鈴鹿サーキットその2(撮影会編)2008/07/29 01:09

 LUMIXの撮影会の集合時間は、午前9時45分位。
 10名の参加者が集まった。
 当日は、本来は手持ちのFZシリーズで撮影を行う予定だったのが、急遽全員にFZ28を渡された。この機種は、8月下旬発売予定で、未だ神秘のベールに包まれている。
 FZ18に比べて大きな違いは、画素数が1000万画素に拡大されている。光学ズームは、18倍だが、EZズームで24倍位(700万画素)に拡大しても、FZ18と殆ど遜色無い画質が保てる。この機能は、実際にオートバイの様な比較的被写体がフォーミュラー車に比べて小型の車両を撮影する場合、特に、撮影場所と距離が遠い場合には、威力を発揮する。
 もう一つの機能としては、これは撮影とはあまり関係無いが、撮影と再生のボタンが別になったということ。これで、撮影済みの画像を直ぐに確認することが出来る。FZ18では、ダイヤルを回すためにタイムラグが発生するが、この点がスピーディな操作が可能。
 この他、動画撮影でズームが可能になったこと。これは、大きい光学18倍ズームのデジタルビデオカメラの登場だ。ハイビジョンではないが、従来のフォーマットの撮影でも大きな表現力がある。
 これ以外にも色々な機能が追加されており、実際に撮影に使用してみて、非常に使いやすかった。
 午前中は、田村弥先生の撮影講義、その後、ビットへ移動し、LUMIX BEETRACINGチームの社長さんの挨拶やビット内からスタートを観戦、撮影を行った。レースクイーンの女の子達の写真も存分に撮影。昼食後、ヘアピンカーブに移動し、撮影開始。
 前回の昨年11月に参加したフォーミュラー日本で、練習した流し撮りと要領は同じだが、やはり、レーシングカーと違ってバイクは車高が高く、しかも車両長が短いので、動きのメリハリが目立つ。特にコーナリングでは、ギリギリまでバンクをとって走行するのが見物だし、コーナーバトルも熾烈を極める。
 8時間耐久レースなのに、短時間のレースの様な激しいバトルが繰り広げられる。転倒も多く発生し、スリリングである。
 何よりも耳をつんざく爆音やガソリンの匂い、ビットの緊張感は、ライダーの表情等を撮影していても鳥肌が立ってくる程。
 暑さを忘れた撮影が続く。撮影のコツは、前回に比べてかなり掴めて来ている。一番重要なのは、オートフォーカスロック(置きピン技術)である。
 つまり、予めフォーカスロックする撮影点を決定しておいて、ここに車が合った瞬間にシャッターを切る。
 田村弥先生は、路面の設定ポイントでフォーカスロックをしなさいと言われたが、実際には、そうするとライダーの頭と車体との距離差、僅か20~30㎝位だが、それでもピントが僅かにずれてしまう。
 先生の様にドンぴしゃのピントをどの様に合わせているのか、ついに秘密をあかしてくれなかったが、私は、ある方法が編み出した。
 それは、予め目前を通過する車両の通過ポイントを設定しておいて、車両のライダーのヘルメット部分を狙ってフォーカスロックを行う。
 ライダーがインで入って来たとき狙い打ちするので、こうすれば、ドンピシャでピントが合う筈だ。
 シャッターは、ファインダーで追跡開始した時点で既に半押しである。そうしないと指の動きだけシャッターの時間が遅れてしまう。
 追跡は、車が点の様に小さいところから視野に入れる。3次元の動きが必要になるが、不思議とかなり前からファインダーで追いかけていると身体が本能的に視野の中に被写体を捉えてくれて、まるで静止した様に見える。そこですかさずシャッターを切る。
 シャッターを切ってもカメラは車と同じ様に動かす。こうしないと、結局、カメラの追随が遅れてしまうから。
 人間は本能的に動作を停止する際に間接を保護する為に運動速度を落とす。その影響で、カメラの追随速度が遅れるので、バイクのお尻ばっかりが写った写真が撮れてしまう。
 シャッター速度は、1/500位、シャッター優先モード、ISA100、露出補正マイナス1である。
 シャッター速度は、1/300から1/800まで試してみたが、1/300では、どうしてもブレてしまう。1/400~1/600位までの範囲でないとうまくいかない。
 また、撮影点からの距離で視野一杯にバイクを入れるのが難しいので、EZズーム700万画素を選択する。
 それだけ望遠度が強まるので、被写体ブレのリスクが大きくなる。
 手振れ補正は、モード2で設定する。
 実際には、一瞬で全てが決まってしまうので、考えている余裕はない。身体が本能的に動いてくれるまで練習を繰り返すしかない。
 後半は、再びビットに戻ってから、2コーナーインに向かう。
 ここは、まさに神風の様にマシンが吹っ飛んでいく場所で、通過速度もものすごく速い。ここでは、僅かに撮影出来たのは2~3枚。
 こうして数枚の満足出来る写真が撮影出来て、その1枚をLUMIX撮影会事務局に提出した。
 写真をブログに掲載することを禁じられているので、イメージのCG画像を載せておく。

曼荼羅の仏達の微笑みとまなざしに象徴される宇宙観2008/07/29 14:21

 昨日の四条センターでの講座「描かれた仏達 東寺曼荼羅」は、どうゆう訳か安藤先生のご都合が悪く、そのお師匠様の井上先生が担当された。

 前回のダンダンウィリクや法隆寺金堂壁画との比較で見ると、こちらの方が大らかというか仏様の表情に日本には無いようなものがある。

 法隆寺金堂壁画、描画の精緻で技量も高く、空海の時代よりも前に描かれたとは思えない、西方の美術様式に日本人的な精緻さが加わった、現代の日本の工業製品の様な安心感があったが、この両界曼荼羅には見られない。

 それでもダンダンウィリクやホータンの画家達の特徴が、この唐時代の様式の曼荼羅にも現れている。特にまんまるの顔の輪郭、明瞭な輪郭線、視線の表情の雄弁さ、そして、隈取りの色彩感である。

 この写真では判りづらいが、胎蔵界の大日如来の頭頂の光輪の上端が虹色にスペクトル分離している。素晴らしいと思う。

 色々と気になる点があり、安藤先生がいらっしゃたら、どの様に言われるだろうかと感じた点は、特に、仏達の視線の持つ意味である。

 私は個人的には、仏達の視線は、隣接する仏との関係を表している。仏達の関係とは、すなわち、宇宙の構造を意味しているのだと思う。

 胎蔵界は、宇宙観を金剛界は、認識世界を表現していると言われるが、それは、仏の表情を見れば判る。

 法隆寺の金堂壁画の時代には、その様な仏達の関係に基づいて宇宙の真理を視覚化するという思想はなく、むしろ写実的であったが、密教的な価値観の付加が、この様な表現手法に現れてみるのだと考えれば、興味深い。

 安藤先生のご意見等をうかがいたいものである。