雨漏りと靴の水漏れ2011/03/01 23:56

今日も、大阪に出かけたが、鵯越えの辺りは、一面の霧の様なものが立ちこめていた。そういった中を電車が走り抜けていくのは、やはり、面白いと思う。

静かに降っている雨の様だが、2階の天井に雨漏りを発見。早速、M産業さんに、連絡したが、また、出費が嵩んでしまうだろう。

雨漏りは、何が何でも治さないと、全てが駄目になってしまうので、大変。借金しても治すべきであると思う。

靴も水漏れを発見で、今日、買い換えた。1足2千円。この靴は、凄く良い時と悪い時がある。同じメーカーなのに不思議だと思う。

○陋屋に未だ居座る春炬燵
○春泥に靴をとられし夕まぐれ
○新しき靴さえ濡れて春の雨
○玉筋魚の皿一杯に陣取りて
○山越えの春霧に線路消え
○松ヶ枝の春雨に濡れ匂い立つ

苦しみから逃れるには世を捨てる以外にない2011/03/01 09:16

 間もなく、叔母の1周忌になる。姉の葬式にも出なかった母親であるが、毎年、この時期に飾っている小さな紙製の雛人形を今年は、飾っていないところをみると、やはり、悲しさが心の底に広がっているようだ。

 僕にとっても叔母唯一の親族の中での理解者であっただけに、未だに、その空虚な気持ちは消えない。

 この年齢になって何故、人は結婚するのか理解出来る様になった。それは、社会的な立場や子孫を残すということだけでなくて、単身では、肉親の看取り(介護)や死別の苦しみに耐えられないからである。

 生老病死の苦しみから逃れるには、一切の交わりを立って出家する以外にないが、僧侶なのに妻帯が当たり前の今の日本仏教では、その様な場が提供されていないので、無理である。

 タイとかビルマに帰化して、僧侶になる以外になく、まさに水島上等兵の世界である。結局、戦友とか死者を弔うにも、今の日本の出家・在家共に、世俗のシガラミと離れることが出来ないので、水島上等兵は、ビルマの地に骨を埋めることにしたのだと思う。

○折り紙の雛も飾らぬ一周忌

ようやく白梅が開花2011/02/26 10:03

 昨日は、佛大四条センターに黒田先生の講義を聴きに出かけてから、帰宅してから体調が悪くなり、そのまま寝込んでしまった。朝、実家で目覚めると、白梅が数輪ようやく開花していた。

○廃駅の彼方に幽か春の海

○白梅のようやく咲きぬ朝の庭

○鉢の木の故事も忘れて梅の花

○水仙の咲き乱れたる島の宿

○おのころの島影霞み風優し

俳句ってしんどい2011/02/24 23:13

 関西句会の添削が返って来てから、俳句が急に嫌になった。

 なんとなく、つまらなくなってしまった。写生写生といいながら、結局、月並みの句を作っているなんて、偽善だと思う。

 やっぱり、実際にみてもいないのに、響きの良さそうなことば、有名な事物、時節にあった風物等を適当に組み合わせて俳句にするなんてと思った。

 実際、元町を歩いていた時に目に入ったのは、肉饅頭である。肉まんと訂正されていたが、肉饅頭、肉まん、豚まん、全部、違うものである。それを知らないので、こんな訂正がされてしまう。

 元町の商店街で、実際に桜餅をこねている人が朝にはいた。手作りの和菓子店だし。あるいは、呉服店では、なくて、着物屋さんで、春の道行きコートが販売されていた。色とりどりに重ねて売られていた。あるいは、実際に海岸の公園で出遭った親子連れの自転車、トランペット奏者、そういったものを実際に詠んでいるのに。

 六甲山の雲の動きがどうのこうのと詠んでいる人がいたが、実際に、あんなところから六甲山の雲の動きがみえたのだろうか。

 僕は、そんなに目が良くないので見えなかったが、詠んだ人は、凄く目が良いので、本当に見えたから、あんな句を詠んだのだと考えたい。

 つまらないものしか、実際になくても、そのつまらないもので俳句を作るから面白いのではないかと考えてしまう。そうであれば、句会としては、可でも、実際にみていないものを詠む吟行等は、あり得ないと思う。

 一番、疑問に感じるのは、あんまり名所旧跡、有名人、故実等を気楽に組合せ過ぎることで、俳句の場合は、これに季語を適当に取り合わせれば、インスタント食品の様に句が出来てしまう。

 これが、うまい人が作れば、結構、特選句になってしまうので、こういった点が奇妙だと思う。

 病床六尺で、最後の方に子規が庭を俳句でスケッチしているが、たしかに、本当に目に入った、一見、つまらないものでも大事に四季の句として読み込んでいる。病床に横たわっている人ならば、名句とか、故実の引用等で句を作っても許されるが、子規は、決してそんなことをしていない。

 漱石の俳句は、さすが小説家であり、色彩感は、子規よりも上で、「作られた句」も見事であるが、子規の様な、侘び寂びが感じられない。

 桃子先生の俳句の本で、俳句は、点数とか評価を目的に作るのではなくて、折々の日常・人生の一コマ一コマを俳句で綴っていくことに意味があるとおっしゃられていて、その通りだが、実際の句会は、やはり,得点を狙って作られたというか、体裁を整えて作られた俳句が多いと思う。

 そういったものをうまく組み合わせるのが「技巧」なんだろうか。

 どこまでが、「技巧」でどこまでが、「特性・個性」として認められるのか、添削句をみて考えさせられてしまった。

やはり、俳句って難しい!2011/02/21 23:18

関西句会の桃子先生の添削と評価が返ってきた。

封筒を開けて自分の句の評価をみて、唖然。



△肉饅頭ムフフの春や中華街

「肉饅に」の方がマシという。当日は、○2つだったが、評価は低い。僕も大したことはないと思っている。

△占師春歴前に目をつぶり
 
 春歴前に目を閉じ座る占師

 といった様に占い師が後に来た方が良いという。僕は、どうかなと思う。

○春の海トランペットの音高く

 添削なし。この句もつまらないと思う。無難だから、○をもらったんだろう。

△桜餅こねる手先に湯気立ちて

        「湯気立てり」



選外句
 早春の親子自転車風切りて
 藍染めのトートバックも春の柄
?着物屋の道行きコート春重ね

 「重ね」と僕は書いたが、清書する人の判断で、かさねと書かれたので、重ねなのか、襲衣なのか判らないという評価。 

という訳で、◎は、一個もなし、やはり、俳句って難しい!

梅も1週間ぶりにみたら、七分咲き位にまでになっている2011/02/20 10:42

実家の梅も1週間ぶりにみたら、七分咲き位にまでになっている。白梅は咲いていない。

白梅、紅梅が揃って咲くのが良いと思うが、なかなかうまくいかない。

○梅が香の日々まさりゆく窓辺かな

一昨日に出張から帰ってきて、そのまま深夜まで仕事、昨日の午前中も仕事。

ようやく童子投句の選定と清書が出来た。
すっきりした気分で近くのポストまで谷底の道を歩いていくと、ようやく春の風情。

秀家の句を作り直した

○秀家のオラシオ絶えて春の城

 豪姫はキリシタンであったので、秀家も改宗したという。

○初雷や干し物しまいて空仰ぐ

岡山吟行句追加2011/02/19 11:17

 岡山吟行の句帳より、5句作ってみた。
 
 おぼろ月黒装束の城消えぬ
 うしろより桃の香りの女来て
 春時雨市電のレール鈍色に
 望楼の吉備の山河霞立つ 
 春雷に大日如来の顔優し

岡山城吟行2011/02/17 18:54

 パソコンのトラブルで、まったく、時間に余裕がなくなり、吟行どころではなかった。

 ある人から岡山城は、あんまり題材になるものが少ないといわれていたが、そのとおりであった。

 秀家の祈りは遠く春の城
 手袋の片方残るお堀端
 浅春の天主礎石は苔青し
 春めきて望楼の月影深し
 虫出でて鳥啼く声の喧し
 雨温み唯我独尊時近し
 蝋梅の香りや何処城の庭
 吉備の国女(ひと)は麗し桃の肌

 あんまり、よい句はできなかった。

窓開けて外は一面銀世界(訂正)2011/02/15 08:40

  今日の朝は、窓を開けたら、全く綺麗な銀世界になっている。

 早くも朝日が射し始めると雪溶けでバサバサと音がし始める。

 1階のダイニングで、朝食の準備をしていると、ジョウビタキ(キビタキではなかったです。)が一羽やってきて、すぐ側の垣根にとまって何度もお辞儀をする。

 しかし、本当に凄いと思う。もう1日同じ様な日が続いたら、路面が凍結してアイスバーンになるところだが、幸い、天候は回復に向かっているようだ。

 朝日射し雪解け枝は蠢きて
 シベリアの漂鳥来たる雪の朝

おうぶの里は積雪15~20㎝2011/02/14 20:49

 今日は、今シーズン一番の大雪で、おうぶの里は積雪15~20㎝
 鵯越えのトンネルを抜けると雪の降り方は全く違う。

 まるで北陸の国に来たよう。しかし、土地の人は慣れたもので、別に驚きもしない。

☆雪の五句

有馬路の隧道抜けて雪深し
ボコバコと雪踏み童子母追いて
大雪を喜ぶ子供泣く大人
雪道を黄色い傘がはしゃぎおり
雪降りて足跡二人家路かな

☆昨日の句会提出句(○は選んでもらった句)

  早春の親子自転車風切りて
 ○春の海トランペットの音高く
 ○桜餅こねる手先に湯気立ちて
  藍染めのトートバッグも春の柄
  着物屋の道行きコオト春重ね
 ○肉饅頭むふふの春や中華街
  占い師春歴前に目をつぶり

昨日の元町句会の時は、気温はやや低かったが、春の風情もそこはかと感じられたのが、全く季節は逆戻り。

まぁ、これが自然の面白さなんだろう。