海外渡航者は、10日間の自粛を、そして食料の備蓄が必要2009/05/06 13:00

 「馬が逃げた後に馬小屋の扉を閉めるものだ」とWHOが今回の新型インフルエンザに対して日本等が行っている水際作戦を批評して発言している。

 これは、現時点で、高熱、咳、下痢等の症状が出ていなくても、ウイルスに感染している可能性がある為だ。だから、ゴールデンウィークの観光目的や短期間の海外渡航者に関しては、検疫自体の意義は薄い。

 つまり、感染後、7~10日間の潜伏期間がある。(この時点で感染していても他者に伝染する可能性は十分にある。一般に発症とは、体内のウイルス数が一定水準を超えてみられるものであり、その水準に至らなくてもウイルスは既に体内に寄生している。)

 だから、例えば、アメリカやメキシコに先月の26日から今月5日までの約10日間滞在したとすると、ようやく最初に感染した分の症状が出てくる時期に入る訳で、一般的な発症が頻発するのは、来週の10日から17日までの1週間である。この期間が無事過ごせれば、感染がないことがようやく判る。

 連休明けで大量の外国旅行者が楽しい想い出と共に帰国してくる訳で、この人達が国内を徘徊する今週から来週にかけてが一番リスクが高い時期である。

 おそらく国内初の感染者は、来週辺りに出てくるかもしれないし、人→人感染が始まるのも来週以降である。

 日本で大量感染者が発生した場合には、どの様な段階を経て規制されるだろうか。

 ①水際作戦の失敗
 ②国内感染者発見
 ③人→人感染確認と感染者の増加
  この時点で旅行制限や国内検疫体制の強  化
 ④感染爆発
  この時点で、外食産業や映画館、学校、その他の感染が増える可能性がある業種・施設の制限
 ⑤厳戒態勢(有事)
  それでも感染拡大が収まらない場合には、飲料、食料品の販売禁止、交通機関での検疫・消毒実施、事実上外出制限令が発令される。

 これが私の独断と偏見による予想だというのならば、農水省のこのWEBをみて欲しい。

新型インフルエンザ対策ガイドライン http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/pdf/kozin.pdf

家庭用食料備蓄品ガイド
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/pdf/kozin.pdf

 外出制限令が実際に発令されることを想定して農水省では、次の食料品を国民に備蓄すべきだと説明している。

◎なぜ食料品備蓄が必要か
「新型インフルエンザへの感染を避けるためには、感染者との接点を極力減らすため、不要不急の外出をしないことが重要です。また、発生直後などは、食料品の需要が一時に集中し、思うように手に入らないおそれもあります。このガイドに紹介する方法などを参考に、計画的に食料品の備蓄に取り組みましょう。

はじめに
新型インフルエンザに備えるための留意点

新型インフルエンザの流行の周期(流行開始から小康までの期間)は2 ヶ月間程度に及ぶと考えられています。この間、食料品を買う機会はあると考えられますが、できる限り長期間分、最低でも2 週間分の食料品を備蓄することが推奨されます。一方で、地震災害とは違い、新型インフルエンザが発生(流行)しても電気、ガス、水道といったライフラ
インを確保するよう対策が進められていますから、通常は熱源や水を使った調理が可能と考えられます。備蓄スペースとして冷蔵庫も活用できるでしょう。ただし、政府の想定では「保守・運用の従業員不足により地域的・一時的に停電等が生じるおそれ」があることも指摘しています。このため、ある程度の期間の停電等に対処する方策についても合わせて考えておく必要があります。」

 つまり、国家非常事態になった場合には、ライフラインの停止や食料品の販売停止等の措置が2ヶ月間も実施されるという可能性がある。政府では、国民の非常事態の発生を踏まえて2ヶ月分の保存が効く食料品の備蓄を呼びかけている。例えば、お米が10キロ以上とか膨大量になる。

 不思議なのは、今からでも準備が必要なのにマスコミ、報道では、この事実を公表していないことである。また、政府も国民への放送等での告知を見送っている。

 まぁ、震災等の非常時にも役に立つので、保存期間が切れたものから消費して、補充しておけば、備蓄しておくのも良いかも。

 また、企業でも移動制限措置が実施された場合の対策等を考えておく必要があるかもしれない。

 写真は、記事とは関係なく、マミヤ6で撮影した躑躅の花。

白坂氏の「言葉のエロス」2009/05/06 19:17

 今回で何回目だろうか、「語り工房」の「万葉の風シリーズ」(4月27日東京で公演、5月6日午後4時からラジオNIKKEIでオンエアー)

 ラジオNIKKEIのインターネット放送で視聴し、パソコンの音声から超録というソフトでエアーチェックした。

 前回のオンエアーは、たしかお正月の放送ではなかったかと記憶している。今回は、4月27日の講演から殆ど間もない時間でのオンエアーである。

 ライブ特有のノイズ等も聞こえるし、ライブ特有の技術的な瑕疵もある。しかし、それらの欠点を乗り越えて、本番の公演の迫力が迫ってくる。この録音のノイズの影の向こうには、息をこらして聴いている聴衆の姿、気配が浮かび上がってくるのである。

 前回は、たしか恋歌の特集であったが、今回は、ジャンルに拘らず、「良い歌」を選んでの朗読である。

 それだけに名歌が多い。そうなると気になるのは、現代語訳である。

 現代語訳は、佛教大学の田中みどり先生がされたと思う。実に正確で的確かつ妥当な表現である。しかし、そこには、詩歌につきものの、情感の冒険的な大胆さとか、情感の高まりに読み手の冷静さを失った言葉の威力を聞き取るには、少し、醒めているような気がする。

 学者は、詩人ではない。言葉の注釈、語義についても上代語の研究史の成果を無視した解釈は出来ないという制約に縛られざるを得ないのである。

 例えば、天香具山の歌を寺山修司が現代語訳したらどうなるだろうか。おそらく、独断と偏見に満ちた歌になるだろうが、新たな言葉の生命力が現代語に置き換えられても付加されるだろう。あるいは、折口信夫(田中先生はお嫌いならしいが)、その他の文芸学者の現代語訳等もこうした朗読で聴きたくなってしまった。

 そうなると、白坂氏の朗読は、一層、生彩を帯びてくる。元々の言葉は、そのまま言霊に結びつく、「理性による論理的な解釈では説明が出来ない言葉の影の部分」、それが、「言霊」である。

 言霊の成分は、言葉の「響き」を媒体として、語り手の口調の中に蘇る。

 前回の公演で白坂氏の声は、恋の歌を朗読するには、固すぎると思った。おそらく、古代語の尊厳さといったそういったものを尊重するあまりに、あの源氏物語朗読にみられた様な妖艶さというものを押し隠していたのだろう。

 ところが、今回の白坂氏の朗読を聴いて、ゾクゾクっと来た部分があった。「言葉のエロス」が、伝わって来たのである。これまでにない新たな魅力だと思うし、もっともっと、万葉集や記紀歌謡の朗読にも取り組んでもらいたい。

 深沢氏の朗読には、声質にマテリアル的な存在感、実在感、言葉の重みを加えようとした努力がうかがえる。恐らく、大変な努力をなさったんだろうと思う。その成果が見事に発揮されている。

 だが、いかんせん、現代語訳なので、白坂氏の原文朗読に比べて大きなハンディがある。どうしても説明的に聞こえてしまうのである。現代語訳のやり方もあるが、詩歌の朗読には客観性よりも情感の表現が必要なのである。

 次回は、白坂氏が現代語訳、深沢氏が原文を朗読してもらいたい。そうすると、この公演シリーズに新たな発見が期待出来るかも知れない。