まさに「ロボット馬・ロボット駱」だ。2009/06/13 10:34

 日本の月探査計画で2足歩行ヒューマノイド型のロボットが有力候補に挙がっている。

 アシモ君が月面探検するというイメージだと思う。

 月面でアシモ君は、歩けるのだろうか。重力が大きいことは、マイナス要因でもあるが、同時に安定化要因でもある。こうしたことを考えると、二足歩行ロボットは、転倒リスクが大きい。転倒した時の損傷を少なくし、立ち上がる為の工夫や、バランスを失った時の回復やら大変だ。

 月面での中距離移動には、ジャンプの方が有利だ。兎跳びが出来るアシモ君なんか開発しないと駄目だろう。

 そうなれば、ウチのロボちゃん、ID-01の様な車いす型ロボットの方が技術的な実現可能性は高い。上半身は、ヒューマノイドなので、フレンドリーな部分はキープされており、これだと青少年の夢を壊すこともないだろう。

しかし、この場合は、ガタガタ道の歩行は難しい。こうなると案外、四つ足の方が良いかもしれない。下のビデオを見て欲しい。

http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww&eurl=http%3A%2F%2Fblog%2Egoo%2Ene%2Ejp%2Fibrite%2Dfjn%2Fd%2F20090603&feature=player_embedded

 まさに「ロボット馬・ロボット駱」だ。
 大きさは、「馬並み」
 源平合戦の頃の日本馬の大きさ位。

 氷道で蹴飛ばされてもバランスを失わず倒れない。なんかロボットが虐められている様な感じ。それでもけなげに立ち上がり、悪路も歩く、更に、馬の様にギャロップも出来る。なんか、不気味。クラスの学芸会で馬の足役をやらされた時の悲惨な経験、トラウマが今ここに蘇ってくる。

 それにしても、アメリカのロボット技術は、僅か2年間で完全に日本を追い越してしまった。SONYやら大手企業がロボットの研究予算を削減やら撤退する中で、実用クラスのロボットがどんどん登場している。


 この馬型ロボットは、野戦(上陸部隊殲滅等)に適していると思う。

 日本海の大軍で上陸した敵の部隊を縦横無尽に砂浜を駆けめぐって、バズーカを浴びせる。第3国が実験しているような精々、数ヘクタールの戦場を想定した戦術核(ミニ核兵器)やウイルス兵器に対抗する為には、ロボット兵器しかない。

 サッカーゲームで遊んでいる大学教授の先生方諸君もこうした軍事用にも実用になる本格的なロボット開発に打ち込んで、防衛省に売り込みに行くような気概が必要だ。

 日本のロボット産業は、ベンチャーとして位置づけられているが、実は、ロボットの開発は総合力が要求されるので、中小零細には、無理だ。

「祓」と読むのか「抜」と読むのか、どっちが正しい...2009/06/13 18:39

Coolpixs S600で撮影。
 今日は、大阪駅前第4ビル24階のNHKカルチャースクールの日本神話学の斎藤英喜先生の講座を受講。

 今回の講座では、素戔嗚尊が中心だった。アマテラスの予定だったのに、少しがっかり。

 それよりも、今日は、「・・・・?」と思うこと部分があった。早速、帰宅したから、色々と調べて・考察してみた。

 素戔嗚尊は、父神の伊弉諾尊に、「汝は、海原を治めよ。」と言われるが、「根の堅州の国」に行きたいとごねて、顎髭が長く長く伸びても泣き喚くばかりだったので、伊弉諾尊は、ついに堪忍袋の緒が切れて、素戔嗚尊を「そうであるならば、汝は(この国)に住む事なかれ」とカムヤライ(追放)した。(日本書記の記述では、伊弉諾尊は、素戔嗚尊が根の国を訪問してから高天原に昇天するのを許しており、古事記とは正反対の記述である。)

 その後、素戔嗚尊は、八百万神から再び高天原からカムヤライに逢っている。その有様について、下記に原文を示したが、元々の真福寺本の原本をみていないので、なんとも言えないが、「手足爪令祓」という本文と、「手足爪令拔」という古事記本文(原漢文写本の翻読)の異同が認められる。


新潮古典集成・日本思想大系本文
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天照大御神出坐之時ヽ高天原及葦原中国ヽ自得照明。於是ヽ八百万神共議而ヽ於速須佐之男命ヽ負千位置戸ヽ亦切鬢及手足爪令祓而ヽ神夜良比夜良比岐。

本居宣長「訂正古訓古事記」及び岩波文庫本文
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天照大御神出坐之時。高天原及葦原中國自得照明。於是八百萬神共議而。於速須佐之男命。負千位置戸。亦切鬚。及手足爪令拔而。

 斎藤先生は、日本思想体系及び新潮古典集成本文(訓訳)に基づいて、「手足の爪を祓えシム」と読んでおられたが、宣長及び岩波文庫では、「手足の爪を抜かしむ」と読める。

 斎藤先生は、「祓」の文字に注目された。最初に伊弉諾尊にカムヤライされた時には、「祓」の行為はなかったが、八百万神のカムヤライにあった時には、「祓」と「贖罪」の行為を受けているので、素戔嗚尊が単なる荒ぶる不潔な神から「浄化」されて、創造的な神に性質が変わったと説明された。(私の理解が足らないので、理解がおかしいかも知れないが、その場合はご勘弁を。)

 素戔嗚尊が、オホゲツヒメを殺めた時も穀物の神が誕生し、八岐大蛇退治の時も草薙剣を得ている。つまり、単なる悪神、荒神から、恐い父親の様な性格の神に変化したとしている。

 以上の斎藤先生の解釈は、本文テキストを「祓」と読むことが前提となっており、「抜」と読めば、その様な解釈は難しくなってしまう。

 宣長がこの部分を「手足爪令(拔)」と読む説を支持している根拠として、日本書紀の記述を元にしているのだろうと推定される。

 この部分では、「亦曰、(抜)手足之爪購之」と記述されており、神代記については古事記の記述に拠るところが多い日本書紀で、「抜」とあるために、こちらを採ったのだと思われる。

 結局、一連の素戔嗚尊に纏わる神話を読む時に、斎藤先生は、素戔嗚尊の神としての性格が変化したことに注目された。

 私も、この説に首肯したいところだが、少し、考えが異なる。

 それは、まず、「根の堅州の国」の国の解釈が前提となる。

 斎藤先生によると、素戔嗚尊は、伊弉諾尊が禊ぎをした時に鼻から生まれたという不浄感から、そういったモノが好む世界、つまり、黄泉の穢れを残した国、あるいは、黄泉の国という解釈を示されている。例えば、口語訳『古事記』の著者である三浦佑之氏は、「海底につながる地下世界にありながら、草原の広がる大地を持ち、死者の国とは性格を異にする異界」としておられる。母伊弉冉尊が行かれた国である黄泉の国とは異なる。

 そんな煉獄の様な異界が存在するのだろうか。それならば、最初に伊弉諾尊がアマテラスや素戔嗚尊を産み出した世界はどこなんだろうか。そこは、高天原とも異なり、黄泉の国とも異なり、海原の国でも根の堅州の国でもない。

 私は、古事記(素戔嗚尊の誕生譚)の段階では、次の5世界が存在すると考えている。
①伊弉諾尊が存在する世界
②黄泉の世界
③根の堅州の国(地下世界)
④高天原(天界)
⑤人間界の元になる国(八岐大蛇が支配した国)

 そうして、素戔嗚尊は、①~④のどこにも存在し続けることが出来ない状況になっていくまでの経緯譚が、そのまま素戔嗚尊の神としての誕生譚に転化されている。

 つまり、天の岩戸譚等、数々の場面が語り進まれることで素戔嗚尊が神として一人前になる過程を読者は、追体験する訳である。

 素戔嗚尊は、父神にも見放され、高天原をカムヤライ(追放)に合って、まず、大地の豊穣(穀物神)を造り、八岐大蛇を退治して、より人間に近い女と結婚した。八岐大蛇は、鉄・鉱物資源を象徴するとの見方もあり、結局は、地上の支配者となったのだろう。

 素戔嗚尊が神として一人前になると同時に豊穣の大地が誕生したのである。

 従って、別に素戔嗚尊が、祓われる必要もない訳で、天つ罪の贖罪をした後、地上の神になったと考えるのが常識的なものの見方だと思うが、違うのだろうか。


 写真は、駅前第4ビルからみた阪急の新しい社屋。随分と出来上がってきている。摩天楼といった感じ。