RAYQUAL LeicaM-M4/3アダプターが届いた!2009/01/26 19:41

IXYDIGITAL70で撮影。
RAYQUAL宮本製作所のマウントアダプター(LumixG-1にライカMマウントの装着の可能にするLeicaM-M4/3がようやく本日到着。最初のロットは売り切れということで予約待ちであった。代引きで1万4700円もしたが、それなりの面白さがあると思う。
http://homepage2.nifty.com/rayqual/index.htm

 早速装着した。左上が、この間、紹介したフォクトレンダーのスーパーワイドヘリヤー15㎜を装着したところ。このレンズを装着して試写に出発。画角が2分の1になるので、30㎜とやや広角よりのレンズとして使用出来る。

 右上がアダプターをみたところ。L-Mマウントアダプターを併用することで、Lマウントレンズが使用出来る様になる。

 左下は、LaicaズミタールF2を装着したところ。沈胴は無理なようだ。(怖くてしていない。)

 右下は、ロシアレンズジュピター3(F1.5)レンズをつけたところ。ロシアレンズとしては、最も明るいものである。コンタックスのゾナーF1.5(カールツアイスオプトニカ)のコピーレンズである。

 こうして、小細工をしなくてもライカLマウントレンズの使用が可能になった。勿論、MFだが、ファームウエアのバージョンアップで、拡大してピント微調整が出来るので、凄く使いやすくなった。

 50㎜で100㎜相当になるが、人間の眼でみた物体と同じ位の大きさに写るので構図が面白くなる。また、ジュピター3の様なレンズでは、通常のパルナックの連動距離計では、精度が低いので、F1.5開放で使えなかったが、G1に装着すれば、ギリギリまでピントを追い込むことが出来るので、レンズの性能を活かすことが出来る。

スーパーワイドヘリヤー15㎜も少し広角程度になってしまう。2009/01/26 20:00

lumix-G1で撮影
 LUMIX-G1にL→M→マイクロ4/3アダプターを装着して、フォクトレンダーのウルトラワイドヘリヤー15㎜で、撮影した中之島公会堂と淀屋橋の風景である。(G1では、30㎜相当のレンズになる。)
 やはり、この程度の広角では、至近距離での建物撮影は、少し厳しい。左上は、画角を広くみせる為に構図の工夫を行っている。
 右下は、G1では、液晶ファインダーが可動式なので、こうした建物を見上げる構図が得意である。
 左下は、万国郵便連合加盟記念の銅像で大阪の逓信省跡に建てられている。右上を含めて白黒写真の方が、Lマウントレンズには合うようだ。

天狗だと思う2009/01/26 20:34

佛教大学の斎藤英喜先生のブログを拝読している。佛大の先生では、小野田先生以上にブログ熱心だと思う。
ほぼ定期的に毎週更新されている。
http://www5.diary.ne.jp/user/504046/#1232857281

>午前中は『日本文学』一月号、特集「日文協とは何か」のなかの阿部>好臣「益田勝実『火山列島の思想』をめぐって」と、兵藤裕己「ポスト>モダンと日文協」を読みました。

>とくに兵藤さんの論文は、たんに「過去」のことではなく、「ポスト・モダ>ニズム」以降の時代状況のなかで、いかに研究が可能かを問うとこ>ろ、面白かったです。さすがに彼の現状分析はするどい。

 兵藤先生には、昨年の秋の佛教大学国文学会で講演をされたが、たしかに、彼の分析をみると、他の国文学者が幼稚園児程度に見えてくる。しかし、あまりにも覚めすぎていて、近寄りがたい雰囲気がある。兵藤先生は、中世文学だが、中世文学の先生は、恐いというか難しい人が多い。きっと、あれだけの奇怪な世界を旅しつづければ、自らが天狗となって未来記を語る様な状況になってしまうのだろうと思う。

 東京大学大学院ということで、私は、後のパーティでも声をかけるのがためらわれた。最近、身近に高学歴(優秀大学卒)の人が多いことが判って、それだけに力が失せてしまうような日々劣等感が募ってくる。

 「務めている出版社がつぶれたので、日雇い仕事ですわ。」といっているそれっぽい人がいたが、私もこうした仲間入りとなっても、皿洗いの仕事一つないだろう。

 昔、写植の仕事をしていたが、月給は12万円(手取り後は、10万円もない)低賃金労働で、某学術雑誌を印刷している会社の下請けで、黒田先生の論文の植字をやったことがあったが、先生のものは、漢文引用が多くって、返り点とか訓点とかそういったものが細々とついているし、大抵の漢字は、作字しないと駄目なので、夜中の2~3時頃まで残業していたことが想い出される。

 人間と接することが嫌いなので、こうした仕事が向いていて、開業出来ればと思って低賃金労働に耐えたが、ワープロの次ぎは、コンピュータ整版の時代に入って、断念せざるを得なかった。

 そんな境遇を思いだしている時、兵藤先生は、神か天皇、斎藤先生でも雲の上の人といった感がある。実際、佛大の博士課程を出ても、非常勤講師の仕事しかもらえず、程度の低い、スーパーのレジなんかの仕事で食いつないでいる人も知っている。

 エリートと凡人の差は、こんなところで現れてくる。

長いガリレオの右手中指が示す方向2009/01/26 22:24

『ガリレオの指』(ピーター・アトキンス,2008,第8版,早川書房)がAMAZONから届いた。昨日、インターネットで発注して、翌日に届いた。どんなシステムを使っているのだろうか、驚くばかりだ。

最近、衝動的に本を買っているので、後のカードの支払いが大変なことになりそう。

これから、この本を読み始めるが、この本を買った理由として、18世紀にガリレオの墓が暴かれた時に、遺体から切り離された指(右手の中指)の写真が掲載されているからである。著作権とかあるので、ここには載せられないが異様に長い指である。

何故、右手の中指かという点ならば、悪魔払いの儀式に通じた人であれば理解出来ることである。悪魔は右手の中指が異様に伸びるのである。人間が魔性を持って悪魔に変化する時には右手の中指が伸びるのである。

あのニッコロ・パガニーニは、悪魔のヴァイオリン弾きであったが、やはり、右手の中指が異様に長かった。西洋科学も元々は、錬金術、黒魔術が起源とも言われているので、迷信深い18世紀のこと、当然、ガリレオの右手が切り取られたのである。

この本では、ガリレオの指は、17世紀初頭の科学が新しい転機を持ち始めた象徴として捉えられている。西洋科学は、それぞれが関連性の無い、発明と発見の積み重ねと考えられがちであるが、まず、基本概念→仮説立論→検証→実証→理論の確立の流れを時間軸に沿って展開して来たとすれば、「ガリレオの指」は、正に、その方向を指しているのだと思う。

また、この本を通読してからの感想等もここに挙げてみたい。