香港の報道特集 「尖閣問題=日中戦争勃発か」という怖ろしい内容」 ― 2011/02/24 17:48
BSで香港の放送局が尖閣問題特集をやっていたのを視聴した。中国人のジャーナリストの対談。
それは、「尖閣問題=日中戦争勃発か」という怖ろしい内容。
Q1.「何故、ここまで問題が拗れてしまったのか。」
・中国にとって、尖閣諸島は、国益を左右する重要な領土である。我が国にとって、領土としての正当性が認められるか否かは、死活問題である。しかし、今の菅政権は、この問題については、無関心であり、話合う姿勢さえもみられないので、世論を大きく刺激し、中国国民の心情を大きく損ねた。
Q2.「今後の日中は、戦争に向けて、どの様な道を辿るのだろうか。」
・中国人の中には、米国も中国も核の傘という大きな問題があり、軽率な動きは採れないという見方があるが、仮に、日中が戦争となっても、局地戦闘に終わるだろうとの見方もある。
その理由として、米国にとって、最大の脅威は、ロシア、中国の核であり、結局のところ、中米の直接戦争はあり得ない。それは、つまり、尖閣諸島で戦闘が発生しても、日米同盟に基づいて、安易に米国は動いてこないだろう。
・つまり、日中戦争のクライシスが近づくに伴って、米国側の働きかけはあっても、実力行使はないだろうという見方が、人民解放軍の中にも台頭してきている。そうなれば、中日の軍事力の差を背景に、中国国内には、戦闘に踏み切ろうとする動きも具体化してくるだろう。
・仮に、中国が戦闘を有利に進めた結果、国際世論について考えると、中国、米国、ロシアの三角関係での話し合いになり、中国にとって大きな不利にはならないだろう。結局、日本は、これら3者との交渉に加わることも出来ず、孤立化するだろう。これは、我が国(中国)にとっては、非常に都合の良いことだ。
・現在、中東に反体制的な革命勢力の動きが強まってきている。この動きが、我が国(中国)に拡大する前に、世論の関心を日中関係、つまりは、尖閣諸島問題にすり替えようとする考え方もある。
・今、日本政府は、民主党政権が崩壊に向かっている等、混乱している。軍事力行使には、1つの大きな機会になり得る。つまり、戦闘行為を行うにしても、日本側は、法案を通す必要がある。アメリカの軍隊の様に自衛隊には、内閣総理に指揮権を一任するといった非常措置は、不可能で、緊急の有事立法を行うにも、無理であろう。
Q3.「つまり、中国側が尖閣諸島を武力で占領するには、絶好の機会ということなんですね。」、
そうだ、但し、中国政府にも慎重論もある。その前に、最終的な日本政府の動きを見極めようとするだろう。
ここからは、筆者の感想。
中東の混乱が中国に波及する中で、中国が再び尖閣問題について、攻撃的姿勢を採ってくる可能性を示唆している。実際、世界中が、民衆革命やニュージーランドの地震等で混乱している状況、更には、北朝鮮問題が先を見えない状況、ロシアの不気味というか、ある種の扇動的な動きも気になる。
今や、民主党政権は、末期的症状で、こういった対外的な危機に目を向ける余裕さえなくなっている。
議会制民主主義が、政党の中央執行部の利益だけを考える政党エゴイズム論争の場と化す中で、日本は、今後、どの様な道を辿るのだろうか、一国民として、大変な危機を感じさせる番組であった。
いくら為政者が愚鈍でも、下々の民の生活は超不景気で貧しいものでも、平和だけが、取り柄である。
ところが、戦国時代、無能な大名がいる国から先に滅んでいったという歴史的事実が想起された。どんな時代にも、ひどい目にあうのは、力のない民百姓なんだ。
それは、「尖閣問題=日中戦争勃発か」という怖ろしい内容。
Q1.「何故、ここまで問題が拗れてしまったのか。」
・中国にとって、尖閣諸島は、国益を左右する重要な領土である。我が国にとって、領土としての正当性が認められるか否かは、死活問題である。しかし、今の菅政権は、この問題については、無関心であり、話合う姿勢さえもみられないので、世論を大きく刺激し、中国国民の心情を大きく損ねた。
Q2.「今後の日中は、戦争に向けて、どの様な道を辿るのだろうか。」
・中国人の中には、米国も中国も核の傘という大きな問題があり、軽率な動きは採れないという見方があるが、仮に、日中が戦争となっても、局地戦闘に終わるだろうとの見方もある。
その理由として、米国にとって、最大の脅威は、ロシア、中国の核であり、結局のところ、中米の直接戦争はあり得ない。それは、つまり、尖閣諸島で戦闘が発生しても、日米同盟に基づいて、安易に米国は動いてこないだろう。
・つまり、日中戦争のクライシスが近づくに伴って、米国側の働きかけはあっても、実力行使はないだろうという見方が、人民解放軍の中にも台頭してきている。そうなれば、中日の軍事力の差を背景に、中国国内には、戦闘に踏み切ろうとする動きも具体化してくるだろう。
・仮に、中国が戦闘を有利に進めた結果、国際世論について考えると、中国、米国、ロシアの三角関係での話し合いになり、中国にとって大きな不利にはならないだろう。結局、日本は、これら3者との交渉に加わることも出来ず、孤立化するだろう。これは、我が国(中国)にとっては、非常に都合の良いことだ。
・現在、中東に反体制的な革命勢力の動きが強まってきている。この動きが、我が国(中国)に拡大する前に、世論の関心を日中関係、つまりは、尖閣諸島問題にすり替えようとする考え方もある。
・今、日本政府は、民主党政権が崩壊に向かっている等、混乱している。軍事力行使には、1つの大きな機会になり得る。つまり、戦闘行為を行うにしても、日本側は、法案を通す必要がある。アメリカの軍隊の様に自衛隊には、内閣総理に指揮権を一任するといった非常措置は、不可能で、緊急の有事立法を行うにも、無理であろう。
Q3.「つまり、中国側が尖閣諸島を武力で占領するには、絶好の機会ということなんですね。」、
そうだ、但し、中国政府にも慎重論もある。その前に、最終的な日本政府の動きを見極めようとするだろう。
ここからは、筆者の感想。
中東の混乱が中国に波及する中で、中国が再び尖閣問題について、攻撃的姿勢を採ってくる可能性を示唆している。実際、世界中が、民衆革命やニュージーランドの地震等で混乱している状況、更には、北朝鮮問題が先を見えない状況、ロシアの不気味というか、ある種の扇動的な動きも気になる。
今や、民主党政権は、末期的症状で、こういった対外的な危機に目を向ける余裕さえなくなっている。
議会制民主主義が、政党の中央執行部の利益だけを考える政党エゴイズム論争の場と化す中で、日本は、今後、どの様な道を辿るのだろうか、一国民として、大変な危機を感じさせる番組であった。
いくら為政者が愚鈍でも、下々の民の生活は超不景気で貧しいものでも、平和だけが、取り柄である。
ところが、戦国時代、無能な大名がいる国から先に滅んでいったという歴史的事実が想起された。どんな時代にも、ひどい目にあうのは、力のない民百姓なんだ。
無番号が一番。 ― 2011/02/24 18:16
あるSF映画で、国民が全て番号で管理される様になり、その遺伝的形質や能力、犯罪歴(性犯罪を含めた)等がデータ管理されている。
納税額に応じて、国民を階層化するが、一度、ブラックリストに載ってしまったら、もはや、逃れるすべはない。番号チップを体内に、生まれた時に埋め込まれており、特殊な装置でないと抹消出来ない仕組みである。
ある主人公が、間違ってブラックリストに載せられてしまって、管理警察に追われることとなる。ある闇医者を頼って、番号の入ったチップの摘出を受けに行く話。
こんな怖ろしげな状況が、菅政権の中で、具体化しそうな状況となっている。国民にとって、「最大の不幸」の始まりである。
僅か7万円の基礎年金を「いただく」為に、一生、番号で24時間管理体制を行う。納税拒否で、海外に逃亡する金持ちも多いが、そういったのを防ぐ目的もある。
つまりパスポート発給制限が、この番号化によって可能になるので、海外逃亡を防ぐことが出来る。
今、年金受給額が、年間300万円位の老人が、タイとかフィリピンに海外逃亡している。夫婦の年金額合計で、死ぬまで安楽に暮らすことが出来る。高い介護保険料、後期医療保険等のお世話にならなくても介護専門の現地女性を雇っても、十分に美味しいものを食べて、健康に生きることが出来る。
時々、日本が懐かしくなるが、日本の様子をTV等でみて、「やはり逃亡して良かった。」と思っている老人も多いだろう。
逃げるならば、番号制度が開始される前にやった方が良い。あるいは、ハッカーさんに頼んで、官公庁の管理システムに侵入してもらって、番号末梢をしてもらうのが一番かも。
VAIO救えず ― 2011/02/24 23:09
結局、出張で壊れたバイオは復活できなかった。今時、600MHZのCPUを積んでXPを動かしているなんて、もう、どうしようもない時代遅れの機械だったが、最低限の役には立った。
HDD自体が壊れていたみたい。このIDEも接続可能なUSBアダプターを3千円でパソコン工房から買って来て、このマシンに接続して、不良セクタとかの修復を試みると同時にMY Documentファイルの吸い出しには、成功したので、銀行取引等のデータは、復旧出来た。

問題は、不良セクターを修復したHDDをバイオに再度、取り付けてXPも起動するのだが、暫くすると、フリーズしてしまう。ひょっとすると、ATPIのインターフェース回路が逝かれているのかも。

というのは、僕は、もともとピアノを弾いていたので、キー操作のタッチが滅茶苦茶強い。バイオは、下側にHDDがケースをネジ止めされているが、これが、カバーを止めているネジでそのまま、マウントを固定しているので、ダイレクトに衝撃が伝わるという凄い仕組み。
それで、IDEのソケットが、マザボに直付けになっており、そこに垂直方向にIDE(ATPI)の端子が刺さる様になっており、衝撃で、接触不良になったまま、なんどか使用している内に、回路自体がおかしくなってしまったらしい。
こうなるとドライブ交換でも、無理。まだ、結論が出たわけではないが、今時にIDEの2.5インチなんて稀少品なので、新品を入手するのもつまらないし、お金がもったいない。
そこで、ヤフオクで、パナソニックの、letsnote Cf-y2をゲット。送料込みで、1万6001円。HDDは、80GBに拡張してあって、新品に交換済み、メモリ512MBつきだという。重さは、1.4㎏なので、バイオとそんなに変わらない。
届いてみたら、なんとこれでA4、CPUは、今頃、PenMの1.4GBだが、凄く速く感じる。このマシンが発売された年は、2004年。当時、僕は、バイオの前の型(Windows98マシン)を使っていた。こんな時期に、こんな、今使ってもあんまり、遅さが感じられないマシンが発売されていたなんて。当時の価格で、29万円前後で、僕は、貧乏なので、これは、とても買えた品物ではなかった。
とにかく、スーパーマルチドライブで、CRPM対応なので、地デジ録画のHDDレコーダで焼いたディスクが再生出来たり、実際の仕事に使用してみたが、僕の様な原始的な物書きの職業では、完全に実用レベル。キーボードも大きく打ちやすい。
唯一の欠点は、やはり嵩張るということである。重さは、凄く軽いが、リュックに入れると少し大変。
当時のレビュー記事も発見。使用して気になったのは、光学ドライブの蓋が上に開く仕掛けなので、少し浮き上がっていて、右手の手のひらに時々違和感を感じたり、ドライブの電源オンオフの音が少し大きかったり、そんな位。画面も大きいし、実際に仕事で使うのは、これくらいでないとということか。
http://direct.ips.co.jp/pc/ihtml/letsnote/sutapa/default.cfm
http://direct.ips.co.jp/pc/ihtml/letsnote/sutapa/default.cfm
俳句ってしんどい ― 2011/02/24 23:13
関西句会の添削が返って来てから、俳句が急に嫌になった。
なんとなく、つまらなくなってしまった。写生写生といいながら、結局、月並みの句を作っているなんて、偽善だと思う。
やっぱり、実際にみてもいないのに、響きの良さそうなことば、有名な事物、時節にあった風物等を適当に組み合わせて俳句にするなんてと思った。
実際、元町を歩いていた時に目に入ったのは、肉饅頭である。肉まんと訂正されていたが、肉饅頭、肉まん、豚まん、全部、違うものである。それを知らないので、こんな訂正がされてしまう。
元町の商店街で、実際に桜餅をこねている人が朝にはいた。手作りの和菓子店だし。あるいは、呉服店では、なくて、着物屋さんで、春の道行きコートが販売されていた。色とりどりに重ねて売られていた。あるいは、実際に海岸の公園で出遭った親子連れの自転車、トランペット奏者、そういったものを実際に詠んでいるのに。
六甲山の雲の動きがどうのこうのと詠んでいる人がいたが、実際に、あんなところから六甲山の雲の動きがみえたのだろうか。
僕は、そんなに目が良くないので見えなかったが、詠んだ人は、凄く目が良いので、本当に見えたから、あんな句を詠んだのだと考えたい。
つまらないものしか、実際になくても、そのつまらないもので俳句を作るから面白いのではないかと考えてしまう。そうであれば、句会としては、可でも、実際にみていないものを詠む吟行等は、あり得ないと思う。
一番、疑問に感じるのは、あんまり名所旧跡、有名人、故実等を気楽に組合せ過ぎることで、俳句の場合は、これに季語を適当に取り合わせれば、インスタント食品の様に句が出来てしまう。
これが、うまい人が作れば、結構、特選句になってしまうので、こういった点が奇妙だと思う。
病床六尺で、最後の方に子規が庭を俳句でスケッチしているが、たしかに、本当に目に入った、一見、つまらないものでも大事に四季の句として読み込んでいる。病床に横たわっている人ならば、名句とか、故実の引用等で句を作っても許されるが、子規は、決してそんなことをしていない。
漱石の俳句は、さすが小説家であり、色彩感は、子規よりも上で、「作られた句」も見事であるが、子規の様な、侘び寂びが感じられない。
桃子先生の俳句の本で、俳句は、点数とか評価を目的に作るのではなくて、折々の日常・人生の一コマ一コマを俳句で綴っていくことに意味があるとおっしゃられていて、その通りだが、実際の句会は、やはり,得点を狙って作られたというか、体裁を整えて作られた俳句が多いと思う。
そういったものをうまく組み合わせるのが「技巧」なんだろうか。
どこまでが、「技巧」でどこまでが、「特性・個性」として認められるのか、添削句をみて考えさせられてしまった。
なんとなく、つまらなくなってしまった。写生写生といいながら、結局、月並みの句を作っているなんて、偽善だと思う。
やっぱり、実際にみてもいないのに、響きの良さそうなことば、有名な事物、時節にあった風物等を適当に組み合わせて俳句にするなんてと思った。
実際、元町を歩いていた時に目に入ったのは、肉饅頭である。肉まんと訂正されていたが、肉饅頭、肉まん、豚まん、全部、違うものである。それを知らないので、こんな訂正がされてしまう。
元町の商店街で、実際に桜餅をこねている人が朝にはいた。手作りの和菓子店だし。あるいは、呉服店では、なくて、着物屋さんで、春の道行きコートが販売されていた。色とりどりに重ねて売られていた。あるいは、実際に海岸の公園で出遭った親子連れの自転車、トランペット奏者、そういったものを実際に詠んでいるのに。
六甲山の雲の動きがどうのこうのと詠んでいる人がいたが、実際に、あんなところから六甲山の雲の動きがみえたのだろうか。
僕は、そんなに目が良くないので見えなかったが、詠んだ人は、凄く目が良いので、本当に見えたから、あんな句を詠んだのだと考えたい。
つまらないものしか、実際になくても、そのつまらないもので俳句を作るから面白いのではないかと考えてしまう。そうであれば、句会としては、可でも、実際にみていないものを詠む吟行等は、あり得ないと思う。
一番、疑問に感じるのは、あんまり名所旧跡、有名人、故実等を気楽に組合せ過ぎることで、俳句の場合は、これに季語を適当に取り合わせれば、インスタント食品の様に句が出来てしまう。
これが、うまい人が作れば、結構、特選句になってしまうので、こういった点が奇妙だと思う。
病床六尺で、最後の方に子規が庭を俳句でスケッチしているが、たしかに、本当に目に入った、一見、つまらないものでも大事に四季の句として読み込んでいる。病床に横たわっている人ならば、名句とか、故実の引用等で句を作っても許されるが、子規は、決してそんなことをしていない。
漱石の俳句は、さすが小説家であり、色彩感は、子規よりも上で、「作られた句」も見事であるが、子規の様な、侘び寂びが感じられない。
桃子先生の俳句の本で、俳句は、点数とか評価を目的に作るのではなくて、折々の日常・人生の一コマ一コマを俳句で綴っていくことに意味があるとおっしゃられていて、その通りだが、実際の句会は、やはり,得点を狙って作られたというか、体裁を整えて作られた俳句が多いと思う。
そういったものをうまく組み合わせるのが「技巧」なんだろうか。
どこまでが、「技巧」でどこまでが、「特性・個性」として認められるのか、添削句をみて考えさせられてしまった。
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