京都e-laernningで学んだ1日2008/11/20 18:27

 今日、なんか身体がだるいので体温を測ってみたら、熱があるので、外出を控えた。
 京都e-laernningの「いいとこ取り『源氏物語』の第2回目の総角巻が配信されていたので、それをみた。
 「薫と大君」との間の「隔て」というものについて、二人の関係の変化、特に、病の大君と薫の場面、臨終の場面での2人の「隔て」はどう変化していったのか、場面表現での「見る」ということの意義等がとても面白かった。個人的には、例えば、紫上の臨終後、死に顔を源氏と夕霧が「見る」場面と薫が「大君」の肢体を臨終後にまざまざ観察する場面と比較してみると面白いと思う。

次ぎに、京都e-laernning「ふるさと京都、夢・知恵・元気わくわく塾」というのを見た。
 特に住民の問題認識→現状分析→解決策の検討→ワークショップ→結果の分析と検討等の経過の中で、参加者それぞれが独自で多様な視点を持っており、これらの意見をコミュニティを通じて交換し合うことで、「知恵」が生まれて、更に良い活動につながっていくことが、ソーシャルキャピタルにつながっていくという部分は、佛大の応用社会学科の卒論「菜の花プロジェクトネットワーク プロジェクトリーダーの条件」を書いていた時に感じていたこととかなり近いので共感を覚えた。
 ソーシャルキャピタルというのは、一回のプロジェクトで終わるものではないと思うが、実際には、組織をどう続けていくのかという問題もあり、「本来の目的は、コミュニティ共通の問題の解決にあるので、組織の継続にあるのではない。」との先生の発言にも考えさせられるものがあった。
 プロジェクトには、数年、あるいはもっと長い時間を要するものから、数ヶ月、あるいは1週間程度で終わってしまうものがある。つまり、プロジェクトによっては、継続が必要なものがある。
 そういった場合には、ソーシャルキャピタルの継続的運用といった必要性が出てくる。この為、ソーシャルキャピタルのネットワーク化といった活用法も考えられ、これは、組織の内輪から他の地域で似たような活動をしているグループとのソーシャルキャピタルの共有(ノウハウから人間関係まで)といった可能性も開けてくる。
 卒論の調査では、全国の活動グループをアンケート調査を行い、それぞれの活動の中でのネットワークのありかたを調べてきたが、その様な想い出がまざまざと蘇ってきた。
 それにしても関心させられるのは、例えば、「京都市営地下鉄のエレベータ案内図作成プロジェクト」等では、問題性を感じた住民が、大学の先生に気楽に声をかけて相談にいくという点で、こういった「柔らかさ」が大阪・兵庫等にもあれば良いなと思った。
 大阪では、行政・企業・大学・住民の区分けがハッキリしていて、この結果、行政・企業と住民の関係が対決的であったりする。
 「知らんまに公園が潰されてつくりかえられとったわ。」といったことは京都には起こりにくくする土壌がある。
 鴨川公園プロジェクトも公園の基本構想では、住民コミュニティによって基本構想が打ち出され、それに基づいて設計事務所が図面を書き、また、住民組織と行政で検討するといった方法が採られている。
 いずれにしても住民が活動に抵抗なく参加しやすく、行政・企業・大学・住民が分け隔て無く融合して活動出来る地域社会づくりが必要なんだと思った。

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