「高天原」という言葉2009/04/11 20:38

 今日から佛教大学の斉藤英喜先生のNHKカルチャー大阪教室の講座が開始(全6回)。

 今日は、「第1回 天地創生の光景」で古事記、日本書記の冒頭部分を比べる等、興味深い内容であった。

 特に個人的に興味を惹かれたのは、古事記には、冒頭に「高天原」という言葉が出てくるのに、日本書記には記述されていない点である。

 その理由として、幾つかの説の中で、斎藤先生は、8世紀の前半の時代は、唐帝国を中心としたアジア圏のグローバル化が進展した。そうした中で、日本が独立国家としての対面を保つためには、相応の国史を有していなければならない。その為には、中国の思想等を取り入れた「国際的」に理解される内容でなければならない。天地創生についても中国の陰陽の考え方を取り入れ、天地の創世の過程が論理的に描かれている。
 一方、古事記は、そうしたグローバルな風潮の中で、日本が独自の民俗的なアイデンティティーを示す為につくられたものである。この為、独自の思想が用いられている。既に天地は創生され、「高天原」に於ける神産みの過程から描かれている。
 「高天原」は、そうした日本民族独自の神の創生を示す為のものであるから、日本書紀には、登場しないのだと。

 先生の考え方は以上であるが、私は、古事記はあくまでも正史として描かれたものではなく、これまで口承で伝えられてきた内容を記述し、まとめたものである。したがって、上代日本語の語彙がそのまま記述されている。そうして、続日本紀には、古事記は文献的に現れない。その理由としては、正史としての位置づけはなく、単なる語り伝えの記録であるからだ。一方、日本書記の記述は、天地創生譚から、客観的な史実として、論理的に描くことを旨としている。こうした、著述態度の違いにあると思う。

 つまり、日本書記に描かれた神は、「歴史の記録としての神」であり、古事記に描かれた神は、古代の語り部の「言葉の中で、生きていた神」であった為と考える。

 「高天原」には、「高」という言葉が用いられているが、これは、後代の語義解釈による「高」ではなく、本来は、「崇」(たか)或いは、「巍」(たか)が当てられ、「タカべる」という動詞に由来するものであると、私は考えている。それは、大阪大学の名誉教授の山口先生にご指導を頂いた大学院の国語学演習でも調査し、図の様な内容で発表している。

 日本の古代神話や、古代日本神道の名残を琉球はとどめており、特に「おもろそうし」という書物には、この「たかべごと」が描かれている。

 こうして考えてみると、「高天原」は、ただ単に、「高い天にある原」という意味ではなく、「神聖な天にある原」ということになる。

 つまり、日本書記は、論理的に日本の神々の創生を叙述しようとするのに対して、古事記は、「神々を崇める言葉」で始まっているのである。

 やはり、古代神話を研究する為には、上代日本語や国語史の知識が必要不可欠になる訳である。

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