28年前の横田健一先生の講義2009/05/27 17:49

lumix-G1で撮影 標準ズームレンズ
 私は、過去の出来事を想い出す時は、夢の中が多い。

 先日の籠神社について、今から28年前に横田健一先生の講義を受けている時の夢をみた。

 もう、春も終わり頃のちょうど今の様な時候、私は、関西大学文学部の横田健一先生の古代史の授業をモグリ聴講していた。国文学科の学生が、他の学科の先生の講義を聴講する制度は、大学院は兎も角、学部生には、なかった。

 何時も白か薄いブルー、もしくは、グレーの開襟シャツを着ておられ、かなりお年にもかかわらず腕っ節が強そうな感じの先生だった。ズボンは黒色。顔がガッシリとしており、やや面長、顎は、少し角張っていた。

 お話の口調はゆっくりとだが、威厳と気品があった。今の大学教授には、こんな人はおられないだろう。

 「君たちは、籠神社を知っておるかな。」と学生達に尋ねられた。
 (手を挙げる私)
 「ほう、どこにあるか説明してご覧。」

 (高校時代に天橋立を旅行した時にバスガイドさんから聞いた古い系図の話やアマテラスの話等を雑然と話す私)

 「そうなんだ。ここには、海部氏という天皇家よりももしくは古いかも知れない由緒ある氏族の系図が保管されている。昭和二十六年の夏の終わりの頃じゃった。関大の史学科の古代史を研究しているグループでは、海部氏系図について注目しておった。それで、系図の拝観を宮司さんにお願いした訳じゃ。
 宮司さんは、『あんたは、どこの大学を出たのか。京大か。あんたの師匠の**先生(名前忘れた)さえ、モーニングに白手袋をして、床の間に置かれた系図を拝むようにしてご覧になられた。ところが、あんた方は、どうじゃ、あんた(横田先生)は、背広、ネクタイをしておられるが、他の方々は、開襟シャツという裸同然の姿をしておられる。それで、失礼だと思わないのか。』と断られて、ついに見ることが出来ず、本当に残念だった。」

 戦後直ぐのこの時期は、アメリカとの戦で敗れ、敗戦国日本の軍国主義と神道が結びついていたという誤解を受けて、批判され、日本神話や日本古来の神々が軽視、侮辱された時代であった。

 当時の宮司であられた海部穀定氏は、教育のアメリカ化、天皇制や神道批判が吹き荒れ、人心が荒廃していった不毛の時代に、大きな抵抗と不信を持っておられて、どうしても閉鎖的になってしまわずにおられなかったのだろう。

 横田先生は、このお話を学生達に何度も話されたそうで、別冊歴史読本「古事記・日本書紀の謎」にもこの話を書かれている。

 私は、ナマでこの話を聞いたが、古代史の中で、皇室に匹敵する歴史を持った氏族の系図が残されているという事実を改めて認識した。それが古代史に興味を持つきっかけになった訳。

 いま、丹後郷土資料館に行けば、複製本であるが、自由にこの系図をみることが出来る。時代は、大きく変わった。古代史の秘密の資料が一般の研究者がみることが出来る様になり、古代史や神話の研究は更に進歩するだろう。

 横田先生は、佛大でも教鞭を執られたことがあるそうで、それは、佛大の通信に入ってからその事実を初めてしった。

 写真は、天橋立の顔の無いお地蔵様。
 なんどシャッターを半押ししてもピントが合わなかった。
 写真を撮られることを嫌がられたのに違いない。