日本の撃墜王2009/04/05 00:39

「歴史通」WILL別冊4月号

 今回は、「零戦と坂井三郎」という特集。
 定価800円だが、これだけ800円払って得をした気分にさせられた雑誌はない。

 坂井三郎は、名零戦パイロットで、先の大戦を通じて活躍、通算64機という撃墜歴を誇るまさに「撃墜王」に相応しい人物である。

 この人に匹敵するのが、ドイツ帝国のリヒト・フォーヘン男爵で80機を撃墜している。しかし、三枚複葉機のフォッカーは、ドッグファイトの為に作られた様な機体であるが、零戦とは、速度も敵機の強度も火砲の威力も全く違う。

 第1次世界大戦の空中戦は、機体を破壊するというよりも、パイロット同士の一騎打ちの撃ち合いである。しかし、第2次世界大戦では、編隊戦であり、ドッグファイトの性質が異なる。

 ラバウルで負傷するまで坂井は、大量の写真を愛用のライカカメラを持参して、空中戦の様子を記録していたという。ところが、残念なことに負傷して帰国する時に大部分が失われてしまった。

 そこで手記を元に佐竹正夫画伯が美しいというか凄い絵を残しており、その中の数枚が掲載されている。この絵だけでもこの雑誌の価格相応の価値は果たされている。

 ゼロ戦の登場当初から終戦が近づく頃に開発された52型の機体までの変遷や戦史は他の本にも書かれているが、坂井個人の戦闘歴や日本軍の特攻行為への考え方、戦陣訓等への否定的な考え方等、ユニークであり、実に、本当の強者であったと言えそうだ。

 特攻作戦では多くの犠牲が出ており、この行為自体がいけないことであるが、それよりも、折角、命を国家に捧げて敵艦に体当たりしていくのだが、大抵は途中で打ち落とされてしまって、無駄な命を散らすことになった点を強く非難している。

 250キロ爆弾を抱えていては、時速200キロ程度しか出ないので、敵艦の機関砲の餌食になる。爆弾を50キロに落とせば、巡航速度に達するので攻撃の成功率が高まると坂井は指摘している。また、50キロ爆弾で空母の甲板を使用不可能にするのには十分だという。

坂井は、西暦2000年、84歳まで生きながらえた。しかし、他のエリートとは異なる視点から終始、零戦と第2次世界大戦を振り返ってみていた点が異なるので興味深い。

 特に、第2次世界大戦を記念する催しに渡米した時に、アメリカ人がかっての敵国の撃墜王を憎しみの目でみることがなく、フェアな目でみてくれている点が、日本人とは異なる点であり、こうした広い視野を日本人がもたない限りは、同じ過ちを繰りかえすことにもなりかねないとの意見も持っていたようだ。

 写真は、52型のミニチュア。

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