浦西先生のこと等2009/04/28 00:02

 私が関西大学時代にお世話になった浦西和彦先生が『浦西和彦 著述と書誌』全4巻を出版されたのを記念する祝賀会が、今日、大阪梅田の新阪急ホテルで開催されたので、出席した。

 当日は、関西の近代文学界を代表される重鎮の方々が集まられた他、関西大学からは、学長先生や学部長、国語国文学専修の先生方が出席され、浦西先生の偉業を讃えた。

 佛教大学からも三谷先生が来られていた。私個人としては、関西大学の時にお世話になった浦西先生、吉田永宏先生、伴先生、宇佐見先生等一挙にお目にかかることが出来て、非常に懐かしかった。

 谷沢先生は、ややお年を召されているが、相変わらず昔どおりの弁舌闊達な様子に触れることが出来たし、片桐先生や関西大学の中古文学の先生方ともお話をする機会が得られて楽しかった。

 勿論、浦西先生の『著述と書誌』は、素晴らしいと思う。お土産に配られた浦西和彦教授著書紹介という冊子を帰りの電車の中で、順番にページをめくって読んでいくと、冒頭の著書目録を年代順に配列された中で、平成15年以降は、毎年の様に大部の著作を出版されている。その中で、やはり、白眉は、『著述と書誌』第3巻年譜 葉山嘉樹伝であり、この『著述と書誌』4部作を関西大学での研究成果の締めくくり、ライフワークの総決算として、計画を立てられて、それを着実に実行に移されたのだと思う。


 谷沢永一先生が、若い頃の浦西先生のお話をされた。著書紹介の14頁に、浦西先生が20代の終わり頃の写真が載せられている。浦西先生の国文学科の卒業論文は、「紫式部日記」で近代文学ではなかった。しかし、赴任先の高校文芸部を指導する内に近代文学書誌の面白さに取り憑かれ、次々と新発見や書誌を発表される等、着々とその人生の礎を築かれていった。

 谷沢先生に才能を見いだされて、関西大学の教授に就任されるまでの道のりも平坦ではなく、大学院を出ておられない先生が大学の正規の講師になられるのに反対の声もあったという。それらを全て押しのけられて、谷沢先生は、浦西先生を関大の教授に推薦されたのである。

 私が関大に入学したのは、昭和56年の4月である。基礎ゼミ(名前は忘れた)の担当が浦西先生であった。当時は、教授になられたばかりで、先生も若々しく青年というか童顔であった。指導はなかなか厳しかったが、開高健の作品が演習にも取りあげられ、初出誌を捜してくるのだが、それが、週刊誌であったりしても必ず掲載紙を捜し出さなければならなかったことを記憶している。新聞や週刊誌の連載物は、図書館に所蔵されている雑誌類があればよいがそうでない場合は、廃品回収業の様なこともしなければならない。

 この演習を通じて、図書館には驚く程の雑誌が収蔵されているが、それらの記事内容は、学術誌であれば、目録やデータベースが当時でも不完全ながらもされていたが、一般の娯楽誌の場合は皆無なので、一つ一つ当たる作業の中で、大昔の新聞や雑誌を図書館で見つけたり、記事を読んだりする楽しさを見つけ出した。

 これは非常に楽しく、関大を卒業してからも図書館で、古い雑誌や新聞(明治、大正期を含めて)をみて楽しむ趣味を見つけ出した。

 これも全て先生のおかげである。仕事をさぼって関大の図書館で雑誌や新聞漁りを続けている私を浦西先生は発見されて、「やぁー」と声をかけて下さったりした。

 先生は、これからも今までのペースで書誌の研究や作成を続けられるという。今後もお元気で更なる成果を挙げられることを期待している。

「闇に隠れて生きる」2009/04/28 23:06

CyberShotDSC-W120で撮影
 大体10歳位の頃、妖怪人間ベムが午後4時30分から5時位までTV放映されていた。
 麻生総理もこの番組のファンだったそうだ。(そんな感じがする。)
 このアニメで気に入っていたのが、ベラである。この女妖怪をみていると、心がワクワクとしてくる。「あの、鞭に打たれてみたい!」

 あのJAZZYなバックミュージックも魅力だった。
 一番恐かったのは、頭蓋変形の措置を受けたミイラが蘇生する場面だった。

 近所にベムに似た少年がいた。欠食児童で良く、近くの寺にお供え物を一緒に盗みに出かけていた。

 寺の庵住さんは、見て見ぬふりだった。
 「早く人間になりたい....」
 普通の人間の様な生涯が当時から送れない様な気がしていた。彼も一緒の気持ちを持っていたようだ。

 ベムの一家は、大体、夜の10時頃に近所の長家を出かけていく。おそらく水商売で、ベムもどこかに一晩中待機ということなんだろう。

 当然、学校には出てこなかった。出てきても虐められるので、大体、午前中は、私と白黒TVのアニメをみたり、近所をブラブラして遊んでいた。

 その頃が懐かしい。

 そういった時代に戻ってみたい。そんな気持ちで撮影したのが、このタイムマシンの写真である。タイムマシンは私の頭の中では完成している。以前、ヤフーオークションにタイムマシンが出品されていたラシイ。

 一番問題なのは、時間旅行の最中の電源の確保である。コンセントが使えないので、強大のエネルギーを自分で作り出す必要がある。出品されていたキカイは、これが出来ないので、実用にはならなかったようである。

 タイムマシンに戻ったら、過去の自分に遭遇するだろう。こんなみっともない大人になっている自分が自分をみた時、どんな風にもう1人の自分は思うだろうか。