法然上人の隠された事実2008/06/01 11:20

 今日から佛教大学は春季スクーリング。
 私は、全科目終えてしまっているので、こうして自宅にいる。
 今やっているのは、デジタルアーカイブ特講で先生は、平等院住職の神居先生の筈。
 再受講してみたいが、その様な制度はないという。
 仕方がないので、昨日から読書で、『法然 十五歳の闇』(梅原猛著 角川ソフィア文庫)
 この本を読む前に、例えば、『法然絵伝を読む』(中井真孝)や佛教大学のテキスト『法然の生涯と思想』(佛教大学通信教育部)等を予め読んでおいた方が良いだろう。
 というのは、法然の特に青年期の境遇について、他の法然の伝記とは全く異なっているからである。
 どの部分が異なっているかは、「十五歳の闇」という言葉がポイントになるが、証してしまうと、この本を読む面白さは半減してしまうので、ここでは止めておく。
 この様なユニークな説にたどり着くまでには、梅原氏は、厳密な文献調査、史料考証をやっておられるので、思いつきでこの様な奇抜なことを書いておられるのではない。
 法然の伝記の内で、何が事実で、何が脚色なのか、これも非常に判断が難しい点もある。やはり、史料の成立年代ということが考証の手がかりになるだろう。
 この点で、梅原氏は、中井先生の論文等を挙げられて一定の評価をされている。
 それにしても、法然の青年期に起こった悲劇が、恐らくは、その後の学問理論や浄土宗改宗に至るまでの道のりに大きな影響を与えるだろう。
 佛教大学に入る前に那岐山菩提寺に参詣したことがあるが、そこの大銀杏は、法然上人お手植えという事になるが、梅原氏の説では、それも難しい事になる。
 何よりも両親との別れという事が、その生涯の悲劇性を一層強めている。
 法然の母親や父親の漆間氏も、秦氏という渡来系の氏族が祖であると梅原氏は述べられている。渡来系という境遇、更には、青年期の悲劇、怨霊封じの為の菩提寺での練り供養等の記述は、梅原氏の思想の原典にふれる気がすると思うのと、同時に一つの違和感を感じる。
 怨霊と祟りについては、今から30年前に京都市芸術大学音楽学部に進学してトロンボーンを吹いていた先輩が合宿の時に「ウチの学長の梅原先生がいうには、・・・・」と大変、興奮していたことを想い出す。
 実際に柿本人麻呂論や法然論等も梅原氏の講義を生で聞いたら洗脳されてしまうのかも知れない。
 そういえば、安藤佳香先生も芸大の大学院の修士課程を出られている。その修士論文も梅原氏の存在が、その思想的基盤にあるのではと、思ってしまう。
 つまり、祟り・怨霊といった日本古来の思想が、仏教思想と融合したという神仏習合のもう一つの暗い側面も浮かび上がってくる訳である。
 これから『法然』の下巻も読んでみようと思う。

コメント

トラックバック