苦しみから逃れるには世を捨てる以外にない ― 2011/03/01 09:16
間もなく、叔母の1周忌になる。姉の葬式にも出なかった母親であるが、毎年、この時期に飾っている小さな紙製の雛人形を今年は、飾っていないところをみると、やはり、悲しさが心の底に広がっているようだ。
僕にとっても叔母唯一の親族の中での理解者であっただけに、未だに、その空虚な気持ちは消えない。
この年齢になって何故、人は結婚するのか理解出来る様になった。それは、社会的な立場や子孫を残すということだけでなくて、単身では、肉親の看取り(介護)や死別の苦しみに耐えられないからである。
生老病死の苦しみから逃れるには、一切の交わりを立って出家する以外にないが、僧侶なのに妻帯が当たり前の今の日本仏教では、その様な場が提供されていないので、無理である。
タイとかビルマに帰化して、僧侶になる以外になく、まさに水島上等兵の世界である。結局、戦友とか死者を弔うにも、今の日本の出家・在家共に、世俗のシガラミと離れることが出来ないので、水島上等兵は、ビルマの地に骨を埋めることにしたのだと思う。
○折り紙の雛も飾らぬ一周忌
僕にとっても叔母唯一の親族の中での理解者であっただけに、未だに、その空虚な気持ちは消えない。
この年齢になって何故、人は結婚するのか理解出来る様になった。それは、社会的な立場や子孫を残すということだけでなくて、単身では、肉親の看取り(介護)や死別の苦しみに耐えられないからである。
生老病死の苦しみから逃れるには、一切の交わりを立って出家する以外にないが、僧侶なのに妻帯が当たり前の今の日本仏教では、その様な場が提供されていないので、無理である。
タイとかビルマに帰化して、僧侶になる以外になく、まさに水島上等兵の世界である。結局、戦友とか死者を弔うにも、今の日本の出家・在家共に、世俗のシガラミと離れることが出来ないので、水島上等兵は、ビルマの地に骨を埋めることにしたのだと思う。
○折り紙の雛も飾らぬ一周忌
最近のコメント