神戸が量的には、多いが、震災で多くが失われ京都に追いつかれてしまった2010/01/28 21:11

 神戸、大阪、京都の中で、明治期以来の洋風建築について、量と質をみると、やはり、神戸が量的には、多いが、震災で多くが失われてしまった。量的には、京都に追いつかれてしまった。

 質的にみれば、神戸の洋風建築と京都の洋風建築の活かされ方をみると、観光文化財を除いて、一般建築等をみると、京都の方が、優れている様な気がする。神戸や大阪の洋風建築は、レストランや貿易会社のオフィスとして活かされている例が多く、特に神戸は、そういった例が多いが、京都の場合は、一般の店舗等もあり、地域文化と伝統文化の融合の中で、独自の文化の匂いというのが感じられる様な気がする。

 こんなことを言ったら神戸の人に怒られるかも判らないが、そうだと思う。

 神戸、大阪、京都の三都の文化の特質について考えると、大阪の文化は、芸能、音楽、文化財等全ての点でスケールが大きいが、質的に散漫な感じがある。京都は、大阪の文化と比べてスケールは小さいが、質的な吟味が優れている。

 例えばオーケストラについてみると、大フィルは弦楽アンサンブルが優れているが、大人数のマス的な表現が得意だが、京響は、ソロの管楽器が優れている。個別の質という点では、大阪は京都には適わない部分もある。

 さて、神戸についてみると、あらゆるマテリアルが、豊富に色とりどりに狭いスペースに揃っているが、やはりスケールが小さいような気がする。

 神戸は、シンフォニーよりも室内楽の方が適した街だと思う。

 また、神戸は趣味の街でもある。それは、花隈南通りの商店街を歩いてみると判る。大阪や京都の人なら見向きもしない様なオタクの商品が暗くて狭いモロッコ様なスペースにところ狭しと並べられている。

 特に中高年の人達に趣味人が多い。そして、自らの趣味に強いポリシーを持っているので、モノを買う場合には言動には注意が必要である。

 神戸は、こうゆう点で魅力的な街であるが、同時に手強さと何やら底知れぬ沼の様な深さを感じて、少し、恐ろしい。

 写真は、神戸の居留地の跡、地震で崩壊して煉瓦塀のみ残されている。

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