近現代の法制度の仮面の下の残虐性と悪夢2009/04/03 23:37

『拷問と処刑の西洋史』(浜本隆志,2007,新潮選書)

 関西大学の先生(文学部教授)の本である。浜本先生は、ドイツ文化論を専攻されている。

 内容的には、残虐な図画や記述もみられるが、猟奇的趣味をそそる程ではない。結局、この本は、中世ドイツ・オーストリア、神聖ローマ帝国(11世紀から18世紀位、マリア・テレジアによる刑法まで)にかけての刑法・刑罰史を文化的背景からみたものである。

 様々な極刑について述べられているが、例えば、車裂き刑の影には、古代ゲルマンの太陽信仰が、絞首刑には、樹木信仰が、火あぶりには、聖火信仰等、キリスト教以前の古代ゲルマンに遡る残虐な残影が、「負の儀式」の背後に見え隠れするのである。

 宗教裁判から発達した西洋世界における裁判の歴史が近現代の法制度の仮面を被っても今なお、残虐さをその背後に保ち続けている有様がマリア・テレジアが制定した拷問や処刑に関する規定に見え隠れしている。

 こうした「負の儀式」の側面は、結局、ナチスによるユダヤ人大量殺戮にまで、結びついていくのである。

 私は、法律や裁判が大嫌いである。正義の仮面を被りながらも、こうした拷問、極刑の残虐性を有しているからである。それは、現代法制度にも保たれているのである。

 裁判員制度では、効率的な裁判を進める為に検察側では、犯罪の立検についてスピーディ(タイムリー)に行う為に、あらゆる科学捜査を動員、少しでも早く犯人の自白に結びつける為に取り調べ制度の「改善」を進めている。中には拘束具や恫喝、暴力による自白強要等のケースも報告されている。正義、国民による自主的な裁判の為に、憐れな被疑者が犠牲になるのである。

 こうした本を読んで、やはり、裁判員制度の採用はやむを得ずとしながらも、拙速による誤審が取り返しのない過ちに結びつかない様に、死刑制度を廃止しなければならないと思う。

 そういった意味でこの本は反面教師なのである。

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