天狗だと思う2009/01/26 20:34

佛教大学の斎藤英喜先生のブログを拝読している。佛大の先生では、小野田先生以上にブログ熱心だと思う。
ほぼ定期的に毎週更新されている。
http://www5.diary.ne.jp/user/504046/#1232857281

>午前中は『日本文学』一月号、特集「日文協とは何か」のなかの阿部>好臣「益田勝実『火山列島の思想』をめぐって」と、兵藤裕己「ポスト>モダンと日文協」を読みました。

>とくに兵藤さんの論文は、たんに「過去」のことではなく、「ポスト・モダ>ニズム」以降の時代状況のなかで、いかに研究が可能かを問うとこ>ろ、面白かったです。さすがに彼の現状分析はするどい。

 兵藤先生には、昨年の秋の佛教大学国文学会で講演をされたが、たしかに、彼の分析をみると、他の国文学者が幼稚園児程度に見えてくる。しかし、あまりにも覚めすぎていて、近寄りがたい雰囲気がある。兵藤先生は、中世文学だが、中世文学の先生は、恐いというか難しい人が多い。きっと、あれだけの奇怪な世界を旅しつづければ、自らが天狗となって未来記を語る様な状況になってしまうのだろうと思う。

 東京大学大学院ということで、私は、後のパーティでも声をかけるのがためらわれた。最近、身近に高学歴(優秀大学卒)の人が多いことが判って、それだけに力が失せてしまうような日々劣等感が募ってくる。

 「務めている出版社がつぶれたので、日雇い仕事ですわ。」といっているそれっぽい人がいたが、私もこうした仲間入りとなっても、皿洗いの仕事一つないだろう。

 昔、写植の仕事をしていたが、月給は12万円(手取り後は、10万円もない)低賃金労働で、某学術雑誌を印刷している会社の下請けで、黒田先生の論文の植字をやったことがあったが、先生のものは、漢文引用が多くって、返り点とか訓点とかそういったものが細々とついているし、大抵の漢字は、作字しないと駄目なので、夜中の2~3時頃まで残業していたことが想い出される。

 人間と接することが嫌いなので、こうした仕事が向いていて、開業出来ればと思って低賃金労働に耐えたが、ワープロの次ぎは、コンピュータ整版の時代に入って、断念せざるを得なかった。

 そんな境遇を思いだしている時、兵藤先生は、神か天皇、斎藤先生でも雲の上の人といった感がある。実際、佛大の博士課程を出ても、非常勤講師の仕事しかもらえず、程度の低い、スーパーのレジなんかの仕事で食いつないでいる人も知っている。

 エリートと凡人の差は、こんなところで現れてくる。

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