LUMIXで撮る!春のフォトコンテスト2009/04/05 00:20

LUMIXで撮る!春のフォトコンテスト P1010568 またまた、落選と思うが、取りあえず、応募してみた。 案外に良い作品は少ない。 今回からPICMATEの会員になってそこのコンテストのアルバムアップロードする仕組みになっている。 会員相互の作品を通じての交流の場を想定しているらしい。 http://club.panasonic.jp/mall/lumixclub/open/event/09spring/index.html

日本の撃墜王2009/04/05 00:39

「歴史通」WILL別冊4月号

 今回は、「零戦と坂井三郎」という特集。
 定価800円だが、これだけ800円払って得をした気分にさせられた雑誌はない。

 坂井三郎は、名零戦パイロットで、先の大戦を通じて活躍、通算64機という撃墜歴を誇るまさに「撃墜王」に相応しい人物である。

 この人に匹敵するのが、ドイツ帝国のリヒト・フォーヘン男爵で80機を撃墜している。しかし、三枚複葉機のフォッカーは、ドッグファイトの為に作られた様な機体であるが、零戦とは、速度も敵機の強度も火砲の威力も全く違う。

 第1次世界大戦の空中戦は、機体を破壊するというよりも、パイロット同士の一騎打ちの撃ち合いである。しかし、第2次世界大戦では、編隊戦であり、ドッグファイトの性質が異なる。

 ラバウルで負傷するまで坂井は、大量の写真を愛用のライカカメラを持参して、空中戦の様子を記録していたという。ところが、残念なことに負傷して帰国する時に大部分が失われてしまった。

 そこで手記を元に佐竹正夫画伯が美しいというか凄い絵を残しており、その中の数枚が掲載されている。この絵だけでもこの雑誌の価格相応の価値は果たされている。

 ゼロ戦の登場当初から終戦が近づく頃に開発された52型の機体までの変遷や戦史は他の本にも書かれているが、坂井個人の戦闘歴や日本軍の特攻行為への考え方、戦陣訓等への否定的な考え方等、ユニークであり、実に、本当の強者であったと言えそうだ。

 特攻作戦では多くの犠牲が出ており、この行為自体がいけないことであるが、それよりも、折角、命を国家に捧げて敵艦に体当たりしていくのだが、大抵は途中で打ち落とされてしまって、無駄な命を散らすことになった点を強く非難している。

 250キロ爆弾を抱えていては、時速200キロ程度しか出ないので、敵艦の機関砲の餌食になる。爆弾を50キロに落とせば、巡航速度に達するので攻撃の成功率が高まると坂井は指摘している。また、50キロ爆弾で空母の甲板を使用不可能にするのには十分だという。

坂井は、西暦2000年、84歳まで生きながらえた。しかし、他のエリートとは異なる視点から終始、零戦と第2次世界大戦を振り返ってみていた点が異なるので興味深い。

 特に、第2次世界大戦を記念する催しに渡米した時に、アメリカ人がかっての敵国の撃墜王を憎しみの目でみることがなく、フェアな目でみてくれている点が、日本人とは異なる点であり、こうした広い視野を日本人がもたない限りは、同じ過ちを繰りかえすことにもなりかねないとの意見も持っていたようだ。

 写真は、52型のミニチュア。

HOのスケール感と走行に酔いしれる。2009/04/05 23:03

FZ28で撮影
 今日は、午後から関西大学のスプリングフェスティバル2009に参加してきた。

 入り口の近くの建物で、鉄道模型の同好会?の方が、昨年に引き続いて走行デモをやっていた。

 HOで壮大なスケールなので、暫し、感動....

 子供達も大喜びでした。さすが、走行にリアルだけれどもやや明るさが足らないので、撮影に苦労する。

 こうゆうのをみているとまた、模型がやりたくなってくる訳。

それにしても桜の花は、あんまり好みではない2009/04/05 23:10

FZ28で撮影
 自宅の近くの桜は、未だ六分咲き位だが、関西大学の桜は、八分咲きから満開状態。今年は色が濃いめで美しい。なかなか、気温が上がらなかったことが花の色にも影響しているようだ。

 それにしても桜の花は、あんまり好みではない。桜花粉アレルギーで、あの独特に甘い様なメントール系の様な匂い感も、ちょっと遠慮したくなる感じ。

 山桜は好きであるが、自宅のは、未だ咲かず。FZ28で撮影したが、やはり、面白くない。

一抹の寂しさと惨めさ2009/04/05 23:24

FZ28で撮影
 「桜兄弟」というわけでもないが、この銅像は、関大に私がいた頃からずっと存在し続けている。

 桜の花の色が周囲に散乱して、まるでフィルターをかけたようで幹に色をみてもセピア色っぽい感じだが、別になにか細工をした訳でもない。

 関西大学、毎年、スプリングフェスティバルに出かける度に想い出の場所が破壊しつくされているのが判る。昔日への執着のあまり、現在の関大の姿を素直にみようとしないというのもあんまり感心できないので、これからは、考えを変えていくことにする。

 今日は、この大学の卒業生が大学を訪れても良い日となっている。昭和中期に卒業された人、私の様に昭和末期に卒業した人、あるいは、平成になって卒業された人、つい昨年卒業された人、それぞれの「関大の原風景」を持っている。それは、心の中にしっかりと刻みつけている風景である。

 大学で思いっきり勉学や遊びに友人達と興じた人は、その「原風景」は、豊かで鮮やかである。それは、1つの「心的風景」でもあり、「現象風景」とは、別個のものであるようだ。

 私は、大学4年の時に折角決まった内定先(印刷会社の営業)が期日までに、自動車免許がとれなかったので、取消になって、1年留年をしたが、友人達がみんないなくなった大学は、抜け殻の様で、その時、既に「心的風景」は消え去っている。また、現実に目を背ける傾向が私はあり、友人も少なかったので、この「心的風景」も希薄である。

 しっかり、「心的風景」を持ち続けている人は、大学は全く様変わりしてしまっても、楽しそうに、旧友達と談話している。また、1人で感慨に耽っている人もいる。

 でも、私は、そういった中に入っていけない寂しさを毎年、このスプリングフェスティバルの日に感じ続けているのである。

 私は、どこにいても駄目なのである。