かすかに残る燻煙で蘇った過去の記憶2009/04/07 23:18

CONTAXⅡaで撮影
 関西大学博物館は、私が本来卒業する年であった前年までは、もともと図書館として使用されていた建物で、法文関係の図書、雑誌、資料が収蔵されていた。

 建物は、昭和30年代に円形部分が建築されたが、その奧の長方形の建物や書庫は、昭和初年に建築されたもので風格があった。

 私が今回、その博物館を訪れて感慨深く観察したのが、この装飾模様である。この付近には蔵書目録カードの部屋があった。カードを繰るのに疲れた時、ふと、宙を見上げると、この模様が目に入って来て、無意識の内に眺めていた記憶が蘇って来た。

 この博物館が「法文図書館」としての機能を停止してから23年が経過しているが、未だにかすかに図書の虫除けの「燻煙」の香りが残っている。

 「燻煙」は図書館の夏の風物詩であった。当時は、図書館には冷房もなかったので、地獄の暑さであった。それでも、夕方になると涼風が巨大な東洋一と言われたグラウンドから吹き込んできた。

 日が暮れてもなお、練習に明け暮れる選手達の声や応援団の太鼓の音等も記憶に残っている。暑さの夏も過ぎて、秋が深まれば、法文坂の下り斜面の銀杏並木が非常に美しかった。


 朝6時に家を出て、8時30分に大学に到着(ラッシュ電車を4本乗り継がねばならなかった。)午前中の授業が終わって午後から図書館での読書三昧。

 おかげで、まだ二十歳台なのに、膝から下が鬱血して、痔が酷くなってしまった。

 大学1年の間は、各種の書誌や、索引に精通する為の訓練に明け暮れた。現代と違って、検索カードや目録が頼りであり、この所在を含めて全ての所在を把握しておく必要があった。

 4回生になって肥田皓三先生に頼み込んで、書庫への出入りを許可してもらった。そうしたら、未だ、目録に記載されていない和書を多数発見、その特長等も丹念にノートに書き込んだ。
 

 大学ノートは、目録の目録や和書に関する情報等埋まっていった。気がつくと閉館時間になっていた(午後8時位か)。

 帰宅すると午後10時で簡単な夕食を済まして、午前1時位まで語学や演習の予習、へとへとになって床について、翌日は5時には起床する毎日だった。

 今も、清水好子先生の伊勢物語や源氏物語の講義ノートや、この「図書館ノート」が私にとっては宝物という存在となっている。

 これらを眺めていると、当時の私は、勉学と研究以外には、なんの興味もなかったことが判り、もっと世間一般のことにも触れておく必要があると覚ったのは、大学を卒業し、就職に失敗して、日雇い仕事や、写植、営業、業界紙記者等職を転々とした後、何年も経過してからだった。