くれぐれも残念なのは、やはり、書籍が買えず、通信の大学等も諦めなければならないこと2010/02/16 20:56

 おぶの家で1ヶ月暮らしてみて、どの程度の費用がかかったか分類してみると、こんな風になる。

 驚いたことに、この家の売買契約を結ぶ前にローンの返済シミュレーション及び生活費の予算を組んでみたが、実際に暮らしてみると、1万円位しか誤差がなかった。

 昨年の9月にこの予算を組んだ時に、これでは、ほとんど余裕はなくなると思っていたが、実際に大変だ。

 小遣いの中には被服費や雑費まで含まれているし、クレジットカードには、プロバイダー料とかそういったものもあり、色々と物を買える訳ではなくなった。

 これ以外に予備費が2万円位残るが、これも、貯蓄(家のメンテ費用等の積み立て)に回すと、全然生活に余裕がなくなった。

 一番、かなわないのは、飲みに行く金がなくなった点で、自宅で飲んでいると、つまらない上につい飲み過ぎてしまうので、面白くない。

 昨日、電気代の請求が来たが、この冬なのに8千円という。一番、電気代の浪費となっているのが、洗濯乾燥機と寝室の暖房(オイルヒーターで、1晩中つけないと、寒くて眠れない。)、電気調理器(レンジやホットプレート)等だと思う。

 洗濯乾燥機の使用頻度を下げる為につい、便利なので3日に一度使用していたのを1週間に1回の洗濯で済まそうと思うが、夏場は、これでは済まないだろう。

 風呂も毎回、便利なので、リンナイの給湯器を活用しているが、ガス代や、水道代等がもったいない。(1人暮らしなので、本当にもったいと思う。)そこで、2日に1回の給湯で、後は、残り湯を沸かして入ることにする。

 食費は、牛肉を止めて、豚肉にする。野菜も輸入品の安いのにする。ご飯も米のグレードを下げる。冷凍食品を買うのを止める(美味しく便利だが、1袋300円は高い)。

 だいたいスーパーで食品を買う場合は、単価が300円以下のものに限定する。

 こんな人が多いからデフレが止まらないのだと思う。被服費も、ダイソーで、肌シャツ等を買うと、300円位で、通常の店で買うのに比べて3分の1位。ワイシャツや靴下等も売っているが、耐久性に疑問。直ぐに着れなくなったら、かえってまともな物が買えなくなる。

 くれぐれも残念なのは、やはり、書籍が買えず、通信の大学等も諦めなければならないことである。大学に在籍しておれば、図書館を利用することで、書籍代を抑えることが出来るが、学費があまりにも係りすぎる。

 こんなボロ家に棲む為に、犠牲は大きすぎると思うが、誰もがしていることなので、仕方がない。

またまたハズレ2010/02/16 21:55

 最近は、東芝の温水洗浄便座と言い、今回のDP-37Fと言い、ヤフオクのハズレが多い様な気がする。

 ヤフオクのハシリの時期は、掘り出し物を安く買えるので魅力的であったが、最近の落札価格等をみると,リサイクルショップや新品を店頭で販売されている価格に比べて格段に安いどころか割高になっており、こうした故障品を掴まされるリスクの方が高くなっているのでご用心。

 つまり、オークションは、安いものやお得商品を手に入れる場所では、なくなりつつある。通常の販売ルートで手に入らないものを無理をして買う場所か、オークションに寄生したオンラインショップでの買い物の場と化している。

 このままでは、オークションの活用者は減るだろう。

 これまでの経緯を説明すると、

 自宅からここに持って来たLPプレイヤーGT750が、輸送中の震動の為か、回転ムラが発生して、調子が悪いので、低価格で性能が良いレコードプレイヤーを捜していたが、DP-37Fが低いスタート価格で出品されていたのを見つけて落札した。
 落札代は結構かかり1万円位になってしまった。これでは、普及型の新品のプレイヤーが買える。
 早速、届いたが、やはり、ハズレだった。

 早速、手持ちのレコードをかけてみたが、 どうしても右チャンネルが鳴らない。

 出品者は、動作確認をしたのだろうか。古いものだし、これを送り返すだけでも気が重い大きさなので、修理することにする。

 1984年にこのターンテーブルが新発売されて、結構、話題の商品だった。

 ダイレクトドライブのターンテーブルは、プラス・マイナスのサーボ制御がついている。通常のダイレクトターンテーブルは、片側で制御するので、回転の精度がどうしても落ちるという。更に、フルオートであるのは、当然で、アームも制御されており、通常の重力制御ではなくて、電子的に針圧も印可、コントロールする。
 木目調の美しいキャビネットも良い。

 当時は、パナソニックの様な銀色のキャビネットが流行だった。木目調は、デンオンか、パイオニア位のものだった。

 店頭でカタログをもらったが、結局、SONYのCDプレイヤーD50(当時は、発売されたばかりなので、安物でも数万はした。)を選んでしまって、このターンテーブルは買えずしまい。
 FMファンにこの両機種のレビューが掲載されて、長岡鉄男氏が、DP-50の音の方が良いと軍配を下したのである。

 「同じ位の価格帯の商品だが、断然、D50の方が良い。」
 
 この言葉を信じてDP-50を買ったが、ひどく薄っぺらい音だし、直ぐに故障して、2~3回修理したが、また、故障した。

 それで、CD自体に嫌気が指して、その後、CDは聴かず、日本橋の露店で見つけたLPプレイヤーDP-1000をずっと使っていた。(今では、オークションでは、DP-1000の方がずっと人気があって、2万円から3万円位で落札されているという馬鹿みたいな話。)
 1989年のレコード芸術誌に私が投稿した記事が掲載されている。
 (この時代、LPは滅亡の危機にあった。今の様な時代がくるとは思わなかった。
 ところで、今回、入手したこのDP-36Fの故障の原因を突き止めようとした。カートリッジの為かと思って、SHUREのMMカートリッジに交換した。かじかむ指先と老眼にはつらい作業。
 それでも同様に右チャンネルがならない。当然、自作のアンプ等も点検したが問題はない。 この手のもので一番恐い故障は、カートリッジからアームから出力端子の経路の中での断線で、こうなるとアーム交換以外に方法はない。
 このキカイは、電子制御のアームでユニバーサルタイプではないので、交換するのは、相当難しいと思われる。
 裏蓋を外してみて調べる。家の呼び鈴が壊れているので、修繕の為に実家から持ってきたテスターを使用して導通を図ってみる。

 RCA端子の先端部(信号が通る部分)とアームの根元の端子(ここに出力コードが半田付けされている。)の導通(抵抗値)を測定。当然、左チャンネルは正常だが、右チャンネルはアース側は正常だが、信号側は、導通がない。
 これで故障の原因がハッキリした。ケーブルの断線である。この場合は、外付けのケーブルを交換することで動作する様になる筈なので、治しやすい故障だと判ってやれやれ。
 早く、故障を直して、LPレコードを再び楽しみたい。昔の憧れの機種で。



アーガマと山伏さん達2010/02/16 22:43

 先週、「阿含の星祭り」のTV生中継をみた。

 事前に朝日新聞に全面広告が掲載され、話題を呼んだ。

 「特定の宗教法人に対する一般報道の姿勢」が問われたのである。

 朝日新聞に掲載されたのだから、サンテレビで放送されても当然だし、マラソンの有森さんとかタレントのUさんとかそんな人が出演しても問題はないのだろう。

 NHKで放送されたら大騒ぎになるだろうか。

 「阿含の星祭り」は、火祭りであり、たしかにこれだけの規模で、火を炊くお祭りは、春を呼ぶような感じとかあるし、きっと若草山の山焼きよりも迫力があるかもしれない。

 そういった興味でこの番組をみた。

 なにやら山伏の様な装束の信者さん達がゴマを炊いたり、色々やっている。桐山靖雄氏の写真等も映された山伏の格好をしているし、実際、私は、佛大で学ぶ前までは、密教系の新興宗教で、山伏の集まりみたいな教団だと考えていた。

 ところが、仏教史を学習する段階で、阿含経典について知った。アーガマである。

 アーガマは、次のアビダルマにつながる経典で、上座部仏教の中心経典でもあり、重要である。でも、山伏さん達とは、どんな関係があるのか、余計に判らなくなった。

 お釈迦さまの本当の教えがアーガマには書かれているのである。

 「日本にアーガマ」を中心経典に据える仏教教団が存在することが、東南アジアの仏教徒達にも知られる様になり、信望を受けて交流や経済支援等も行われており、アジアグローバルな教団としての位置づけに成功した。
 
 日本人にとっては、山伏が修行しているのは、当然だという文化的な伝統があり、火祭りをみてもなんら問題なく受け入れており、実際に、こんな風に35年もかかったと言ってもTV放送される様にまでなっている。

 日本国内では、伝統的な密教、山伏スタイルで、日本文化に溶け込み、アジア社会では、上座部系教団として、信望を受ける。

 この様に内外での融和に成功し、他の新興宗教教団と同様に安定的な地位を固めつつあるようだ。

  それにしても、新興宗教のパワー、大衆性には、関心させられる。

 そこには、伝統的な仏教教団が失ってしまった在家修行の場、自己鍛錬の場を提供してくれるという大きな魅力がある。

 浄土宗の改革について若手の人達を中心に始まっている。安達先生によれば、特に出家しなくても浄土宗の修行体験や知識が学べる場所を提供することが大切であるとされている。

 佛大の別科で学ぶには、師僧の紹介とか僧籍とか必要で、多く世襲である。強い意思を持ち、財力がある人で、僧侶の家計でない人が出家する場合もあるが、これは、いわば、VIP待遇であろう。

 庶民の子弟が、既存仏教を「真面目」に修行しようとすれば、出家しか方法がないという状況が、現代の若年層に受け入れられないのが、「葬式仏教」と化している原因の1側面なのである。