鬼退治の真相2009/05/10 00:26

 昨日の斎藤英喜先生の日本神話の講座で、桃太郎が取りあげられた。

 黄泉国でイザナギが、イザナミが放った追っ手黄泉醜女を退ける為に桃の実三個で撃退する場面がある。

 桃の実に鬼を追い払う力があるという言い伝えがおとぎ話にみられる例として、桃太郎の鬼退治を挙げられた。

 その説の正否は別として、WIKI等を検索してみると、桃太郎のモデルは、吉備津彦命で稚武彦命が吉備の国を平定したという言い伝えが元になっているとしている。この場合は、鬼は、ヤマト朝廷に敵対する吉備の国であり、岡山県総社市鬼ノ城で百済の王子、温羅を討ったという伝説がある。つまり、吉備国は、朝鮮の豪族と結んで中央政権に立ち向かおうとした戦い(イクサ)であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E

 ところで、実は、私の父方の姓は、百目鬼と書いて(ドウメキ)という。
 昔、朝日新聞社の論説委員で同姓の人がいた。(現在、私は、母方のF姓を名乗っている。)

 「鬼」の字がつくので興味があるので、調査してみたところ、なんと、平将門の乱の時に、味方した鬼が将門が討たれても尚、抵抗したが、結局、僧侶の力で調伏されたという言い伝えが元になっているようだ。

 百目というのは、実際に百個目玉があるのではなくて、2つの目玉が50で合計100という意味で、真相は、50人位の将門の手下(残党)が頑強に抵抗したが、結局、屈服したというのが真相だろう。僧侶は、実際には、降伏を促す為に仲介役だったとみられる。つまり、中央政権に刃向かったものは、全て、「鬼」扱いされるのが、古代社会の常識である。

 また、僧侶というのも良く考える必要がある。百目鬼姓は、栃木と福島の県境で起こった姓であるとみられる。平安時代初期には、仏教は庶民には、完全に浸透していなかったとみられる。将門は、こうした反仏教の勢力を反乱に加担させたのである。一方、僧侶は、国家鎮護仏教の象徴である。つまり、地方の土俗信仰が国家仏教に屈服したのである。

 私の父親の実家は、様々な民俗伝承が残っている。いくつかの地域信仰を司る役割を村落の中で担っていた様である。

 また、通常の耕作民ではなくて、山にも入っていたらしい。嫁は、必ず機織りの役目があり、世襲されていたという。(様々なウチの家特有の言い伝えもあり、非常に面白い。)

 こうした特殊な能力も、代々嫁に受け継がれていたようだ。山の神を迎えにいく為の所作を仕切っていたらしい。そうした家の印として、私が幼いころに訪問した家の藁葺き屋根には、不思議な飾り物がつけられていた(この辺りは、かなり怪しいので眉に唾をつけて読んでいただきたい。)

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 「鬼退治」が、黄泉の国の幽鬼や妖怪退治ではないので、それと桃の実を直接、結びつけるのは難しいのではないだろうか。

 少なくとも6世紀より以前、まだまだ地方豪族の力が強かった時代、中国地方平定をめぐるヤマト朝廷と地方の戦があった。

 こうした伝承が鬼退治として変化し、更に鬼から中国伝説にも出てくる。鬼退治に威力ある桃の実譚と融合したとみられる。そうなると、桃太郎伝説自体は、そんなに古い時代ではないだろう。

 しかし、どう考えても桃の実が何故、川上がから流れてくるのだろうか。果実の中から子供が出てくるという伝説が別にあり、鬼退治伝説と結びついたのかも知れない。

 いずれにしても、身近のおとぎ話でも色々と考えてみるとなかなか面白い。