マスクは、ネクタイの様なものである。2009/05/19 23:18

IXYDIGITAL70で撮影。
今日の阪急電車は凄かった。マスクをしていないのは、車両全体で私だけ。

マスクをしたいがマスクが買えない。仕事の訪問先では、マスクを着用することを義務づけているところもあるので、そうした時の為にたった1箱買えたマスクを置いているが、普段は使えない。

マスクは、ネクタイの様なものである。だから大企業では、全員に無料支給されるが、零細企業の社員は、自腹購入だが、大企業が買い占めてしまっていて、薬局から売店、コンビニ、どこにも置いていない。

 1日1枚要るので、従業員1000名の会社で1ヶ月では、2万枚が要る計算になる。1箱10枚入りとしても2000個、こんな企業や団体が数百以上も存在するので、そんなところが買い占めたら、我々、下層民は堪ったものではない。

それにマスクって嫌い。

まず息がふさがり、自分の唾の匂いがする息がマスクに蓄積されて1日もしているとイヤーな匂いがする。それが、電車に乗っていて隣の人から匂ってくると、凄く不潔で、それだけで感染した気分になる。

マスクは、既にインフルに罹っている人の咳や唾、痰等の飛沫を防止する効果はあるが、ウイルスの大きさは非常に小さいのでマスクには防御効果はない。

密閉型のものでもこれは、防塵用であり、精々、大きめの細菌位までであり、ウイルスは、その数十分の1以下の大きさなので、空気が透過出来る様な膜では、防御効果は、ゼロ。

それどころか、自分が吸った細菌やウイルスがマスクに付着し、それの吸入し続けて、湿度や栄養分が補給される為に菌が雑菌がマスク上で増殖する。

更にマスクを携帯で喋る為に外したり、食事をしたりで付けたり、外したりすれば、その際にウイルスや細菌が付着するので、余計に不潔というか感染リスクが高くなる。

つまり、培養シャーレの様な感じになる。それに帰宅した時には、このマスクは家には持ち込まずに直ぐに、屋外の滅菌処理がされたゴミ箱に入れること。

コートを玄関の外で脱いで、そのまま物干し場等、外にかけて置き、悪い霊が入らないように、お祓いをしてから室内に入ります。

つまり、防護服(コート)の方がマスクよりも効果がある。
また、玄関入り口脇(外側)に消毒液を設置。

マスクよりも重要なのは、実は、手袋である。外の環境で、一番感染リスクが高いのは、ウイルスが付着したエレベータのボタン、電車のつり革、ドアノブ、トイレ.....等々で、これらの方が、空気感染や飛沫感染よりもリスクが高い。

神戸の高校生の場合もスポーツ大会後のシャワールームで感染した疑いがあるそうだ。つまり、空気、泡沫感染よりも接触感染である。
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話は変わるが、今日の阪急梅田駅の下にあるビッグマンで桝添厚生労働大臣が国民に冷静になる様に呼びかけるニュース放送が映されていたが、多くの人が画面に見入っていた。

多くの人が憤りを持った表情で画面をみていた。「自宅待機だって、全く、国は、神戸や大阪を何も対策もせずにほったらかしやないか。まるで阪神大震災の時みたいや。」

水際作戦が全く無駄であることは、以前に説明した通りだし、それ以外の対策についても国はほったらかしであるというか為す術がないというのが実情。

これが、高病原性インフルエンザH5N1型であれば、今頃、多数の死者が出ているだろう。

ウイルスは最初は、粘膜から侵入し、身体を侵していく。最初は、身体は、防御反応から高熱が出る。しかし、ウイルスには役に立たず、身体に潜伏する。彼らの狙いは、末梢神経破壊なので、侵入を繰りかえして、リンパ節、神経へと全身に拡大していく。

鳥インフルエンザの高い死亡率(感染した場合の死亡率は、なんと60%という)は、肺炎よりも、呼吸器をつかさどる神経が侵された結果、呼吸困難による窒息死の割合が多かった。その場合には、ネフローゼの症状を起こして、全身に浮腫が出てくる。だから、インフルエンザに感染した人は、その後、浮腫が出る様であれば、要注意。

京都府の養鶏場での発生事例の多くの斃死鶏の写真を何枚もスライドで見せてもらったが、衰弱死というよりも、窒息死の苦しそうな表情をしていた。

熱が下がったからといって、油断してはいけない。数ヶ月は、予後を観察する必要がある。弱毒性のウイルスを突破口にしてより、強力に進化したウイルスが侵入を試みようとするだろう。

それにしても、まるで無策の桝添厚生労働大臣には、責任はないのだろうか。

また、大阪や神戸に対して、他の地域の人間が差別的な感情や大学、学校の措置等も目に余る状況になってきた。こうして、人間や地域間の対立へと社会構造的な問題に今後、発展していく予兆が既に出てきている。

臨床社会学の格好の研究材料になるので、報道資料や事例等を今から、収集しておけば、2~3年後には学位論文の2、3件は書けるだろう。こうした経験は、今後の公共政策等、行政対応にも大いに参考になるだろう。

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