「三輪空寂」の境地2010/01/01 12:06

「正月は冥土の一里塚」と言われる。

 私も今年、50歳になる。
 もう、生きていて大分、疲れたというか、先が見えて来た感じがある。

 正月は、昼間から大っぴらにお酒が飲めるので、ワンカップ大関をコップにジョボジョボと空けながら、届いた年賀状等をみる。

 関大の同窓の方から、卒業後、四半世紀が経ったが、「なんとか生き延びていかねばならない。」という内容の書き込みがされている。

 「そうか、なんとか行きのびないといかんのか。」と思いながら、コップ酒を煽る。

 昨日、母親と「来年もこうして蕎麦が喰えるのかな-」と話していたことを想い出した。

 自分の生涯が、「あるべきやうに」ケジメがつくのは良いが、やはり、母親については、目蓮尊者の様な気持ちにならざるを得ない。

 「盆と正月」とあるが、盂蘭盆会のこうした世界は、常磐の命の願う心と裏腹に存在する。

 ある天竺の近くにあるクニでは、盆が正月であり、同じ祀りを行うと、国語学者先生に聞いたことがあり、それが、「Bon」の語源になっているという。

 語源の話は兎も角、「三輪空寂」の境地で年越し蕎麦やおせち料理を食している人は、あまりいないと思うが、実際には、その様に時は流れている。

 一昨年まで佛大の通信でお世話になった。大晦日の大掃除で部屋を掃除していると、大量のレポート類が出てきた。1つ1つ、開いて内容を読み替えていると、学修体験が、記憶の中の走馬燈のように駆け巡る。

 その中で、このレポートが面白かったので、残した。

 肉親の死と葬儀の体験について民俗学の立場から詳細に分析してレポートしたものである。

 このレポートを書いていら、自分の「生と死」の考え方が、かなり変わったと思う。

 幼い時には、このレポートに書いた祖母が補陀洛渡海や平家の滅亡の話、極楽浄土の話等を海の中に沈んでいく夕陽を前にしながら、話してくれた時、極楽浄土は、身近にある様に感じたが、実際の生・老・病・死の苦悩とは、離れた所にいた。

 若い時には、当然、生・老・病・死の苦痛そのものを経験し、智慧があるものは、覚っていくが、私は、その様にはならず、50歳の年を迎えた今、それをどの様に結合させるのか、糸口を見いだした様な気もする。

 何か、懐かしいモノに惹かれるというか不思議な感情である。

私は、佛大になんとか生き残ってもらいたい2010/01/02 10:12

 佛教大学から年賀状ならぬ紫野通信が元旦に届いた。

 同窓会報(通学・通信連携)と簡単なパンフレット及び佛教大学報第59号が同封された分厚い封筒だった。

 何事かと思ったが、ちょうど何か読みたいと思っていたので、これらをじっくりと読んだ。

 「紫野」は、冒頭に池坊の娘さん(なんでも鑑定団にこの間、出演されていたや、水谷浄土宗総長の対談が掲載されていた。池坊美佳さんは、佛大社会学部社会福祉学科出身ということで、「この人も佛大かぁ~」と思いながら、美貌を拝見。

 最近は、佛大に出かけていないが、キャンパス工事の真っ最中で、仮校舎13、14号館が完成し、9号館が解体される記事が載っていった。二条駅の近くのキャンパスも着工するという。

 最近、佛大は、文系離れというか、実用的な学部を創設して生き残りを図ろうとしている。

 これまで、佛大を支えて来た教育学部や社会福祉学部、通信教育部門は、他大学との競合激化や少子高齢化の影響で、今後は、従来の様な「牽引車」としての役割を期待出来なくなっている為のようだ。


 後は、第27回全日本大学女子駅伝対校選手権大会での初優勝の記事とか盛りだくさん。

 最後に同窓生が出版された書籍の分野で、同窓の山田彩子さんの朗読CD「万葉の風 遙かな夢」が掲載されていた。興味深いのは、佛大の通信課程出身者が紹介されていた7冊の内、4冊を占めており、残りの3冊は、通学過程出身も博士課程の様なアカデミーコースを経られた方が出された本であり、一般の出身者が出された本が少ない点で、やはり通信出身の人が頑張られていると思った。


 学報は、大部分が資料的なドキュメント記事が多いが、印象に残っているのは、冒頭の山極学長、清水先生、浜岡先生の対談である。

 山極学長や浜岡先生とは、私も直接、お話したことがある。通信生でもこれくらい教員と学生とのコミュニケーションがある程の佛大の特色として、やはり少人数教育という点をセールスポイントにされ、対談でも取りあげられていた。

 後、印象に残った掲載内容としては、黒田彰先生が学術賞を御著書「孝子伝図の研究」で受賞されたことや李冬木先生(中国学科)がハーバードに留学(研修)された際に大病の手術を受けたが、1400万円もの費用がかかり、大学がかけていた保険の800万円を超えており、600万円が事故負担になってしまったことで、実にお気の毒だと思う。幸いにも回復されておられ元気なのはなによりだが。


 私個人としては、昨年は、佛教大学と離れてしまった1年間だったが、やはり空しかった。また、なんらかの学部に再入学したい。

 佛大が良いと思うのは、1人の学生の視野で捉えきれる位の規模の大学である点で、現代の大学が置かれている状況とか、IT関連の進歩がどの様に活かされているか等を体験出来る点である。

 特に私の様に零細企業に勤務しているとIT設備の更新も遅れがちであり、現在の標準的なIT環境のレベルと運用状況、それに必要な適性と能力等を知ることが出来ない。

 佛大の通信学生という比較的大きな組織の構成員となることで得られる点は大きい。

 大企業や官庁に勤務されている方と、中小零細企業、あるいは、個人商店の経営や従業員との方とでの社会的ハンディは相当大きいが、その原因は、この様なリテラシー環境の格差によるものであることは、案外に自覚、認識されていないのではないだろうか。

 教育産業は商品を購入することで、一定のサービスを受けることが出来る。例えば、コンピュータスクール等での講習や、家電量販店、コンピュータ専門点、専門雑誌では、先端の技術や商品、サービスの情報は入手出来る。

 しかし、これらが、実務にどの様に使われているのかについては、身近な知人や友人に尋ねる以外に方法はない。

 例えば、ウインドウズ7が発売されたが、現在、大学等の研究機関で、標準的レベルで瑕疵なく運用可能なOSやネットワーク、通信システムはどれが相応しいのか等については、やはり、佛大でのリテラシーの教育システムや、サンラーラとか学術論文の検索システム等の実際に運用されているITシステムを体験して、これから自分の仕事や会社で必要なIT技術でどれが一番、重要なのかを見定めることが出来るといった点で、佛大での学修は有意義である。

 スクーリング授業では、ゼミでの発表や討論を通じて、自らの意見の客観的な主張と討論に技術を修得・維持し、職場を離れて、教師や学生さんが何を問題にして、考えられているのかを知ることが出来るのも大きなメリットと思う。

 つまり、佛大の通信課程で学ぶということは、専門の学術知識を習得すると言った点以外の要素で得られるものが非常に大きい。この点を、佛教大学の通信教育のセールスポイントとして、大いに主張すべきだと思う。

 佛教大学は、華やかな100周年記念行事とは、裏腹に、現在、危機的な状況にある。

 10年度の通学入試では、受験者数自体の減少、通信学生も最盛時に比べて35%程度の水準まで落ち込んでいる。学生さんの募集と獲得が順調に行わなければ、学生数が限度まで減っているので、運営自体が厳しくなっていく。

 私は、佛教大学になんとか生き残ってもらいたい。

 この為、貴重な宣伝活動費を投入して、阪急電車内や阪神地下街等でも広告、PRを行っている。全国各地で講演や学習会を一般参加の形でやっている。これらが効果を産むことは期待されるが、実際、投入費用対効果の点で疑問になることが多い。

 最も大きい欠点は、本当に広告やPRが効果を挙げているかについて、客観的なフィードバック情報を得ることが出来ないことである。

 具体的な方策としては、通信学生の中から何らかの特典を設けて、モニター学生を募集、プライバシーや個人情報を侵害しない範囲内で、一般の学生が佛教大学の教学環境についてどの様な印象を持っているのか、教育学部や社会福祉学部、歴史関係の学部を持っているライバルの通信過程を持っている他大学と比べてどうなのか、何が一番必要なのかを知り、対応策を迅速に実施していく方法である。

謹賀新年2010/01/02 21:44

謹賀新年
挨拶を忘れていた。
ブログを読んで下さっている皆様、あけましておめでとうございます
正月も2日になって、ようやく正月らしい気分になった。
当然、正月は実家で過ごしている。食料がないから。
今日は、近所の神社に初詣にいってから、数日間ほったらかしていたおうぶ山荘の様子を見に行った。
その前に三宮で降りて、TVのアンテナ工事の部材を購入した。
三宮の家電量販店がどこにあるのか、以前は、せいでんしゃというのがあったが、たしか潰れたはず。三宮センター街を捜しても見つからなかった。
そのまま生田神社の方角に出てしまった。東急ハンズで寄り道して、防犯グッズを購入。


泥棒避けのセンサーとか、ガラス強化フィルム等を買った。生田神社は、初詣の人達で大変だった。
大道芸等もやっていたし、縁日で牛肉の串焼き(好物)を食べた。500円だったが、鈴鹿サーキットで食べたのよりも格段に旨かった。


その後、携帯等で検索したが、この近くにヤマダ電機が経営している量販店がある筈なのに見当たらない。
またまた腹が減って来て、飲食店を探したが、どこも高そうな店ばかり。結局、宮本むなしで肉野菜炒め定食を注文。
凄い人だった。結局、地元の特色を出した店よりもマクドとか宮本むなしとか、チェーンの外食店に入る人が多い。(だって安くて旨い。)
地元の特色を出した店としては、極端な世界になる。超高級店か、超マイナー店でカウンターに椅子が2~3個あるだけで、ラーメンとか中華を食べさせる店。
こういった店も美味しいが、ツレがいる場合には先ず入らないし、1人で入るのも最初は勇気がいる。
20分以上待たされてようやく肉野菜炒め定食が出てきたが、旨かった。
その後、ようやくヤマダ電機?・星電社?のお店を発見。一階がTSUTAYAなので、判らなかっただけ。
急いで、新開地に出てから、神戸電鉄でおうぶ山荘のボロ家に向かう。
家は、無事だった年賀状が不動産屋から届いていた。Hさんには、お世話になったと
いうか、全く、セールストークがなかったのに買う気にさせてしまう腕前が素晴らしい。不況の中、僕のボロ家を含めて売上げを上げて主任か何かに昇格された。
TVのアンテナ工事を行う。実は、昨年末に中古のアクオス26インチが届いた時に天井からぶら下がっている黒いケーブルを接続してみたが、電波が来ていなかった。
年間5千円で、M谷TV共聴アンテナ設備の会員に無理に入らされたが、これでは、詐欺みたいだと内心、腹を立てていた。
その時に白い同軸ケーブルが目に入ったが、以前の住人が鈴蘭ケーブルに入っていた痕跡だと思って、これは違うと思い込んだ。
あとで、色々、調べてみたら、ケーブルTVの場合はキチンと端子工事がされている筈なので、無造作にコードを壁に乱雑に穴を開けて貫通させる様な工事をする筈がないし、以前の住人は、そんなケーブルTVに入れる程の金持ちでもなさそうなので、結局、実家に帰ってから、「あの白い同軸ケーブルが、共聴アンテナのケーブルだ。」と気がついて、試しに、端末の工作(簡単な端子の接続工事で、この位は簡単に私でも可能。)をやってみようと考えついた。
ヤマダ電機で購入した端子等を接続するとなんと、地デジで、テレビ大阪以外のチャンネルは立派に受信可能。電界強度も80~90%で立派なもの。
感動した。アクオスは26インチで小さいが、IOデータの32インチの液晶に比べて発色が驚く程良い。赤色とか緑色等の階調表現が豊かで、何か、アナログTVの持つ暖かさ等も伝わってくる。

液晶TVは、やはり、TVとして専用に設計された製品に限ると思った。
ちゃぶ台の前にテレビを置いて、ソファーに座りながら、イイチコのお湯割りを飲んで寛ぐとなかなか良い。
コタツが欲しくなった。ソファーから足をだらっと出してコタツに入れると快適だと思った。焼酎ももっと美味しいだろう。
その後は、撤収して、再び梅田に出ていきつけの飲み屋を探したら、なんと休んでいた。仕方がなく、鳥の巣で飲んでからヨドバシカメラをブラブラして、3.5SATAHDD用のケースを買った。
帰宅して歩数計をみると、なんと2万2千歩を越えていた。今日は、正月なのに驚く程、歩いてしまった。



一瞬、模型のレイアウトかと間違えるレトロ車2010/01/02 21:54

EX-H10で撮影
 先日は、新型車両の記事を書いたが、やはり、神戸電鉄は、この電車でなくてはと思う。

 この模型を思わせる様なデザインとレトロな車体が良い。ちょうど新開地行きの電車が鈴蘭台駅に進入して来たのを撮影。

 実家の近くの能勢電の駅に類似している。こうした点も、この家を選択した理由の1つとなっている。凄く環境が似ていると思う。

物語の自由間接言説と話末表現の関係2010/01/03 15:12

竹取物語の言説

正月休みは、たまたま手元にあった學燈舎の國文學「竹取物語 フィクションの誕生」を読んで過ごした。

源氏物語、竹取物語は、「物語の出来の祖(おや)」との称号を与えられている。

この「物語」という言葉について、近代における古典文学研究の「物語」のジャンル的定義と捉えて、「古体を残している。」とか、「仮名表現による物語文体のプリミティブな表現」と位置づける考え方が多かった。

私の師であられた清水好子先生も「物語の文体と方法」でその様な観点から竹取物語の文体を「古拙」と評されているし、源氏物語を「物語文学史の発展の頂点」と捉え、以前の作品は、源氏物語の頂点にいたる「経過」として見なす考え方は、現代の大学教授先生方の中にも見受けられる。

私も、大和物語が、伊勢物語を踏まえ、それに説話的要素を融合、源氏物語の様な高度な位置を目指す経過的段階であり、特に、その文末表現の切断様式に注目して論文を書いたが、「発展的経過」という観点は、指導教官からのアドヴァイスによって加えたものである。

物語は、「言辞・ディスクール」である。ディスクールを言語の一部として価値認識した場合に、ディスクールには、優劣、発達・未発達という区別(差別?)は存在しない。

これは、言語学者が共通して持っている観点である。

この考え方は、例えば、民俗学においても中心的位置づけとなり、「中央」に対する「地方」という観点からローカリティについては、対等の位置づけを行う様になっている。

物語は、その成立当初から、「特殊なジャンル」という位置づけから、少なくとも院政期にいたるまでは、名筆によって書かれることはなかった。

平安時代には、無数の物語が成立したが、それらは、一般の宮廷女官階級の間で伝えられて、口承、あるいは、反古紙等の裏に覚え書きとして書き留められてきた。

「ものがたり」の「清書」という概念は、あの紫式部日記を除いては存在しえず、余程、好事家でなければ、あり得なかったのである。

「竹取物語」の断簡は、室町初期以前に遡ることは出来ない。テキストの系統も大きく2系統の分類されるが、残存する伝本では、テキストの系統樹を描くことは不可能である。

 しかし、その構成、文体、ディスクールは、「祖」という見方を越えて完成の域に達している。

 近代における古典文学研究における「物語」とは、仮名表現による文学作品という見方が中心で、単なる口承伝承を書きとどめたものでも、あるいは、漢文の訓読に近い内容のものでも成立した時代等から、「物語」の総称でまとめられてきた。

 清水好子先生は、「物語の作風」の中で、「作り物語」という言葉を初めて使われたが、古来の「物語」と、「作り物語」とは、明確に区別すべきである。

 つまり、古来の「物語」は、伝承であり、「作り物語」は、伝承の話形を活かして再構成し、視覚的・場面的表現に置き換えた新しい文学ジャンルなのである。

 源氏物語の絵合巻での「物語の祖」という言葉は、「作り物語の皓歯」という言葉に置き換えたい。

 竹取物語には、竹取の翁伝承、羽衣伝承、月人降臨伝承、富士山伝承、地名伝承、求婚譚等の複数の「物語」の祖形が巧妙に合成されている。

 そうして、「作り物語」たる最大の所以は文体表現である。それは、場面の視覚的表現が導入されている点である。

 學燈舎のこの本には、「竹取物語と文体」(東原伸明)の論文が掲載されている。この論文には、語り手の位置づけと言説との独自の関係が、この物語の文体の中心的要素として機能していると定義し、「言説の非体系的区分と自由間接言説」の関係の独自性を指摘しており、そこには、登場人物→「いまは昔・・けり」という語り手→「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者が存在していると述べられている。

 これは、私がこれまで、様々な論文で展開して来た「場面の視覚的表現」というキーワードにつながっていると考えている。東原氏は、若紫巻の垣間見の場面を例に挙げて、竹取物語の視覚的表現との共通点を指摘されている。

 そうして、「自由間接言説」こそが、この「作り物語」たる「竹取物語」の文体の最大の特徴とされている。

 私の考え方では、「自由間接言説」を伴っていることこそが、「作り物語」と定義づける必要条件であると考えている。

 「自由間接言説」とは裏腹に、「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者の存在を強調する文末表現は、「自由間接言説」と今、その場に存在する物語(語り・読み物語)の享受者との関係を明示し、「作り物語」の仮想世界から現実空間への橋渡しを行う重要な役割を示している。

いわば、「春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空」なのである。

定家卿のこの和歌では、夢浮橋巻を暗示している。その文末表現は、「・・とぞ(本にはべるめる)」と言う文末表現への解釈が暗示、あるいは、暗喩されているのかも知れない。

結局のところ、竹取物語も源氏物語の「作り物語」たる表現能力を立派に持っていて、その表現技法の未開・進歩、優劣等を論じること自体が無駄なのである。
既に、「竹取物語」の段階で、「作り物語」の文体表現技法は、完成の域に達していたと私は考えている。

写真は、私蔵の写本、定家卿が書いた「奥入り」の「鈴虫巻」の一部。

祝!!太陽系をつくる機構部完成2010/01/07 00:27

 ディアゴスティーニの週刊百科「太陽系をつくる」は、全部で52号ある。
 本日、51号が発売されたので、残すは、後1号のみ。

 よくここまで書店店頭購入で1号欠かさず揃えたと思う。
 51号の段階で、機構部は完成。52号には、ACアダプターがついてくる。

 この模型、上部は、精巧な歯車構造で太陽系を運行を模倣するが、
台座の部分には、変圧器とモーター、スイッチで構成された動力部が内蔵されている。
 
 48号からは、この部品が徐々に揃ってくる。


 51号で機構部の部品が揃ったので一気に組み立てて、夜中を過ぎてしまった。
 組み立ては、底部に変圧器、スイッチを取り付ける工程から始まる。その後、脚部を取り付け、モーターとクッション材を組み込んで、輪っかみたいと胴体と、機構部の蓋(これが惑星運行ギア部の底板に相当する)を乗せて、上部の惑星運行ギア部とを合体させる。




 これが合体させたところ。実は、星座の目盛り環を載せるのを忘れていたので、組み立てなおしたが一応完成。

 最終号の52号でACアダプターがついてくるので、モーターに電流を流して、惑星ギア部がスムーズに動けば、成功。動かなければ、再調整ということになる。

 同じディアゴスティーニのID01ロボちゃんの時にギアがうまく動かずにコントロールボードから白煙が起こる失敗をしているだけにどうなるか判らない。最後まで気が抜けない。


無事に動作した2010/01/07 10:52

「太陽系をつくる」の機構部が完成したので、手持ちのACアダプター(変圧機能付き)を最低電圧である3.0Vに調整して、稼動させてみたら、無事に動作した。 やれやれという感じ。 スムーズに良い感じに動いてくれて満足。

ほんの気持ちでございます2010/01/07 22:02

 朝9時頃に「仕事きっちり!」 サカイの引っ越し屋さんの営業マン2人が、見積もりにやってきた。

 本当は松本引越センターに頼みたかった。
 あの幼児が出てくるCMが好きだったから。
 
 それにしても、こんな早い時間に頼んだ覚えはないのだが、親父が留守電に出て、自分の都合の良い時間に変えてしまったらしい。

 気の毒である。

 こんな兵庫県東端で道路交通が不便な辺鄙な所に9時「キッチリ」に来ようと思えば、大阪からであれば7時半には会社を出ないと行けないので、少なくとも7時出社ということになる。ということは、遠いところから通勤しているとすれば、5時起きである。

 心底、気の毒だと思った。
 私は早起きが特に駄目だから。
 「地獄の様な仕事やなー」と思った。

 なんと、頼んでもいない見習いの営業マンまで連れてきて、汚い家に上がり込んできた。足が汚れたら気の毒なので、スリッパを勧めた。

 引っ越し先のおぶ山荘(ボロ家)の方が、居間では、実家よりもずっと綺麗になっている。

 「ああー嫌やなぁー」

 特に嫌というか相手も驚いていたのが、僕の魔窟というか異常な収集物で埋まった部屋と隣の元弟の部屋を占領しているゴミ部屋である。
先日、NHKでゴミ屋敷特集をしていたが、あの数トンのゴミ位、あるいは、それに勝っていると思っている。

 「うゎーこれを運ぶんですか。」と唖然とする2人。

 「いやー、頼んでおいたものだけでいいんですよ。」
と頭を掻きながら説明する。

 恥ずかしさで気持ちがどうにかなりながらも、部屋の入り口の階段の前のところ(ここしかまともなスペースはない。)で私がエクセルで事前に準備していたリストを見せながら、運ぶ品々をみてもらう。

 ノートパソコンで見積の計算している先輩営業マンを尻目に営業(説明トーク)の練習をする見習い氏。

 正直いって朝からやっと仕事の執筆のエンジンがかかりだした時に新米のトークを聴いてあげなければならないのは辛い。

 大学出たての時分に間違えて入社してしまった同朋舎出版販売で本の販売をしていた時や、今の会社から少しだけ飛び出して、TD社で、建築設計CADの営業をしていて苦労していたので、黙って聞いてあげていた。(まだ、本当に新米みたいで、ロボットの様だ。)

 ようやくポチクリとキーボード打ち終わり、パソコンをやり終わって、先輩氏は、「他のところにも見積もりしましたか。」と尋ねる。

 全部で2万5千円だったと言ったら、本社の上司に電話して、あっさり2万円引いてくれたら、それでも2万円以上高い。

 前に頼んでやめたところは、非常に安かったが、昨年末から頼んでいたのに連絡1つくれずで、こちらから電話をして確かめたら、「日にちを間違えていた。」という。

 この地元の有限会社は、見積書自体をくれなかったし、こういった内容で受注したというエビデンスを全く示してくれなかったのでキャンセルした。(マジでいい加減なのでキレた。)

 こういった経緯を話すと、さすがに満足そうに「ウチは上場企業なんで、そんなことはありませんよ。」という。

 プリンタ(無線LAN接続)を取り出して見積書をその場で印字してくれた。その間、見習い氏は、段ボール箱を持ってきてくれた。

 ちなみに、「この部屋のモノを総て運ぶとしたらいくらかかるんだ。」と聞くと、営業マンは口ごもって、「最低、この2~3倍はするでしょう。」といった。

 「知り合いで10万で全部運んでくれるという人がいるよ。」っていうと、「お友達にこうした部屋を見られるのは恥ずかしいでしょう。」と笑止千万の答え。

 見知らぬ営業マンに自分の部屋をみられる方が恥ずかしくないということか。

 帰り際に「ほんの気持ちでございます。」と書かれた「ひとめぼれ」を1キロくれた。契約してくれた人に配っているらしい。

 この会社のパンフレットをみると、引越以外にリフォーム、家電品、セキュリティ、新聞購読、NHK聴視料手続きサービス、家電の設置サービス、引越挨拶用品、ダスキン、米、食品等諸々の商品が販売品目に入っている。

 顧客との直接接点を持っているということ自体が「商品価値」なので、こうしたニッチがどこまで活かせるかがポイントのようだ。

えべっさん2010/01/09 23:25

 えべっさんで関西一円、人混みが酷い。
 写真は、阪急梅田駅のビッグマンの前で撮影。
 福娘さん達が良い。




 「おうぶ山荘」もう、この様に書くのはやめようと思う。なんか凄い贅沢な家を持った様に思われるのか年賀状の返事が凄い。

 U先生からもそんな羨ましがる様な賀状をいただいたのにはびっくり。

 他にも、同窓会を山荘でやろうとか、焼き肉パーティをやろうとかいうのも多い。大分落ち着いたら、10~20万円位かけて、中学校の校庭の造成の石垣によって完全にプライベートスペース化したところにウッドデッキをキッチンの床と同一面に作って、椅子やテーブルをおけば、パーティも出来るが、現状では、見窄らしいだけ。

 誤解せんといて欲しいが、本当にボロ家である。
 築33年でしかも地震で傾いているので、安く買えた。


 今日は、光デジタル回線を設置する工事に立ち合った。光ファイバーケーブルを家に引き込むが、たいそうなものを予想していたが、実際にはちゃちなヒモの様なもの。これに終端末及び変換受信機(NTTからレンタル)接合して完成。

 また、ボロ家の壁に穴を開ける羽目になった。また、工事の人のドリルが非力で、壁になかなか穴が開かない。なんと壁の厚さが10㎝以上あって、更に外部が堅いモルタルなので、ドリルのバッテリーが切れてしまって往生している。

 それにしてもこんなボロ家でも家を傷めるのは心が痛む。
 嫌な気持ちを和らげる為に、ベランダから目前に広がる「黒い森」に目をやる。山鳩の姿が豆粒の様に見える。私が腰掛けている場所からは、なんの障害物、夾雑物なしに森が見える。

 この森の向こうの山の端に毎日、部屋の中に座りながら、日没を眺めることが出来るのも、この家を買った理由。

 それにさすがに空気もウマイ。

 なんとかケーブルが開通した。セットアップして接続したが、数十メガの速度が出ているにしては、とろい。別に、eモバイルでも構わないと思う。

 別にモバイル接続環境でも仕事には、全然不自由しない。
 ファックスもEVRY-NETと契約したので、先方から送られてきたFAXは、メールで受け取ったり、携帯でみたりできるし、その逆も出来る。
 それでも光電話で固定電話の番号がもらえるので、銀行取引等の信用などの観点から、NTTと契約し、固定番号を維持しなければならない。

 でも、やがては、広域・汎用・無線ネットワーク網が主流になってケーブルなどというものは、過去の遺物になると思う。

 設置が終わってから三宮に出て、中華街を食べ歩きながら帰った。
 ボロ眼鏡が途中で壊れた。レンズ枠のネジが馬鹿になって外れた。

 眼鏡を外して歩く、慣れない三宮の街は、恐かった。まるで手探り状態。

 なんとか辿りついた東急ハンズで、ようやく探し当てた精密ネジとナット、精密ドライバを買って、近くの喫茶店に入って、復旧工作をしてなんとか修繕出来た。
 ちなみに眼鏡ネジも売っているが、ネジ穴が馬鹿になっているので、使えないので、1サイズ大きなネジで強引に留めるしかない。

 ピンセットがないので、精密ドライバに芥子粒の様なネジを固定させるのは、並大抵のことではないが、コーヒーのフレッシュにドライバの先を浸して、粘着させると作業は比較的、簡単にできる。


 これだけの作業を茶店でやっていると人が、ジロジロみる。
 正直ビビッタ。






 

平家星 まもなく大爆発、満月以上の明るさに2010/01/11 09:57

平家星

オリオン座のペテルギウスは、独特の赤い色から平家星と呼ばれている。今頃、南の空にシリウス等と一緒に天空を支配している。

巨大な赤色巨星で、HR図表では、主系列星の最も右上に当たり、最初は小さな星がやがて太陽の様に成長し、やがて、その核融合エネルギーを使い果たして、表面温度が下がり
膨張を始めた段階の星。

「宇宙家族ロビンソン」や「禁断の惑星」といった映画でロボットの背景に真っ赤な大きな星が描かれている様な本をみたことがあるが、これが赤色巨星。温度が低いので赤く見える。

やがては、爆発して生涯を終える。
その後に核の部分に白色矮星の様な星が残る可能性もある。しかし、多くの星を構成していた物質は、宇宙空間に飛び散り、新たな重力の作用で、新しい星に生まれ変わる。

まさに輪廻転生である。

最近、このペテルギウスが、明日にでも爆発するかもしれない兆候が発見されたという。15年前から大きさが縮小する等の異常が見つかっているが、表面に白い模様が現れてきたという。

もし、爆発すれば、大変なことになる。満月位の大きさになるし、衝撃派が近隣の恒星系にも影響を与える。宇宙線や放射能が増加する可能性もある。

但し、地球から見えるのは、600年前の姿なので、もう既に爆発しているかもしれない。

http://www.asahi.com/science/update/0109/TKY201001090278.html

爆発時には満月以上の明るさで昼間も見える超新星になる。