世の中は狭い ― 2009/03/07 10:31
世の中は狭い。立ち飲みのお客さんの息子さんが大手一流電機メーカーを退職されて、佛大通信で教員免許を取得し、教員になられているお話を聞いて、同じ佛大でも実用以外の世界に生きている自分とは、エライ違いであると思った。
その他、関大の「岩崎さん」を知っている人とか。色々と話は盛り上がった。
そのまま店を出て、ヨドバシカメラをウロウロしていた。
EeePCのSSD増設のパーツを調べにいったが、2~3万かけても大きな効果は今のところ期待できないと判って(HDDにドライブを買えようにもこの店には、1.8インチのドライブが販売されていない。)とぼとぼと帰ろうとしていたら、ポンと肩を叩かれた。
先日も私をヨドバシのオモチャ売り場で見かけたらしい。ニヤニヤと何やら近づきがたい雰囲気だったらしい。
振り返ってみると、知り合いの森ノ宮鵲神宮の宮司さんであった。「世の中悪いことはできないものだ。誰がみているか判らないものな。」とつくづく感じた。
その他、関大の「岩崎さん」を知っている人とか。色々と話は盛り上がった。
そのまま店を出て、ヨドバシカメラをウロウロしていた。
EeePCのSSD増設のパーツを調べにいったが、2~3万かけても大きな効果は今のところ期待できないと判って(HDDにドライブを買えようにもこの店には、1.8インチのドライブが販売されていない。)とぼとぼと帰ろうとしていたら、ポンと肩を叩かれた。
先日も私をヨドバシのオモチャ売り場で見かけたらしい。ニヤニヤと何やら近づきがたい雰囲気だったらしい。
振り返ってみると、知り合いの森ノ宮鵲神宮の宮司さんであった。「世の中悪いことはできないものだ。誰がみているか判らないものな。」とつくづく感じた。
佛教大学「夢の酒」 ― 2009/03/07 18:09
実は、オリジナル日本酒「佛米!夢乃酒」が先週の月曜日か火曜日に届いていたのだが、ようやく試飲となった次第。
早速、厳重な梱包で招徳酒造から届いた梱包を開封。
わくわく、ドキドキの瞬間である。
緑色の750㎜㍑の瓶が現れた。
せっかくなので、アテがないかと捜してもないので、ツナ缶を開けて、卵とまぶして、なんとも言えないアテを即席で拵えて、それに、メザシ等を加えて準備完了。
瓶の栓を開ける時には緊張が走る。
栓を開けた途端にフルーティーな香りが部屋に広がる。
吟醸酒風の香りだ。
早速、コップに注いでみる。また、匂ってみると、少し濃厚な感じもする。
一口、飲んでみる。
こうした吟醸酒にありがちな鋭すぎる、あるいは、喉を刺激する様なことななくて、伏見酒特有のまろやかさに包まれて芳醇な感じ。
なんら不純物が使われておらず、身体に素直に浸透していくような感じだった。
庭の白梅、紅梅を眺めながら、一献となる。
ほのぼのとした何やら身体が温まる。
ヒーリングの世界だ。
1杯毎になにやら不思議な世界が広がる。まるでマッチ売りの少女の様な感じ。(良いお酒は想像力、空想力をかき立ててくれる。こんなお酒に最近出逢うことは少なくなった。それだけ粗悪なお酒が多いということだ。)
良く味わえば、米の香りが(美山町のやや湿っているが清潔に澄んだ空気の冷ややかさが感じられる。)
これでは、直ぐに750㎜㍑が空になってしまう。あっというまに夢の世界は終わってしまった。
美山町には我が家は、ずっと昔からお世話になっている。
お味噌は、もう10年以上も昔から美山町から取り寄せている。
やはりまろやかな芳醇な香りがある。
豆腐も吟味されて、味噌汁は、そういった総合芸術の様で、これだけで豊かな気持ちになれる。
それだけ美山町の自然の恵みが豊かということだ。
最近は、母が弱って、いい加減なインスタントの味噌汁がでることもあるが、やはり、美山町の美味しさが恋しくなる。
このお酒、京都JR伊勢丹の地下一階で、佛大生の皆様も動員されて販売されている。
http://subwww.bukkyo-u.ac.jp/view/dsc_tpc.php?id=2745&place=top
こんなに美味しいお酒が造れることは、素晴らしいことだと思う。もっともっとこのお酒の良さや佛大の素晴らしさを世間一般の人々、津々浦々まで伝えて欲しいと思った。
早速、厳重な梱包で招徳酒造から届いた梱包を開封。
わくわく、ドキドキの瞬間である。
緑色の750㎜㍑の瓶が現れた。
せっかくなので、アテがないかと捜してもないので、ツナ缶を開けて、卵とまぶして、なんとも言えないアテを即席で拵えて、それに、メザシ等を加えて準備完了。
瓶の栓を開ける時には緊張が走る。
栓を開けた途端にフルーティーな香りが部屋に広がる。
吟醸酒風の香りだ。
早速、コップに注いでみる。また、匂ってみると、少し濃厚な感じもする。
一口、飲んでみる。
こうした吟醸酒にありがちな鋭すぎる、あるいは、喉を刺激する様なことななくて、伏見酒特有のまろやかさに包まれて芳醇な感じ。
なんら不純物が使われておらず、身体に素直に浸透していくような感じだった。
庭の白梅、紅梅を眺めながら、一献となる。
ほのぼのとした何やら身体が温まる。
ヒーリングの世界だ。
1杯毎になにやら不思議な世界が広がる。まるでマッチ売りの少女の様な感じ。(良いお酒は想像力、空想力をかき立ててくれる。こんなお酒に最近出逢うことは少なくなった。それだけ粗悪なお酒が多いということだ。)
良く味わえば、米の香りが(美山町のやや湿っているが清潔に澄んだ空気の冷ややかさが感じられる。)
これでは、直ぐに750㎜㍑が空になってしまう。あっというまに夢の世界は終わってしまった。
美山町には我が家は、ずっと昔からお世話になっている。
お味噌は、もう10年以上も昔から美山町から取り寄せている。
やはりまろやかな芳醇な香りがある。
豆腐も吟味されて、味噌汁は、そういった総合芸術の様で、これだけで豊かな気持ちになれる。
それだけ美山町の自然の恵みが豊かということだ。
最近は、母が弱って、いい加減なインスタントの味噌汁がでることもあるが、やはり、美山町の美味しさが恋しくなる。
このお酒、京都JR伊勢丹の地下一階で、佛大生の皆様も動員されて販売されている。
http://subwww.bukkyo-u.ac.jp/view/dsc_tpc.php?id=2745&place=top
こんなに美味しいお酒が造れることは、素晴らしいことだと思う。もっともっとこのお酒の良さや佛大の素晴らしさを世間一般の人々、津々浦々まで伝えて欲しいと思った。
徒労 ― 2009/03/08 18:35
EccPc901のSSDは以前書いた通り、Cドライブが4GBで、Dドライブが8GBなので、8GBにシステムを入れれば、余裕ができると思った。
そこで、NLITEというソフトで、バックアップしたリカバリDVDをカスタマイズして、ドライブをカスタムで選択してインストールできる様に変更したつもりだった。ところが、うまく動作しない。
そこで、この方法を諦め、通常インストールしたシステムをDドライブにコピーする方法を採用した。
使用したソフトは、「HD革命COPYドライブ2」というソフトで、これで、CからDへのイメージコピーはなんなくできたが、このままでは、パーティションが4GBのままなので、このソフトに附属していうパーティションマジックLITEというソフトで、パーティションサイズを変更する。
こうして、一応コピーが成功したが、オリジナルの構成で、Dドライブにも一部プログラムファイル(システムの構成を調整するファイル等もある)があるのが、消去されてしまったので動作しないソフトもある。
再インストールしてみたがうまく動作しない。
更に、ファーストブートができなくなり、一々、オリジナルの起動ドライブと違うという警告が出る。これが鬱陶しい。
実は、SSD以外に、32MB程度のROM(もしくはRAM)ドライブが実装されており、これでシステムの起動やインストール情報をシステムに指示しているので、これを潰さないと不具合が生じる様に仕掛けてある。(改造防止対策がバッチリしてあるという訳。)
BIOSで起動ドライブを変更するが、この場合は、起動ドライブの区別が非常に判りづらい、Mの文字が入っているのがもともとのドライブで、Sに変更する。つまり、Mはマスター(主人)で、Sはスレイブ(奴隷)という訳だ。
この奴隷は程度が低く、アクセス速度があまりにも遅い。こんなに遅いとは思わなかった。書き込みに3倍位かかっている様な感じ。実際の測定値もこんなもの。
だから、バッファローで、MLCタイプの増設SSDが発売(1万円)とかCFDに間違っても換装しない方が良い。(お金の無駄)
一応起動は出来るが、実用レベルにはほど遠い状態。
実質的には、起動ドライブには使用出来ない。
この為、データや遅くても良いアプリ向け、結局、外付けのHDDを購入した方がずっと役に立つ筈。
よかった!!よかった!!実験してみて、そのあまりにも遅い状況が実感できた。壊れたと思う位遅いので、結局、4GBのSLD側のドライブを我慢して使うのが、最善の策。
3万円位だせば、SLCの増設が買えるが、それならば、新品に買い換えた方がマシ。
安物買いのゼニ失いとは、まさにこのことだ。
4GBでは、休止モードは使えないが、無理をして入れ替えたら休止モードが使用出来るにせよ、あまりに遅いので実用にならない。
最後の手段は「総分解」で、ドライブをHDDに換装する以外にない。
ASUS社が唱えている様に、これは、「子供のオモチャ」のパソコンだ。
そこで、NLITEというソフトで、バックアップしたリカバリDVDをカスタマイズして、ドライブをカスタムで選択してインストールできる様に変更したつもりだった。ところが、うまく動作しない。
そこで、この方法を諦め、通常インストールしたシステムをDドライブにコピーする方法を採用した。
使用したソフトは、「HD革命COPYドライブ2」というソフトで、これで、CからDへのイメージコピーはなんなくできたが、このままでは、パーティションが4GBのままなので、このソフトに附属していうパーティションマジックLITEというソフトで、パーティションサイズを変更する。
こうして、一応コピーが成功したが、オリジナルの構成で、Dドライブにも一部プログラムファイル(システムの構成を調整するファイル等もある)があるのが、消去されてしまったので動作しないソフトもある。
再インストールしてみたがうまく動作しない。
更に、ファーストブートができなくなり、一々、オリジナルの起動ドライブと違うという警告が出る。これが鬱陶しい。
実は、SSD以外に、32MB程度のROM(もしくはRAM)ドライブが実装されており、これでシステムの起動やインストール情報をシステムに指示しているので、これを潰さないと不具合が生じる様に仕掛けてある。(改造防止対策がバッチリしてあるという訳。)
BIOSで起動ドライブを変更するが、この場合は、起動ドライブの区別が非常に判りづらい、Mの文字が入っているのがもともとのドライブで、Sに変更する。つまり、Mはマスター(主人)で、Sはスレイブ(奴隷)という訳だ。
この奴隷は程度が低く、アクセス速度があまりにも遅い。こんなに遅いとは思わなかった。書き込みに3倍位かかっている様な感じ。実際の測定値もこんなもの。
だから、バッファローで、MLCタイプの増設SSDが発売(1万円)とかCFDに間違っても換装しない方が良い。(お金の無駄)
一応起動は出来るが、実用レベルにはほど遠い状態。
実質的には、起動ドライブには使用出来ない。
この為、データや遅くても良いアプリ向け、結局、外付けのHDDを購入した方がずっと役に立つ筈。
よかった!!よかった!!実験してみて、そのあまりにも遅い状況が実感できた。壊れたと思う位遅いので、結局、4GBのSLD側のドライブを我慢して使うのが、最善の策。
3万円位だせば、SLCの増設が買えるが、それならば、新品に買い換えた方がマシ。
安物買いのゼニ失いとは、まさにこのことだ。
4GBでは、休止モードは使えないが、無理をして入れ替えたら休止モードが使用出来るにせよ、あまりに遅いので実用にならない。
最後の手段は「総分解」で、ドライブをHDDに換装する以外にない。
ASUS社が唱えている様に、これは、「子供のオモチャ」のパソコンだ。
ネット-ワークシェアリングの発想 ― 2009/03/08 22:32
『EeePc究極カスタマイズ読本』(高橋章德編集,2008.11,インフォレスト)というガイドブックには、付録にDVDがついており、この手の本では一番内容がマシである。
その中で無線LANのフリースポットの紹介がされている。これを旨く利用すれば、Eモバイルとか、有料の無線LANサービスと契約する必要もない。
有料の無線LANには、ワイヤレスゲートというのに入っているが、まともに使えたことがない。アクセスポイントが非常に少ないし、一々厄介な認証が必要になるので、嫌になる。それで、Eモバイルを契約した次第。
ところが、この「Eモバ」でさえも駅前第三ビル地下一階のホーリーズカフェ等では、電波状況が悪く、つながらなかったり、低速になったり動作が不安定である。やはり、たしか、ここは、ウィルコムもつながらなかったのだが。
今回、一番、この本を購入して正解だったのは、「fon」というWi-Fiアクセスサービスをやっているところだ。
このサービスの面白さは、「ネットワークシェアリング」という発想の元にシステムが構築されているからだ。利用者は、最初に専用無線LANルーターを買わないと駄目。このルーターは自宅で使用すればよい。
実は、このルーターには、パブリックネットワークのエリアとセキュリティでガードされたパーソナルエリアに分かれている。パブリックエリアについては、fonの会員である第3者が自由に使える。
その替わり、契約者本人もfonの他会員が提供するパブリックのfonエリアを自由に提供できる仕組み。
つまり、fonの会員が一杯いるところでは、無線LANが非常に便利に使える。面白いのは、有料Wi-Fiサービスのエリアが殆どないとこでもfonは対応しているし、アクセスポイントも一杯ある。
普通は無いと思った奈良県桜井市の三輪山の麓にさえある。大阪では、ウジャウジャある。絶対に便利だと思う。
もっと先に知っておれば、fon以外の無線ルーターは買わなくても済んだのにと思う。ルーターの価格は、一番安いのがラ・フォネラで1980円で高いので、3800円と一般の商品よりも割安。
fonはスペインに本社があるユニークな企業である。CEOは、マルチン・バルサフスキー?氏。もっとも安全性等は気になるが、そうなれば、無線公衆LAN自体が危ういものになってしまう。
その中で無線LANのフリースポットの紹介がされている。これを旨く利用すれば、Eモバイルとか、有料の無線LANサービスと契約する必要もない。
有料の無線LANには、ワイヤレスゲートというのに入っているが、まともに使えたことがない。アクセスポイントが非常に少ないし、一々厄介な認証が必要になるので、嫌になる。それで、Eモバイルを契約した次第。
ところが、この「Eモバ」でさえも駅前第三ビル地下一階のホーリーズカフェ等では、電波状況が悪く、つながらなかったり、低速になったり動作が不安定である。やはり、たしか、ここは、ウィルコムもつながらなかったのだが。
今回、一番、この本を購入して正解だったのは、「fon」というWi-Fiアクセスサービスをやっているところだ。
このサービスの面白さは、「ネットワークシェアリング」という発想の元にシステムが構築されているからだ。利用者は、最初に専用無線LANルーターを買わないと駄目。このルーターは自宅で使用すればよい。
実は、このルーターには、パブリックネットワークのエリアとセキュリティでガードされたパーソナルエリアに分かれている。パブリックエリアについては、fonの会員である第3者が自由に使える。
その替わり、契約者本人もfonの他会員が提供するパブリックのfonエリアを自由に提供できる仕組み。
つまり、fonの会員が一杯いるところでは、無線LANが非常に便利に使える。面白いのは、有料Wi-Fiサービスのエリアが殆どないとこでもfonは対応しているし、アクセスポイントも一杯ある。
普通は無いと思った奈良県桜井市の三輪山の麓にさえある。大阪では、ウジャウジャある。絶対に便利だと思う。
もっと先に知っておれば、fon以外の無線ルーターは買わなくても済んだのにと思う。ルーターの価格は、一番安いのがラ・フォネラで1980円で高いので、3800円と一般の商品よりも割安。
fonはスペインに本社があるユニークな企業である。CEOは、マルチン・バルサフスキー?氏。もっとも安全性等は気になるが、そうなれば、無線公衆LAN自体が危ういものになってしまう。
限定販売のレアアイテム ― 2009/03/08 22:44
佛大と招徳酒造の共同開発・生産のオリジナル日本酒「佛米!夢乃酒」は、3月9日も販売されるが限定販売であるという。
結局、このお酒、土日で飲み尽くしてしまった。4~5本位注文しておいた方が良かった。私は、日本酒には弱い筈なのに、このお酒は、全然、悪酔いしないどころか、飲めば飲むほど心地よくなる美味しいお酒だった。
今日は、久しぶりにスーパーに原チャリで出かけていって、刺身(カンパチ等)を購入して、美味しくお酒を家の人に白い目でみられながら、飲んでいた。
ところで、このお酒は、京都府美山町で佛大の学生さんが米づくりをしている。そのお米が原料なので、ほんの僅かしか製造できないという。
レアアイテムである。(なんで、もっと大事に飲まなかったんだろうか。)
佛大通信教育に入学者特典として知恩院無料拝観券に、このお酒の優先購入券をつけて欲しいものだ。
結局、このお酒、土日で飲み尽くしてしまった。4~5本位注文しておいた方が良かった。私は、日本酒には弱い筈なのに、このお酒は、全然、悪酔いしないどころか、飲めば飲むほど心地よくなる美味しいお酒だった。
今日は、久しぶりにスーパーに原チャリで出かけていって、刺身(カンパチ等)を購入して、美味しくお酒を家の人に白い目でみられながら、飲んでいた。
ところで、このお酒は、京都府美山町で佛大の学生さんが米づくりをしている。そのお米が原料なので、ほんの僅かしか製造できないという。
レアアイテムである。(なんで、もっと大事に飲まなかったんだろうか。)
佛大通信教育に入学者特典として知恩院無料拝観券に、このお酒の優先購入券をつけて欲しいものだ。
2009/4/19 ケーヒン鈴鹿2&4レースオープニングスペシャル ― 2009/03/09 22:25
「お待たせしました!新生SUZUKA ついに開幕!!」
http://www.suzukacircuit.jp/2and4/
ということでケーヒン鈴鹿2&4レースオープニングスペシャルが開幕することとなった。
そうした、早速、観戦券をゲット。改装されて観戦券がどうやら値上がりしたようだ。5500円(自由席のみの2日通し券)は痛い。
結局、GT500クラス、ニッサンGT-Rが今回も優勝するのか、激しい戦いが予想とかJSB1000の2輪ロードレースが開幕。
久しぶりにモーターレースの撮影にチャレンジできる。昨夏以来休止しているので、腕がなまっているだろう。カメラは、今回は、初めて自分のカメラでレースが撮影できるFZ28を持参する予定。G-1も良いが超望遠を持っていないので使用できない。
2輪の場合は、テレコンバータも必要になってくるが、これを調達するかどうかは考え中。
http://www.suzukacircuit.jp/2and4/
ということでケーヒン鈴鹿2&4レースオープニングスペシャルが開幕することとなった。
そうした、早速、観戦券をゲット。改装されて観戦券がどうやら値上がりしたようだ。5500円(自由席のみの2日通し券)は痛い。
結局、GT500クラス、ニッサンGT-Rが今回も優勝するのか、激しい戦いが予想とかJSB1000の2輪ロードレースが開幕。
久しぶりにモーターレースの撮影にチャレンジできる。昨夏以来休止しているので、腕がなまっているだろう。カメラは、今回は、初めて自分のカメラでレースが撮影できるFZ28を持参する予定。G-1も良いが超望遠を持っていないので使用できない。
2輪の場合は、テレコンバータも必要になってくるが、これを調達するかどうかは考え中。
ブルックナー第9の声楽入りフィナーレの再現 ― 2009/03/09 23:03
アントン・ブルックナー(1824-1896)については、この間もここに書いたが、先日の週末は、彼の最後の未完の作品である交響曲第9番の第4楽章(フィナーレ)の断片(フラグメント)を音声ファイルから再構築して完成しようとする途方もない無理な試みに没頭していた。
その素材となるのが、ニコラス・アルノンクールがウィーンフィルを指揮して講演したその記録を収めたCDである。RCA34080-81には、この作品の断片が忠実に音化されて収まっている。
これらをつなぎ合わせるとある程度の姿が出来上がるという訳で、不足している部分は、第9や晩年の作品の様々な箇所から拝借してきて、フランケンシュタイン宜しくツギハギを作り上げていく。
接合部分は、判らないように残響を加えてごまかす。数十分の1秒単位で作業を行うので、そんなに変な風には聞こえない。
音程も微妙なピッチも自由に変化させられる。
残念ながら、展開部の後のフーガが途中で断絶、更にコーダの部分ないので、やはり完成は無理かと途方にくれる。
ベートーヴェンの第9を「交響曲の理想郷」と考えていたブルックナー。敢えてフーガやコーダを未完に残したのは、この後に声楽の部分を入れる為ではないかと思った。
実際にブルックナーは、このフィナーレが未完の場合には、テ・デウムを代用する様に指示しているが、第9とテ・デウムはあまりにも曲想が違う。
それで、晩年の声楽作品を色々と調べていくうちに、詩編第150が一番、ピッタシだし、実際に詩編から引用された断片やフレーズが未完のフィナーレの幾つかの箇所から見いだせる。
この作品を「改造」してブルックナーは、第9の終楽章にも使おうと考えていたのではないだろうか。
そこで、私は、ベートーヴェンの第9の主題導入部と同様の構成を考えてみた。声楽の部分は、従来、コーダがくると思われていた部分に入るのだろう。
この場合、フィナーレの導入部(トラック01)が現れて、第1主題が始まるが、それも途中で消えてしまい、聞き手は唖然とさせられる。(実は、現在、フィナーレの導入部と考えられていたのは、声楽部の導入部であるかも知れない。)
そうして、交響曲0番、第3番、そして、第8番、テデウム等の過去の作品の楽想の回想シーン。この辺りは、交響曲第3番第1稿のワーグナーの主題が現れては消える部分を参考にした。
その後、突如として壮大の音響で現れるのが、あの印象的な下降音形の第2主題で力強い男性コーラスを伴って登場する。(この部分、WAVファイルをスコアに変換して、男声合唱らしい音源を用いている。)
この辺りは、パルシファル風である。
再び展開部が始まり、荒々しいフーガの後、あの詩編150の壮大なフーガーに移行していく。(移行部は辛うじて、ごまかして書いた)
このフーガは後期浪漫派の合唱曲のフーガとしては、ブラームスのドイツレクイエムのフーガに匹敵する大きなスケールを誇っている。オーケストラパートを抽出して増強する。
適宜、打楽器等のパーカッションパートを増強する。こうして聴いてみると声楽入りの交響曲第5番のフィナーレの様に聞こえる。(終結部は、オルガンが伴っていたのかも知れない。)
残念ながらコーダの作曲能力はないので、サマーレ・マツーカの補筆完成盤を利用しようかと考えたが、それも面白くないので、そのまま詩編150の終結部分を応用した。
こうして演奏時間45分もかかる壮大な声楽入りのフィナーレが完成したというかでっちあがった。
ブルックナーが夢見ていたのは、こんな作品だったのだろうか。少なくともサマーレ・マツーカ盤やキャラガン版よりも良いと思っている。CDに焼いた演奏を今聴いているところだ。
著作権の問題があるので他人には聴かせられないのがつらいところ。
その素材となるのが、ニコラス・アルノンクールがウィーンフィルを指揮して講演したその記録を収めたCDである。RCA34080-81には、この作品の断片が忠実に音化されて収まっている。
これらをつなぎ合わせるとある程度の姿が出来上がるという訳で、不足している部分は、第9や晩年の作品の様々な箇所から拝借してきて、フランケンシュタイン宜しくツギハギを作り上げていく。
接合部分は、判らないように残響を加えてごまかす。数十分の1秒単位で作業を行うので、そんなに変な風には聞こえない。
音程も微妙なピッチも自由に変化させられる。
残念ながら、展開部の後のフーガが途中で断絶、更にコーダの部分ないので、やはり完成は無理かと途方にくれる。
ベートーヴェンの第9を「交響曲の理想郷」と考えていたブルックナー。敢えてフーガやコーダを未完に残したのは、この後に声楽の部分を入れる為ではないかと思った。
実際にブルックナーは、このフィナーレが未完の場合には、テ・デウムを代用する様に指示しているが、第9とテ・デウムはあまりにも曲想が違う。
それで、晩年の声楽作品を色々と調べていくうちに、詩編第150が一番、ピッタシだし、実際に詩編から引用された断片やフレーズが未完のフィナーレの幾つかの箇所から見いだせる。
この作品を「改造」してブルックナーは、第9の終楽章にも使おうと考えていたのではないだろうか。
そこで、私は、ベートーヴェンの第9の主題導入部と同様の構成を考えてみた。声楽の部分は、従来、コーダがくると思われていた部分に入るのだろう。
この場合、フィナーレの導入部(トラック01)が現れて、第1主題が始まるが、それも途中で消えてしまい、聞き手は唖然とさせられる。(実は、現在、フィナーレの導入部と考えられていたのは、声楽部の導入部であるかも知れない。)
そうして、交響曲0番、第3番、そして、第8番、テデウム等の過去の作品の楽想の回想シーン。この辺りは、交響曲第3番第1稿のワーグナーの主題が現れては消える部分を参考にした。
その後、突如として壮大の音響で現れるのが、あの印象的な下降音形の第2主題で力強い男性コーラスを伴って登場する。(この部分、WAVファイルをスコアに変換して、男声合唱らしい音源を用いている。)
この辺りは、パルシファル風である。
再び展開部が始まり、荒々しいフーガの後、あの詩編150の壮大なフーガーに移行していく。(移行部は辛うじて、ごまかして書いた)
このフーガは後期浪漫派の合唱曲のフーガとしては、ブラームスのドイツレクイエムのフーガに匹敵する大きなスケールを誇っている。オーケストラパートを抽出して増強する。
適宜、打楽器等のパーカッションパートを増強する。こうして聴いてみると声楽入りの交響曲第5番のフィナーレの様に聞こえる。(終結部は、オルガンが伴っていたのかも知れない。)
残念ながらコーダの作曲能力はないので、サマーレ・マツーカの補筆完成盤を利用しようかと考えたが、それも面白くないので、そのまま詩編150の終結部分を応用した。
こうして演奏時間45分もかかる壮大な声楽入りのフィナーレが完成したというかでっちあがった。
ブルックナーが夢見ていたのは、こんな作品だったのだろうか。少なくともサマーレ・マツーカ盤やキャラガン版よりも良いと思っている。CDに焼いた演奏を今聴いているところだ。
著作権の問題があるので他人には聴かせられないのがつらいところ。
トイカメラなのにトイカメラモード ― 2009/03/10 23:42
PSP専用のカメラに嵌っている。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/03/01/4146991
低画素時代の楽しい記憶を蘇らせてくれる貴重なアイテムだ。
画像サイズは、320*240、480*272、640*480、1280*960で結構、高い画素数を選べるが、PSPの画面に合うのは、640*480で上のポニョの写真である。画質は、圧縮比率でファイン、スタンダードが選択可能、撮影モードは、動画、標準、エフェクトでは、スケッチ(一番下)、トイカメラ、変形、テキスト(真ん中のロボちゃん)が選択できる。傑作なのは、トイカメラでもともとトイカメラなのに更にトイカメラらしく撮影できる。
露出補正、ホワイトバランス、ズーム等の機能も使える。撮影していて楽しいのは、ライブビュー画面が非常に大きいことである。動画は、前述の画面サイズ(640*480は選択できない)に、15fps、30fpsと切り替えができる。これも、一般デジカメの動画機能に匹敵する。
本当に買って良かったと思っている。通常のブログで日常風景を撮影するには、これで十分(携帯のカメラよりも使いやすい)
レンズが180度上下に回転するので、自由に画角を選べるのも楽しい。これで私の頭を撮影した禿げの部分が拡大して、スケッチモードでは、真っ白に写るので河童みたいと思った。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/03/01/4146991
低画素時代の楽しい記憶を蘇らせてくれる貴重なアイテムだ。
画像サイズは、320*240、480*272、640*480、1280*960で結構、高い画素数を選べるが、PSPの画面に合うのは、640*480で上のポニョの写真である。画質は、圧縮比率でファイン、スタンダードが選択可能、撮影モードは、動画、標準、エフェクトでは、スケッチ(一番下)、トイカメラ、変形、テキスト(真ん中のロボちゃん)が選択できる。傑作なのは、トイカメラでもともとトイカメラなのに更にトイカメラらしく撮影できる。
露出補正、ホワイトバランス、ズーム等の機能も使える。撮影していて楽しいのは、ライブビュー画面が非常に大きいことである。動画は、前述の画面サイズ(640*480は選択できない)に、15fps、30fpsと切り替えができる。これも、一般デジカメの動画機能に匹敵する。
本当に買って良かったと思っている。通常のブログで日常風景を撮影するには、これで十分(携帯のカメラよりも使いやすい)
レンズが180度上下に回転するので、自由に画角を選べるのも楽しい。これで私の頭を撮影した禿げの部分が拡大して、スケッチモードでは、真っ白に写るので河童みたいと思った。
比較絵画論の新展開 「ブリューゲルと名所図絵」 ― 2009/03/11 13:45
あちこちのブログで都市景観等をテーマにしたものが増えているが、そのコラボレーションというか象徴的存在として、特に京都の場合は、名所図絵、洛中洛外図等が脚光を浴びている。こうした作品を眺めていると、私は、ある体験が記憶の底から蘇ってくる。
関西大学時代、殆ど授業に出席せずに卒業しているので、一日も一回も休まなかった講義は、数少ないが、西村規矩夫先生の西洋絵画史の講義は、毎回、一番前の席というかスライドが一番見やすい場所に陣取っての受講であった。
16世紀後半から17世紀初頭にかけてのネーデルランド絵画の展開についてあった。その中で、ピーター・ブリューゲルの作品の解説は非常に面白かった。多くの美術史、美学研究家にありがちな印象批評あるいは、並列的な要素の羅列にとどまらず、様々な絵画に描かれた要素と作家の生きた時代、作風の変化との関係について、作品を幾つもみながら解き明かしていく内容であった。
大学を卒業後、こうした講演や講義を聴く機会はなかったが、その後、30年を経て、佛教大学において、洛中洛外図のスクーリング講義を斎藤先生から拝聴するに及んで、その記憶の糸がつながった様に思われる。
ブリューゲルの作品の中で、都市や村落の景観を描いたものは多々ある。そして、これは、非常にクローズアップされた描写対象と中景、遠景の組合せによって非常に立体的に描かれている。
また、よくよく画面をみると、民俗的な事物が描かれている。これらは、ただ単に風俗を描写されているのではなくて、聖書の世界につながる隠喩が隠されているのである。
当時の絵画論では、イコノロジー等の記号的な理解は、未だ主流となっておらなかったが、西村先生のご研究は、その様な傾向を既に示していたと思う。洛中洛外図の理解には、やはりイコノロジー的な要素も必要であるが、斎藤先生は、その段階にまでは触れられなかった。
おそらく、中島純司先生もその様な考え方は邪道だと言われただろう。
近世以前にも月次の習俗を描いた作品がみられるが、それは、クローズアップされた描写主体と中遠景の対比の中で、その様な隠喩を浮かび上がらせる手法はみられず、そうしたやり方は、16世紀から17世紀にかけての西洋絵画、とりわけオランダ絵画の影響を受けているのではないかと考える。
これまでの研究では、洛中洛外図、江戸名所図絵等の景観画は、大和絵以来の伝統的な構図法で描かれており、その様な要素が入り込む余地がなかったと思われたが、イコノロジー的な分析を進めることで、新たな比較絵画論の対象としての可能性が見えてきたのではないかと私は考えるのである。
というか、近世絵画の最大の特色としての民俗的傾向の一部は、こうした西洋画との交流も影響しているのではないかとさえ考えている。 祇園祭の鉾の装飾にも15~16世紀の西洋の風景を刺繍した織物が使用されており、こうした交流があっても不思議ではないのである。
話は些かずれるが、近世源氏絵をみても、その傾向が見えるのである。桃山時代以前の源氏絵は残っているものは少ないが、物語の場面描写が主体であるが、近世の源氏絵は、源氏物語の場面に描かれている民俗的要素に絵師によって光が当てられる様になってくるのである。
そうして、物語のストーリーや場面の主題よりも、四季と洛中・公家文化の習俗を描くことが中心になってくる。物語は、以前にも書いた通り、民俗的要素に対して、強い「吸水性」を有しているが、それが、近世以降の絵画描法と結合することで、内容的にも変質を遂げていくのである。そうして、近世日本画は、再び司馬江漢が西洋画の影響を受けるまで、この特徴は存在し続けているのだと、私は考えている。
関西大学時代、殆ど授業に出席せずに卒業しているので、一日も一回も休まなかった講義は、数少ないが、西村規矩夫先生の西洋絵画史の講義は、毎回、一番前の席というかスライドが一番見やすい場所に陣取っての受講であった。
16世紀後半から17世紀初頭にかけてのネーデルランド絵画の展開についてあった。その中で、ピーター・ブリューゲルの作品の解説は非常に面白かった。多くの美術史、美学研究家にありがちな印象批評あるいは、並列的な要素の羅列にとどまらず、様々な絵画に描かれた要素と作家の生きた時代、作風の変化との関係について、作品を幾つもみながら解き明かしていく内容であった。
大学を卒業後、こうした講演や講義を聴く機会はなかったが、その後、30年を経て、佛教大学において、洛中洛外図のスクーリング講義を斎藤先生から拝聴するに及んで、その記憶の糸がつながった様に思われる。
ブリューゲルの作品の中で、都市や村落の景観を描いたものは多々ある。そして、これは、非常にクローズアップされた描写対象と中景、遠景の組合せによって非常に立体的に描かれている。
また、よくよく画面をみると、民俗的な事物が描かれている。これらは、ただ単に風俗を描写されているのではなくて、聖書の世界につながる隠喩が隠されているのである。
当時の絵画論では、イコノロジー等の記号的な理解は、未だ主流となっておらなかったが、西村先生のご研究は、その様な傾向を既に示していたと思う。洛中洛外図の理解には、やはりイコノロジー的な要素も必要であるが、斎藤先生は、その段階にまでは触れられなかった。
おそらく、中島純司先生もその様な考え方は邪道だと言われただろう。
近世以前にも月次の習俗を描いた作品がみられるが、それは、クローズアップされた描写主体と中遠景の対比の中で、その様な隠喩を浮かび上がらせる手法はみられず、そうしたやり方は、16世紀から17世紀にかけての西洋絵画、とりわけオランダ絵画の影響を受けているのではないかと考える。
これまでの研究では、洛中洛外図、江戸名所図絵等の景観画は、大和絵以来の伝統的な構図法で描かれており、その様な要素が入り込む余地がなかったと思われたが、イコノロジー的な分析を進めることで、新たな比較絵画論の対象としての可能性が見えてきたのではないかと私は考えるのである。
というか、近世絵画の最大の特色としての民俗的傾向の一部は、こうした西洋画との交流も影響しているのではないかとさえ考えている。 祇園祭の鉾の装飾にも15~16世紀の西洋の風景を刺繍した織物が使用されており、こうした交流があっても不思議ではないのである。
話は些かずれるが、近世源氏絵をみても、その傾向が見えるのである。桃山時代以前の源氏絵は残っているものは少ないが、物語の場面描写が主体であるが、近世の源氏絵は、源氏物語の場面に描かれている民俗的要素に絵師によって光が当てられる様になってくるのである。
そうして、物語のストーリーや場面の主題よりも、四季と洛中・公家文化の習俗を描くことが中心になってくる。物語は、以前にも書いた通り、民俗的要素に対して、強い「吸水性」を有しているが、それが、近世以降の絵画描法と結合することで、内容的にも変質を遂げていくのである。そうして、近世日本画は、再び司馬江漢が西洋画の影響を受けるまで、この特徴は存在し続けているのだと、私は考えている。
中古文学会春季大会 ― 2009/03/12 23:10
このところ、気温が下がって、その為か首が痛む。
マッサージも効果がないようだ。
ところで、本日、中古文学会春季大会の案内が来た。
会場は国士舘大学なので、関東地区での開催だ。
今回は、私の研究分野に近い「源氏物語と絵画」の特集である。
5月23日(土)~24日(日)の2日間。
シンポジウム 源氏物語の絵と注釈
基調報告は、帝塚山大学の清水婦久子先生で「絵入源氏物語挿絵と本文・和歌・注釈」を初めとして、「『源氏物語画帖』における詞書、」(根津美術館野口剛先生)、「近世初期の源氏絵と詞書筆者について」名古屋大学高橋亨先生)、「幻の源氏物語絵巻」にみる物語理解」(立教大学 小嶋菜温子先生)等々。
近世の源氏絵と詞書の関係については、一応、私の卒論でも触れたが、梗概書による理解が中心となる。ところが、絵入源氏物語の場合は、三条西家証本を底本にした北村季吟の近世流布本系の源氏物語(一応青表紙本系とも言えなくはない)を元に、絵画化されている。
また、絵画化された目的も源氏物語画帖の様な装飾、風俗画的な様相と、絵入源氏の様な物語の挿絵(本文の内容に即している)とは異なる為に、これらを同列に扱うことには問題がある。
おそらく、近世の源氏絵の流れとしては、絵入源氏の様な挿絵本系と画帖、屏風等の装飾系、また、同じ画帖でも、梗概書、あるいは、源氏物語絵詞の様な(絵画化の指図書、テキスト、マニュアル本)に拠るものと傾向は異なってくる。
「絵入源氏物語」については、研究を更に進める為には、例えば渋川本のお伽草子が奈良絵本に拠っている様に、やはり、絵入源氏が登場する以前の形態まで遡及して考察を進める必要がある。この違いを比較検討することで、図柄の細かな相違点と本文解釈との関係等を明らかにしていけば、近世における源氏物語注解の傾向や方向性が見えてきて、「源氏学」に新たな光を放射することになるだろう。
学会の当日は、この様な相違点を中心にシンポジウムで討論されるのだろうか。参加してみたいが、会場が東京だし、私は、既に大学を止めているので、学会に参加する権利もないのではないだろうか。それどころか一般会費が高いので退会せざるを得ないような状況になっている。8000円の懇親会等、とんでもないことだ。
マッサージも効果がないようだ。
ところで、本日、中古文学会春季大会の案内が来た。
会場は国士舘大学なので、関東地区での開催だ。
今回は、私の研究分野に近い「源氏物語と絵画」の特集である。
5月23日(土)~24日(日)の2日間。
シンポジウム 源氏物語の絵と注釈
基調報告は、帝塚山大学の清水婦久子先生で「絵入源氏物語挿絵と本文・和歌・注釈」を初めとして、「『源氏物語画帖』における詞書、」(根津美術館野口剛先生)、「近世初期の源氏絵と詞書筆者について」名古屋大学高橋亨先生)、「幻の源氏物語絵巻」にみる物語理解」(立教大学 小嶋菜温子先生)等々。
近世の源氏絵と詞書の関係については、一応、私の卒論でも触れたが、梗概書による理解が中心となる。ところが、絵入源氏物語の場合は、三条西家証本を底本にした北村季吟の近世流布本系の源氏物語(一応青表紙本系とも言えなくはない)を元に、絵画化されている。
また、絵画化された目的も源氏物語画帖の様な装飾、風俗画的な様相と、絵入源氏の様な物語の挿絵(本文の内容に即している)とは異なる為に、これらを同列に扱うことには問題がある。
おそらく、近世の源氏絵の流れとしては、絵入源氏の様な挿絵本系と画帖、屏風等の装飾系、また、同じ画帖でも、梗概書、あるいは、源氏物語絵詞の様な(絵画化の指図書、テキスト、マニュアル本)に拠るものと傾向は異なってくる。
「絵入源氏物語」については、研究を更に進める為には、例えば渋川本のお伽草子が奈良絵本に拠っている様に、やはり、絵入源氏が登場する以前の形態まで遡及して考察を進める必要がある。この違いを比較検討することで、図柄の細かな相違点と本文解釈との関係等を明らかにしていけば、近世における源氏物語注解の傾向や方向性が見えてきて、「源氏学」に新たな光を放射することになるだろう。
学会の当日は、この様な相違点を中心にシンポジウムで討論されるのだろうか。参加してみたいが、会場が東京だし、私は、既に大学を止めているので、学会に参加する権利もないのではないだろうか。それどころか一般会費が高いので退会せざるを得ないような状況になっている。8000円の懇親会等、とんでもないことだ。
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