***人2009/04/21 23:16

CyberShotDSC-W120で撮影
  コレクター、あるいは、写真マニア、レーシングマニア、あるいは、....マニア。

 この人種に属している人間は、誰でも、外部の人間からみたら、「***人」であることには変わりない。つまり、一般人とは行為規範が共有されていないからである。

 「少なくとも誰が正常で誰が異常、逸脱者か」といった論議は通用しない。同じアナのムジナなんだから。
 
 しかし、趣味というものの性質から考えれば、明らかに逸脱している人、アブナイ人、規範の範囲内にある人、そういった区別がないが故に、趣味というのは、楽しいのであると思う。

 但し、「他人様に迷惑をかけてはいけない。」これは、親からも言われていることである。

 例えば、パソコン。これは、明らかに1993年までは、逸脱した人の趣味の世界であった。少し、パソコンをイジッテ、通信やオフラインなんかに参加したり、必然的にコミケ等に参加したりし出した段階で、アブナイ奴だと言われた。これは、趣味の世界だったから。

 それが、パソコンが日常道具になってメールやインターネットをしていても、そういったラベリングが外されて、自由になったと見える。今、パソコンをいじっていても、おかしな奴だとは言われない。しかし、その途端にパソコンが面白くなくなってしまった。
 
 
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 社会学で習ったが、人間のコミュニケーションの第1歩は、自分自身とのコミュニケーションである。

 「自分を見つめる」という作業が重要になる。この結果、これまでの修得・学習した材料を元に「自分像」を組み立てる。

 更に、他人とのコミュケーションの場合は、この「自分像」がどの様に見えているかを基準にして、他人には、どの様に見えているのか、行為がどの様に解釈されるのか「行為規範」というものが形成される。

 この「行為規範」にもとづいて他者に初めて様々な手段を使ってアクセスし、更に、フィードバックされてきた反応を元に「行為規範」の修正を行う。

 それが一定の段階に到達したら、「役割意識」という段階に入る。つまり、自己の行為がその所属する社会によってどの様な「役割・演技」が期待・求められているのかを自覚する様になる。そうして、社会集団への帰属意識が生まれてきて、順応が始まるのだと思う。

 ところが、これらの段階を正常に踏めなかった人も存在する。つまり、「行為規範」、「役割意識」そのもののフィードバックによる修正作業が不可能になる。自分が想定した反応が行為他者からフィードバックされてないので、自己規範・役割意識のイメージ自体が形成出来ないか、あるいは、苦し紛れにマスコミ、メディアで得たイメージを当てはめる等対応もみせる。

 これらの行為は、全て無意識の内に行われ、自分の行為は絶対正しいとの認識が前提であるから、これらが否定された場合には、怒りの炎で燃え狂う様な状態となる。場合によっては危険な状態になる。一般的な社会行為、コミュニケーションでもこの有様なので、価値認識の度合いが極めて高い趣味の世界では、大変なことになる。

 客観的に絶対正しいと認識される自己・他者は、実は、存在しないのである。

 行為規範による他者との接触の相互作用によって他者と共有される自己の世界で形成された規範に当て嵌まるか否かということだけなので、これが人間関係の恐ろしさ、恐怖の原因になると私は考えている。

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