
 以上3類型に分類される。源氏物語の場合は、特に複合的要素を多く含んでいるが、②と③の類型が多くの場合当て嵌まる。但し、末摘花等は、原話形を分析すれば、①の要素も含まれていることは、否定できない。

 平安朝物語文学の民俗的事象を研究・論考の対象・テーマとして取りあげる場合には、これらの要素・類型を混同、あるいは,意識せずに扱った場合には、何ら具体的な成果・方向性が得られないものと私は考えている。(エライ先生方にもこの様な方が多くおられる。)

 まぁ、それは、柳田民俗学を否定した現代民俗学の盲点であり、国文学だけの問題ではないことを佛大の通信教育で悟った訳だが。

ぶんぶっちのお散歩地図2009/03/05 10:29

 PSPゲーム「日本のあそこで」と専用カメラがあれば、好きなスポットを写真付きで登録できる。

 実際に専用カメラで登録するのは非常に簡単。また、地図上の位置の特定も無線LANスポットがデータベースに登録されているところであれば、「現在地にワープ」というコマンドで簡単に特定できるので、スポットを登録してカメラでカシャッとやるだけである。

 カメラは、デジカメ(1眼レフ)よりも使いやすい。液晶画面に等倍に大きな画面で表示されるので、構図の詳細も確認できる。視力が弱い方でも簡単に撮影できると思う。

 但し、残念なのは、インターネットのペタマップに無線LAN経由で登録するのだが、非常に地図が扱いづらく見づらいので、これでは、気楽に利用できない。
http://petamap.jp/

 せめてGoogleの様に見やすさの工夫をして欲しい。
 図は登録したスポット梅田観覧車。この地図を公開している。なづけて、「ぶんぶっちのお散歩地図」

ガンヂーのインク消し2009/03/05 23:18

 「ガンヂー」のマークのインク消し「ミスノン」を製造販売していた兵庫県の丸十化成が倒産。修正液のトップメーカーだっただけに関係者の衝撃は大きいようだ。

 私も万年筆を愛用していた時には、よくこのインキ消しのお世話になった。少し黄色い染みが残ったが、良く消えた。

 最近では、白いテープを貼り付けるタイプの修正液が中心になったこと等で販売が伸び悩んでいたようだ。

 また、関西の「真面目な」会社が1つ姿を消した。
 財テクとか、脱税、贈賄、リストラに熱心な「不真面目」な会社が生き残る一方で、こんな会社がどんどん日本から消えていったら日本はどうなるのだろうか。

『週刊天体模型 太陽系をつくる』(ディアゴスティーニ)2009/03/06 12:35

 1号から購入しているが、全く手をつけていない。毎号部品がついているが、その点数も僅かで工程も直ぐ終わってしまって、中途半端に嵩張って壊れやすい状態の組み立てかけのパーツを保管するのも大変(マイロボットの時にパーツを無くして難儀した。)なので、10号位貯まるまでは、「積ん読」にするつもり。

 「毎号薄くなっていくね。これがディアゴのやり方なんだよ。」と母親が言っていたが、まさに、その通りで、第1号から第3号までの大きさと7号を比較してみると、「木星:水星」といった感じで全然、大きさが違う。

 これ以上は薄くならないと思うが、毎号の価格が高いので、少し、「負担感」が出てきたが、止める訳にはいかない。

たまにはこういった本が良いが正確を期してもらいたい2009/03/07 10:18

『源氏物語を読み解く100問』(伊井春樹著,2008,NHK出版)

 気楽に読めるクイズ物の源氏物語解説書である。こうした入門書は一般の文章で書かれているものは退屈極まりないが、この本は、クイズ形式で書かれているので、読み飽きない。

 伊井先生の文章や実際の講演では、非常に流麗・丁寧・判りやすい口調であるので、入門者に最適、女性にも人気の先生である。

 この本はそうした先生の語り口が、そのまま、文章にも「おおどかさ」として現れており、好感がもてる。初級、中級、上級と問題の難易度は上がるが、私には、判らなかったり、間違えたりした問題はなかった。

 但し、本文中で玉鬘に初めて逢う場所が石山寺となっているのは、明らかな間違いで、長谷寺(椿市)である。解答の選択枝を設定する時に間違えたと思われるが、入門者は、これが正解だと思い込むと思うんで、十分な校正をしてもらいたい。


 いよいよ千年紀も過ぎようとしている。古典文学の人気は相変わらず低い。それは、あまりにも作品が固定されており飽きられている点も多いからである。

 近世文学の場合は、相変わらず、芭蕉、蕪村、近松、西鶴、秋成、馬琴、そして読み本の幾つかに鑑賞が限定されているが、実は、この時代に出版された膨大な作品群の中で、今日、活字化されて読むことが可能な作品の全体の15~20%もなく、大方が埋もれている。

 こうした作品が全て紹介されたら、日本古典の姿は、全く様変わりしてしまって、新たなファン層の獲得につながると思う。

 源氏物語の場合は、こういった点がないので、残念で、手を変え、品を変えて、一般大衆の好奇心を満足させるのに一苦労というのが実情だろう。