「退化」が始まった2009/04/12 11:45

退化が始まった。

・ダイエットにおける退化とは、もちろん体重が元に戻ってしまうこと。

・運動能力の退化とは、使わない身体の機能が衰えていくこと、また、その衰えが自覚できないこと。

・「衰えが自覚できないこと。」これが、退化の第1症状なのである。

 つまり、人間というのは、常に常に、努力や運動をしなければ、肉体や頭脳の機能は、衰退していくのであるが、その衰えを自覚出来ておれば、努力によって維持・向上を図ることが出来る。

 しかし、衰え自体が自覚出来ない段階に入ると、その衰えは加速度的に進行していく。

・「衰えから復帰できないこと。」これが、退化の第2症状なのである。

 私も昨年の9月末に佛教大学を修了(仏教芸術コースの学士編入)してから、7ヶ月目に入ったが、既に退化の第1症状が出てきている。特に大学院は、04年に修了しているので、5年前に出来た努力や業績を今、やろうと思って不可能になっている。

 人生は、「積み重ね」であるが、実際には、建築作業に例えるならば、基礎ブロックを積み重ねていく速度があまりに遅かったり、建築速度が遅いと基礎材が腐敗して、根元から崩れてしまうことになる。

 佛教大学の新学期に入っている。先生方の進歩と退歩の状況については、シラバスをみることで知ることが出来る。(大学院の専門課程のシラバスが参考になる。3年分が掲載されているので、その先生の研究や興味が深まっていったのか、あるいは、そのままなのか、あるいは、退化しているのか、みれば判る。3年前に比べて、進歩している人とそうでない人との差が現れてきている。)

 大学では、教員資質審査は、授業アンケートはあるが、それ以外では、お互いに遠慮しあって出来ないのが現状である。しかし、それをしなければ、何時までも努力をされないサラリーマンタイプの先生方が増えて、学生が結局は迷惑するのである。

 他人のことばかり、批判してはいけないが、私の様な身分・出自・職歴・学歴ともに「下流」の人間は、「教育をあらゆる階層へ」(六波羅蜜の布施の精神)という佛教大学がせっかく、私に通信大学院で学ぶ機会を与えて下さり、その結果、修士課程を終えても、折角の学修成果を維持することも出来ないでいるのである。

 少しでもこうした「退化」を食い止める為に、二回も学部への編入を繰りかえしたが、佛大の内部の教員にもこうした私について批判的な人もおり、私もそうかと思って諦めた。

 しかし、昨日のNHKカルチャーセンターの斎藤先生の授業を聴講して、やはり私の考え方が正しかったことが判った。

 つまり、どんな方法にせよ「衰えが自覚できない。」状態から復帰モードにするには、やはり、より優れた段階にある知識の刺激を受けるのが最も効果的である。

 「自学・独学でも出来るだろう。」と言う人もあるが、自分が知りたいことを選り好みする結果になるので、「知らないことの面白さ」に気づくという最も効果的な刺激を受ける為には、大学やスクールに通うことが効果的である。

 大学の先生は、大学やスクールに通うことが出来ないが、斎藤先生の様にニューヨークでの陰陽道学会に出席したり、国内の学会で発表、質疑応答を重ねる努力を行うことで、私たちがスクールで受ける様な刺激が新たな研究の進化への刺激剤になるのだと思っている。

 別に私の様な「下流」の人間が、一層の退化を放置しておいても良いのだが、「人間以下」の存在になってしまうので、そこまで割り切るのならば、死んだ方がマシだと最近では思う様になってきた。

 こうした大学やスクールにいっても、私と同年代の人は驚くほど少ない。

 きっと、この平成大不況の中で、企業や公務、家計・家庭の維持に肉体も精神も消耗・吸収され続けているのだろう。

 一流の企業でも最近では、生涯雇用制度が崩壊した為に社員のこうした消耗や退化を食い止める為の福利厚生がなおざりにされつつある。私の様な零細企業の使用人では、なおさらのことである。

 だから、一見、関係なく無駄と思われる大学の通信教育やスクール等で受講することは、多額の金額を投資した意義があるのではないかと考えている。

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