野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある2010/04/07 20:03

 オーディオルーム用にオットマン付きパーソナルチェアをヤフオクで落札。価格は、3100円。

 肘掛けが欠品で新品であるが、特価での出品という。送料がかかってしまった。

 これ以外にくらしのeショップ山善で購入したラック(2個で3560円)とみんな安物の家具ばかり。

 LPレコードは、大学時代に買って聞かずに真空パックしていたミントのLP。ブルーノワルター指揮コロンビア交響楽団のマーラーの交響曲第1番「巨人」


 真空パックしていなかったのは、ジャケットの色が変わってしまったりしているが、パックをすると保存効果が高まる。

 購入して一度も聞かず30年位封印してあるLPが数百枚位あるが、これらの大部分は死ぬまで聴かないつもり。

 この「巨人」は、CDでも発売されており、デジタルリマスター盤なので価値が低く、開封して今日聴いた。

 さすがにノイズ1つなく音は鮮烈だった。残念ながらデジタルリマスターなので、音の定位感やレンジ感は、オリジナルアナログマスターに比べて落ちる。

 1960年代から遅くても1970年代初頭にかけて発売されたコロンビアレコード時代のワルターのLPで殆ど再生されていない状態の良いものの、音は、信じられない程良いと思う。

 SCDも期待したが、僕の装置が悪いのか、良質なアナログLPには、音質は劣るようだ。


 マーラーの「巨人」を初めて聴いたのは、案外遅くて、14~15歳位。

 「なんて青臭い曲なんだろう。」と思ったことを記憶している。それと、春の鬱陶しさ等が良く現れているが、あの、ダサイマーチの後のとってつけた様な終楽章で、勝利のファンファーレが金管楽器で奏されるが、これは、最大の皮肉だと思った。

 とってつけた様なイメージ、ライバルとの苦闘の末に、白いコスチュームを着てターバンを巻いた好青年が、タージマハールを背景に、美しい姫君と結ばれる勝利の音楽。(本当にそんなバカらしいイメージを浮かべていた。)

 実は、それは、虚構に過ぎない。

 この曲は、第3楽章の葬送行進曲で、コントラバスが低く響くところで終わっている。(イボイボしたユダヤのイメージ)

 「主人公は実は死んでいる。」というマーラーの作為をこの年齢で理解していて嫌な頭痛と絶望感を10代後半になったばかりの僕が経験したのだっけ。

 この葬送行進曲のモチーフは、例えば、ローマ大賞に作品を応募した時に、ブラームスにこき下ろされた。あの「嘆きの歌」と類似したフレーズである。(ブラームスも同じユダヤなのに。)

 ところで、当時の私は、フランスに留学していた叔母の影響を受けて、ランボーやラディゲとかそういった文学作品を読みあさっていたが、高校に入学して、数学の教師から教えられたサルトルやカフカの演劇作品を知ってからは、「浪漫派音楽なんてつまらん。」と思う様になって、ストラヴィンスキーやリゲティ、当時、本当の前衛であったシュトックハウゼン等を聞く様になった。

 音楽を聴くときは、部屋の窓を閉めて、隣の家に接近している窓は雨戸を閉めて暗くして聴いている。

 近所の人に変な目でみられるが、騒音公害よりはマシだと思う。

 もうすぐ、この部屋にエアコンを入れるので、夏でも聴けるが、エアコンの音が心配だ。

 それと野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある。

 へんな笑い声で鳴くような鳥がいるので、少し不気味。音楽を聴いていると鳥が集まってくるのは、なんでだろう。

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