「ノイズ」が築いてきた現代文化2007/08/13 10:01

『東京大学ノイズ文化論講義』(宮沢章夫著 白夜書房)

この本は、実際に東京大学で行われた宮沢章夫氏による数回の講義を単行本の形式にまとめたものである。
 しかし、後からまとめたというよりも、単行本としての出版の企画が先行し、この企画に基づいて授業計画やゲスト講師の選定等が行われたものであり、本と言う出版メディアを意識しての講義である。
 講義には、ジョンケージの音楽や映画等が登場するので、こういった部分は、単行本では、伝わらないもどかしさを感じる。また、「公開ライブ」的な講義なので、結末が見えており、そういったつまらなさもあるし、学生達の反応が描かれていないので、読者には今ひとつライブ的な雰囲気は伝わらない。
 例えば、『世界情報文化史講義 情報の歴史を読む』(松岡正剛著NTT出版)は、講義録の形をとりながらも学生の反応描かれており、更に引用された資料や図表説明も丁寧である。
 「ノイズ文化論」では、一応時代を60年代末期、70年代、80年代、90年代前半、90年代後半、そして現代の時代区分で社会文化史観点から「ノイズ」について分析・位置づけを行っているが、やはり、「文化史的なノイズ観」について簡単な図示があれば、だいぶ判りやすいと思った。
 同じ、オタク本ジャンルで、この間、この欄で取りあげた『おたくの本懐』では、図表を駆使している。これも行き過ぎだが、著者の考えている事が良く判った。『ノイズ文化論』では宮沢氏とゲストの岡田斗司夫氏の「オタク観」や「ノイズ観」のフェーズに微妙なズレがあるので、余計に内容が判りにくくなっている。
 宮沢氏の「ノイズ」についての定義は、ノイズがサブカルチャー的なエッセンスであり、それが20世紀末から現代に至るまでの社会文化の原動力であった。
 その事は、1960年代末期のピンク映画やプロレスで意識される様になり、1970年代を通じての日本経済の発展期には、表層文化と地下文化の2重構造が形成され、私たちの生活文化の潜在的な調和を保っていた。
 ところが、1980年代に入ると、こうしたノイズ的要素がフィルターにかけられて排除され、一般化・情報規格化が進行し、一元的な均質性を持った生活文化体系を構築される。
 経済社会は、1992年のバブル崩壊契機に、1980年代を維持していた経済基盤の安定は崩壊し、社会経済は不透明化、複雑化して行く、こうして、ノイズが除去された結果、モノカルチャー化した生活文化とのギャップが大きなコンフリクトとジレンマを生む。
 このジレンマ・コンフリクトを特に意識していたのは、1980年代から始まったノイズ排除の潮流に追いつめられながらも淘汰を経て、現代の隠れキリシタンとも言うべき「異形化」・「先鋭化」していたオタク達であった。
 1995年に発生した阪神大震災は、こうしたジレンマと抑圧されていたエネルギーがカタルシスを迎える。それは、こうしてオウムや酒鬼薔薇等の凶悪事件が発生する。
 空白の10年間を経て、こうしたカタルシスは内面化せざるを得なくなり、それが引きこもりやニートと言った社会現象を産み出している。引き続きオタクをめぐる環境は閉塞的な状況が続く、ノイズ排除の動きは、ついに人間の内面に包含されている「ノイズ」である、それぞれの人間性・個性を標的にし始める。一方、下流社会の様に、第3の文化として、商品化された文化の系列の中に取り込もうとする動きも見られる。
 既に格差社会の段階を経て新たな階層秩序が形成されている現代社会の中で、新たな人間性の変質とも言うべき現象が起こり始めている。
 ノイズ・地下文化・オタクの3者の関係の変化が現代の生活文化を形成して来たのだと結論づけている。
 「オタク現象」を社会文化史の流れで客観的に位置づけを行い実証されている点は、評価されても良いと思う。

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